第36回 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984 米・伊)
モリコーネ追悼企画は西部劇で行こうと思っていたのですが、よくよく考えればこれを外すのは問題だろうと思います。
ということでトリはベストパートナーであるセルジオ・レオーネの遺作であるギャング映画の金字塔『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でお送りします。
ユダヤ系ギャングの自伝を元に脚本完成に12年もかけ、一般に観られている完成版で229分という途方もなく長い(最近公開されたエクステンド版は251分!)レオーネ入魂の一本です。
『ベン・ハー』が序曲や休憩を入れて225分ですからレオーネの気合の入りぶりを物語っています。気合を入れ過ぎて心臓を患い、結果としてこれが遺作となりました。
そしてそのベン・ハーで説明した通り、映画は長いほどホモです。しかもレオーネでギャングです。長いから観ないというのは人生を損します。
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真面目に解説
長い映画の悲哀
レオーネ作品の特徴としてまず挙げられるのがフラッシュバックと呼ばれる手法です。過去と現在が行ったり来たりするのです。
全編を通じて連発されるので、本作は非常に難解です。2回は観ないと話の筋が読めません。そしてそれが4時間近く続くわけです。
カンヌ映画祭で初公開された際には大評判を呼びましたが、アメリカでは二時間半にカットされ、時系列を整理して公開されました。
映画より先に出来て現場でも流されたという珠玉のモリコーネサウンドもカット。おまけにモリコーネをクレジットに入れ忘れるという醜態をやらかし、完全版を知らない評論家に酷評されてレオーネは酷く落胆したそうです。
筋を分かりやすくし、上映回数を増やすためにカットしたわけですが、結果としてもろに裏目に出たわけです。銭金ばかり言っていては結果として損をするという教訓を与えてくれるエピソードです。
ユダヤ人という人種
ユダヤ人というとゲイで天才で金持ちというステレオタイプが芸術の世界を中心に普及していますが、そうなったのは戦後になってからです。本来何千年も差別されてきた人種なのです。
本作の舞台となる20世紀の初頭は何処の国でもゲットーと呼ばれる居住区に押し込められて気味悪がられながら貧乏な暮らしをしていました。
差別される人種は社会活動を制限される一方で同族意識が強く、いきおい悪の世界に身を投じがちです。何回か説明しましたが日本のヤクザだってこれは同じです。
筆頭のマフィアはイタリア系でも更に差別されるシチリア系であり、その他ユダヤ人やアイルランド人が当時のアメリカのギャングの中心でした。これが戦後になると中国人や黒人が加わります。
本作はそういう時代のユダヤ人ギャングの物語です。陰謀を張り巡らす富豪やホモのピアニストばかりがユダヤ人ではないのです。
レオーネ式ロケットスタート
なんか愛人風の女が自分の部屋に入るとベッドに人型に弾痕が付いています。そして踏み込んできて女を殴って男の居場所を吐かせようとし、知らないとみるや射殺してしまいます。
特に説明の無い唐突でえげつない暴力。これぞレオーネです。画の瞬発力が違います。
そして追っている男の親友というおっさんを吊るしてサンドバッグにして拷問です。血まみれです。レオーネは絶好調のようです。
おっさんは親友を売ってしまいました。チャイニーズ劇場なる影絵芝居の行われている劇場に男は居るそうです。
ギャング映画で中国とくればもうアヘンと相場は決まっています。金のかかってそうなセットでロバート・デ・ニーロがラリっています。
三人のギャングが密造酒輸送中に殺されたという新聞を見せられて取り乱しています。電話のベルの幻聴を聞いて大慌てです。こういうのもレオーネは好きなのです。
電話のベルが鳴りやまない中、場面変わって事件現場では爆発炎上したトラックから三人の死体が引きずり出されています。そこには見物に来たデ・ニーロが。
フラッシュバック(意味深)
これまた唐突に場面が切り替わります。ジャズの流れる中、酒場に「禁酒法」と描かれた巨大な棺桶型のケーキが運び込まれ、シャンパンが開けられてパーティですです。殺された三人とデ・ニーロは仲間だったようです。
