誰も話さない悲しすぎるUCLAの裏事情【「華」の大学生活(?)】
世界でも有名らしい(?)UCLAに入学できた!ほぼ毎日快晴で風にそよぐヤシの木に囲まれ、キャンパス内に散らばる13の図書館という勉強環境もピカイチ。
勉強に適しすぎる何不自由ない環境
生徒であるだけで学校の様々な施設を無料で利用でき、22世紀からとってきたような次世代ジムにも通い放題!100種類を超えるヨガやピラテスを含んだスポーツを格安で学期ごとに習うことができる!
24時間セキュリティや受付はオープン、ホテルのようなロビーを持つ数々の寮、真夜中に夜食やスムージーを取りに行けるシステム。
UCLAキャンパスの寮に住むことで受けられる恩恵は、とことん生徒が勉学に集中できるように作られています。
生協もキャンパスや寮のエリアにショップがあり、消耗品など生活に必要なものはすべてそろえることができます。食事も世界の食卓が寮のダイニングホールごとに広がり、サラダから多くのメイン、ドリンクやケーキまで食べ放題。
寮が並ぶエリアにはプールもあり、サングラスをかけ水着姿でプールサイドで教科書を読んだり、息抜きに泳ぐ学生も。大人は全員どこかに消え、若者だけが生き残った街に訪れたような気分になります。
寮生になるには条件があり、「家から通うことができない」生徒のみ入ることができるのです。校門を出るとすぐにアパート群が広がり、そこで暮らす生徒も多いものの、UCLAでの寮ほど勉強に集中できる環境は整っていません。
寮は主に世界中や他の州から、あるいは車でも登校するのに数時間かかってしまう生徒たちがほとんどです。
勉強するためだけならパラダイスのような環境、しかし逆にキャンパスから出る用事がないため閉じ込められるような感覚に陥ってしまう人もいるようです。
生活に必要なものはすべて手に入るのだから。
キャンパスライフは立ち回りや、勉強から息抜きできる方法を知らないとたまに悲劇が起こります。
たまに起こる「人身事故」の実態
普通の水曜日。2時間の講義を終えた私は重い教科書やノートを抱え自分の部屋に戻ろうとしていました。
時間は夕方の6時ごろ。もう食堂が開いているので、ネットでどの食堂がどこの国の料理を出すのか見てから夕食を食べに行こうと頭の中で予定を立てていた時。
途中で横切るヘドリック・ホールと呼ばれる寮の前に警察の車が数台、救急車も止まっていました。
始めて見る異様な光景に「調理室で誰かが火事でも起こしたのかな」などとのんきなことを考えていたら、「まただって。今学期って多いよね」とたまたまそばにいたクラスメートが声をかけてきました。
この子も寮に住んでいたのか、とちょっとだけ驚くとともに「先週くらいも調理室で何か作ろうとしてボヤ騒ぎがあったよね」と答えた私にラティーナの彼女は大きな目をぱちくり。
「え?違うよ、自殺しようとした子がまた出たの。」とセレブの離婚事かのようにさらりと言いました。
まだ若かった私は彼女の一言がそれまでの人生で最も衝撃を受けた一言となり、頭が真っ白に。
小さい頃から共感力が乏しく、今では不謹慎にしか思えませんが「な…何で?親も何もいないのに。カフェテリアではバニラとチョコが混じったソフトクリームとカラフルなパラパラのトッピングも食べ放題なのに!」と自分のとっさの反応とその時一番食べたいものが口から出ていました。
クラスメイトの彼女は私の反応を気にした風もなく、「先月は私の寮からも一人出たのよ。成績が良くなく落としてしまったクラスがあったらしくて。中部の州から来た男の子だったらしいけど」と聞いてもいない情報を話しました。
「首の吊り方をミスって死にはしなかったらしいけど、即救急車や警察が入口に密集した。その時もこのくらいの時間で、ルームメイトが午後の授業から帰ってきて発見したみたい。」
情報通な彼女は顔が広いらしく、その後知り合いに声を掛けられたのかさっそうとその場を去っていきました。
私はまだ彼女の情報を消化できず、ポカンと立ち尽くしたまま。
「クラスに落ちても、生きていればまた取り直せばいいだけなのに…。親や親戚からの期待や勉強量に押しつぶされたのかな…」
今になって考えるともしかしたらいじめやメンタルヘルスなどの要因があったかもしれません。家が借金をしてでも自殺を試みた子の将来を考え、遠い西のカリフォルニアまでわが子を送り、援助してたので落ちたクラスをもう一度受ける余裕がなく、絶望したのかもしれません。
憶測はいくらでもでき、何もUCLAに限った話ではありませんがその後も私がUCLAの敷地内にある寮で暮らしていた10か月弱の間、何件か同じような光景を目にするのでした。
そして次第に「あー、今度はあの寮からまた一人か」と慣れてしまった自分が出来上がったのでした。
大学生活で生き残れるか。
それは学生一人一人の出身や経済力、親類、性格が大きな要因になります。
スペイン語で行われるクラスで先生の喋ってることがわからない、ビリっけつの私でも何とか卒業できたのには理由があったからでした。
気が向いたら、つづります。
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