デニーロはなんと警察に電話をかけます。そして警察が電話を取ろうとした瞬間、またしても場面が切り替わってラリっていたデ・ニーロは突然飛び起きます。もう何が何だかわかりません。だから二回見て下さい。
追手がチャイニーズ劇場にやって来ます。影絵芝居が結構繁盛しているのが興味深いところです。
店の男を次々人相改めしていく追っ手たち。最後は暗いのをいいことに怪しい事をしていたカップルに辿り着きますが、デ・ニーロはいません。
ついでに拳銃で女のおっぱいを弄っていくのがレオーネです。もうすっかり大御所になってナポリ野郎のご機嫌など取らなくてもいいのに、こういうサービスを忘れないのです。
デ・ニーロは結局給仕が気を利かせて逃がしたので難を逃れました。こういう商売はこの手のサービスも欠かせないのです。
説明不足の美学
どうにか命拾いしたデニーロはモリコーネ入魂のメインテーマに乗せて『ファット・モーの店』なるバーを訪れます。本作は名曲揃いですが私はこの曲が一番好きです。
店の裏のエレベーターを下りた先には拷問されていたおっさんと見張りが待ち受けています。このおっさんがファットモー(ラリー・ラップ)です。
デ・ニーロは当然簡単に死なないので、迎撃態勢の見張りをエレベーターで降りて来るや射殺します。安っぽい血のりを頭から噴き出す見張り。これぞレオーネです。
ようやくファットモーの口からデ・ニーロがヌードルスという役名である事、殺された愛人がイヴ(ダーラン・フリューゲル)という名前である事が客に知らされます。
ファットモーはイヴが殺されたことを察しています。口は割りましたが本当に二人は親友のようです。逃げるヌードルスを死にかけながらも案じています。
ヌードルスは駅のコインロッカーに金を隠しているようです。ところが、ロッカーの中のトランクを開けると入っているのは新聞紙だけです。どうやら仲間に裏切られたようです。
ヌードルスはとにかく逃げようとバッファローまでのバスの切符を買います。ここでモリコーネが大好きなケーナを使ったBGM『Cockey's Song』が。これで二人の映画は天下を取ったのです。
そして駅を出たヌードルス。次の場面で同じ出口を戻ってきますがえらい老け込んでいます。そしてBGMはなんとビートルズの『イエスタデイ』。
この前衛的にも程のある大胆なチョイス。レオーネとモリコーネの信頼関係とセンスが爆発です。駅の看板の絵ががらりと変わって時代が進んだことを表現します。
ヌードルスがレンタカーを借りて向かった先は墓場ですが、墓は撤去作業の最中です。
そして次に向かったのはファットモーの店。どうにか命は助かったらしく、同じく爺さんとなったファットモーが店じまいの準備をしています。
墓石と店のウィンドウにはダビデの星が。ここで二人がユダヤ人である事がようやくわかります。
メインテーマの流れる中、ヌードルスはファットモーに電話をかけて店を訪れます。ヌードルスが戻って来たのは墓の改葬の案内を受け取ったからです。しかし、既に改葬通知は別にシナゴーグ(ユダヤ教の教会)から来ていたのです。
かようにこの映画は予備知識なしだと話の筋がさっぱりわかりません。そりゃあ編集したくもなるでしょうが、レオーネの映画は基本的にこうです。作家性はやっぱり尊重しないといけません。
アマポーラ
ヌードルスはファットモーが金を盗ったものだと思っていましたが、ファットモーの暮らしぶりはどう考えてもそんな様子はありません。ファットモーはむしろヌードルスが金を持ち逃げしたものだと思っていたようです。
なんかいちゃつきながら思い出に浸る二人。ヌードルスは店のトイレに入り、壁に空いた穴から隣の部屋をのぞきます。
壁の向こうでは倉庫にこしらえたステージで凄い美人な女の子がバレエを踊っています。そして次の瞬間過去に戻ったらしく一気に少年時代に若返るヌードルス。役者もスコット・ティラーに交代です。
客が少ないと公演をキャンセルする人がカバーした(B面はムッソリーニの孫娘)ので有名な『アマポーラ』に乗せて女の子が踊るのを食い入るように見つめるヌードルス。
それも当然です。ファットモーの妹のデボラを演じるジェニファー・コネリーはこれが映画デビュー。14歳のジェニファー・コネリーなんて多少ホモでもノンケに走ります。
デボラは店の手伝いもほったらかしてひたすら踊ります。そして着替えて尻を見せるのです。『ニューシネマパラダイス』はさぞイカ臭くなったことでしょう。というよりも、あの映画は今作の影響を露骨に受けまくっています。
デボラはヌードルスの覗きを察知しており「トイレにゴキブリが居る」とファットモーに釘を刺します。
ユダヤ人差別
ヌードルスはデボラにべた惚れですが、お高く留まったデボラはチンピラのヌードルスを相手にしません。
時代は1920年代。当時のアメリカでのユダヤ人の地位は黒人や東洋人よりはマシという程度の物で、相変わらずゲットーに固まって住んでいます。
通行人に特徴的な長い髭と帽子のおっさんが目立つのはそういう社会情勢を暗に示しています。これはユダヤ人の正装なのです。
そういう状態なのでユダヤ人の中にも格差があり、成功した商店主の娘であるデボラと、貧乏人のヌードルスの間にはかなりの溝があるのです。
ヌードルスはヤサぐれて近所の子供と一緒にバグジー(ジェームズ・ルッソ)なるギャングにせこい仕事を貰って不良ライフを送っています。
手始めに舎弟のパッツィー、コックアイ、ドミニクを引き連れてショバ代を払わない新聞屋に放火です。被差別人種の不良はやる事が違います。
バグジーの報酬は1ドルか、酔っ払い一人かというものです。つまり現金払いが酔っ払いからスリを働く権利か、ということです。ワルの次元が違います。
コックアイがトレードマークの笛を吹く中、ヌードルス達はスリの準備に取り掛かりますが、折悪く警官がやって来ます。しかし、彼らはハングリー精神旺盛なので荷馬車の陰でスリを強行しようとします。
ところが荷馬車に乗っていたイケメンの兄ちゃんが先回りして酔っ払いを馬車に乗せてしまいます。ヌードルスたちはタダ働きです。
お菓子をくれたら悪戯させてあげる
ヌードルスは家の電気も止められて悲惨な暮らしをしています。トイレで本を読むのだけが楽しみです。
そこへ同じアパートに住むペギーがやって来ます。わざと鍵を開けてセクハラをかますヌードルス。しかし、ペギーはヌードルスに全く動じず、「お前のも見せろ」と言われて本当に見せちゃいます。ペギーは少女売春に手を染めているのです。
欲情してヌードルスはペギーに襲い掛かりますが、ペギーは5セントのケーキをくれなきゃダメととんでもなく安い価格を提示して退けます。
当時のユダヤ人のゾッとするような現実を悲壮感ゼロで描くのは流石にレオーネです。まあ、初めて観た高校生時代はこんな幼馴染が俺も欲しいと心から思ったものですが。
市警≒組織暴力
ペギーに袖にされたヌードルスは街へ繰り出します。するとさっき商売の邪魔をしたイケメンが。
ブロンクスから引っ越してきたこのイケメンのマックス(ラスティ・ジェイコブズ)、なんとあの酔っ払いから懐中時計をまんまと盗み出しています。
夫婦漫才をしながら時計の取り合いをする二人。そこへさっきの警官がやって来ます。マックスはヌードルスを叔父と称してその場を取り繕おうとしますが、結局時計は警官に巻き上げられてしまいました。
ニューヨーク市警=汚職という構図は100年も前からの伝統だったのです。そしてなんだかんだ友情が芽生えて引越しの手伝いなんかしちゃうヌードルス。
一方、ヌードルスの舎弟のパッツィ(ブライアン・ブルーム)はファットモーの店でケーキを買い込んでいます。ベッキーにいい事してもらおうというわけです。
ところがペギーは折悪く風呂に入っています。ユダヤ人は風呂が好きで清潔なのでキリスト教徒と違って伝染病に無縁でしたが、そのせいで伝染病の原因だと疑われて余計に差別された哀しい歴史があります。
パッツィはペギーを待っている間に腹を空かせて結局ケーキを食べてしまいます。いつも腹を空かしている。それがユダヤ人の現実だったのです。
そしてブルームは後に『特攻野郎Aチーム』の映画の脚本を手掛けるわけですが、ハンニバル大佐の作戦と称した力押しのバックボーンはこんなところにあったのですね。
ペギーはパッツィの悲しい行いも知らず洗濯物を干しに行き、ついでにさっきの悪徳警官と一仕事です。そんなニューヨーク市警の暗黒史をパッツィの連絡を受けたヌードルスとマックスは写真に収めてしまいます。
これをネタに懐中時計を取り返し、ペギーへの代金を払ってもらって二人で初体験を済ませます。そしてバグジーの下から独立して仕事をするための後ろ盾を頼みます。
両手に花?
やがてユダヤの祭日である過越がやってきます。敬虔なユダヤ人はシナゴーグでお祈りですが、デボラは家で留守番を兼ねてレッスンです。
またしてもアマポーラの流れる中、ヌードルスがまた覗きに来ます。ところがデボラは察知していてレコードだけかけてトイレに押し入って現場を押さえてしまいます。
しかし、デボラも実は満更でもないので、ステージで有島武郎の訳でも有名な旧約聖書の『雅歌』を読んでキスしちゃいます。存外尻軽です。
もうちょっとで二人目をモノにできるという所でマックスが邪魔しに来ます。デボラは「ママが呼んでるわよ」と意味深な事を言って送り出します。マックスはトイレから二人のキスシーンを覗いていたのです。
マックスは一緒に盗んだ品物の分け前を渡しに来たのです。そして今はどこの家も留守なので泥棒のチャンスだから一緒に行こうと誘います。
しかし、何しろデボラをモノにできるチャンスは金では買えないので断ってしまいます。そうして痴話喧嘩をしているとバグジーの一味が襲ってきます。
勝手に商売をやっていたというので制裁を受ける二人。この生々しい暴力シーンこそレオーネです。二人して金的を食らい悶絶です。こりゃあデボラは諦めるしかありません。
ヌードルスはデボラに助けを求めますが、デボラは店を開けてくれません。ヌードルスに更生してほしいのです。しかし、結局商店主の娘とギャングの卵は住む世界が違うのです。
禁酒法時代
ヌードルスはバグジーの上を行くべく地元のカプアーノというギャングの元へ売り込みに行きます。
カプアーノのシノギは密造酒。禁酒法時代のギャング映画の必須アイテムです。
一応説明しておくと、当時のアメリカは禁酒法と言って酒が非合法化されていました。それでも人間酒は飲みたいので、いきおいギャングが酒の密造や密輸で大儲けとなるわけです。戦後の日本のヒロポンみたいなもんです。
しかし、当然取り締まりが行われます。カプアーノは船で酒を運んでいますが、沿岸警備隊(日本でいうの海上保安庁)に見つかると酒は海に捨てて証拠隠滅する羽目になります。
ヌードルス達は一割くれれば捨てた酒を回収できる発明があると豪語します。酒の箱に塩を詰めた重しと浮きを付けておくと、海に捨ててしばらくしたら塩がとけて浮いてくるというわけです。
読書が趣味のヌードルスならではの知恵です。知識は奪えないというユダヤ人の格言を体現しています。
作戦は大成功し、舟で待ち受ける一行の元に捨てた酒がじゃんじゃん浮き上がってきます。
熱い抱擁を交わしてそのまま海に飛び込むマックスとヌードルス。溺れたふりをしてヌードルスを脅かすマックスがお茶目です。
ヤクザデビュー
二人はいちゃつきながら酒を回収し、代金を受け取って駅のコインロッカーを借りて金を隠します。ようやく冒頭の伏線が回収されました。
今後は五人の稼ぎの半分はここに共有財産として隠そうと誓いを立て、鍵は何も知らないファットモーに預けようという話になります。
例にもよってコックアイが笛を吹き、意気揚々と引き上げる一行。ところが話を聞きつけたバグジーが拳銃片手に襲ってきます。
スローモーションで逃げる一行。逃げ遅れたドミニクが撃たれてしまい、ヌードルスに「滑っちまった」と言い残して息絶えます。
ヌードルスは健さんモードに突入し、追撃に来たバグジーをめった刺しにして見事に仇を摂ります。ついでに駆けつけてきた警官まで刺して華々しくヤクザデビューを飾るのです。
メインテーマと共に刑務所に送られるヌードルスを見送る三人とファットモー。そして再び場面が切り替わり、デ・ニーロに戻ったヌードルスが豪勢な墓を訪れます。
墓の中にはマックス、パッツィー、コックアイの三人の棺が。ふと傍らを見ると、ヌードルスの名が刻まれたプレートに鍵がかかっています。例の駅のコインロッカーのカギです。
明けてみると消えたはずの金がどっさり入っています。そして一束の帯には「次の仕事の前金」と書いてあります。
訳が分からない状態で金を持って帰るヌードルス。そこへ後ろから謎のフリスビーが飛んできて、再び場面が切り替わり、時は1931年、ヌードルスはなって6年の刑期を終えてデ・ニーロになり、出所を迎えます。
すっかり成長してジェームズ・ウッズになったマックスが迎えに来ます。「調子はどうだ?叔父さん」と初対面の時のジョークを未だに引っ張るマックス。
ヌードルスが刑務所にいる間にマックスはギャング稼業の隠れ蓑として葬儀屋を開業しています。この取り合わせはどこの国でもアウトローのあるあるです。
『ゴッドファーザー』だってヴィトーが葬儀屋といちゃつくシーンから始まるのです。ニューヨークの暗黒街は葬儀屋といちゃつくデ・ニーロに支配されていたとさえ言えます。
これが東映ならマックスが褒美をケチって喧嘩になるわけですが、二人は特別な関係なのでヌードルスが刑務所に入っている間の分もしっかり分け前を記録しています。
出迎えの霊きゅう車には麻薬の打ち過ぎで死んだという姉ちゃんが乗っています。ところがこの姉ちゃんはヌードルスからの「出所祝い」の売春婦でした。
「中でカマになったわけじゃねえだろ」とヤクザジョークを飛ばしつつ、お楽しみの二人を乗せて霊きゅう車を走らせるマックス。幸いヌードルスはオカマではなかったようです。
禁酒法時代の出世コース
着いた先はファットモーの店です。何も変わっていません。ところが裏に回ってエレベーターを降りると無茶苦茶楽しそうなナイトクラブになっています。
すっかり大人になったパッツィ(ジェームズ・ヘイデン)とコックアイ(ウィリアム・フォーサイス)が大喜びで出迎えます。
原価10セントのスコッチを1ドルで売ってぼろ儲けです。仲間入りして店を切り盛りするファットモーもますます太りご機嫌ですが、ファットモーは基本的に堅気なのでおっちょこちょいが抜けません。
ペギー(イミー・ライダー)はファットモー以上に太っていますが、どんと値上がりして高級娼婦になっています。「量り売り」というデブジョークがリアルです。昔の悪友大集合というわけです。
レオーネイムズ全開のホモソーシャル(ペギーは可)から外れているのがデボラ(エリザベス・マクガヴァン)です。再会したタイミングでバンドにアマポーラを演奏させるのがファットモーの粋な計らいです。
今や劇場で踊る身分になったデボラは出所の日を待ち構えていました。いちゃつく二人をしつこく引き剥がそうとするマックスが怪いですが、デボラは「ママが呼んでる」と色々お察しです。
流石後にはホモ臭い使用人を何人も抱える伯爵夫人になっただけの事はあります。マンコントロールの原則を心得ています。あの家の使用人は奥さんのブレーキが無いとえらい事になりそうですが。
ヌードルスはデボラと引き剥がされて今のボスであるフランキー(ジョー・ペシ)を紹介されます。ボスを持たないという信念の為に刑務所に入ったヌードルスは複雑そうです。
もっとも、デ・ニーロとペシは親友ですし、この間はアイルランド系になっていちゃいちゃしていたので八百長です。
ガッツォさんもびっくり
フランクはデトロイトの大物で親友のジョー(バート・ヤング)を連れています。きっとボクシングビジネスを牛耳っているに違いありません。
ジョーは四人にデトロイトでのダイヤ強盗を依頼します。今流行りのNTR趣味(寝取り)の保険屋からイチモツ保険(使えなくなったら保険が降りる)の確認と称して女房を抱かせてもらい、宝石店に勤めるその女房をメロメロにしてダイヤの存在を聞き出したというのです。
顔をハンカチで隠した古典的スタイルで四人は宝石店に押し入ります。本当にこんなベタな隠し方をするギャングがいるんでしょうか?唐草模様の風呂敷を使う泥棒に私はお目にかかったことがありません。
女房が手引きをしてくれるので仕事は簡単です。このキャロル(チューズデイ・ウェルド)は筋金入りの変態で、リアリティの為と称してヌードルスに殴ってもらい、ついでに下の口にも一発お見舞いしてもらいます。
流石にチューズデイ・ウェルドは往年のセックスシンボルだけあって見事です。ナポリ野郎もご満悦でしょう。ヌードルスがお楽しみの間に一行は首尾よくダイヤを強奪します。
マックスは町はずれで車で待っているジョーにダイヤを受け渡しますが、代金を貰うだけもらってなんとジョーを射殺します。
ダイヤの品定めの為のルーペの上から撃って絵面を派手にするのがレオーネです。所詮ポーリーだったというしかない悲惨な死にざまです。
一行は車を蜂の巣にし、近くの羽毛工場に逃げ延びた一人をヌードルスが羽毛の飛び散る中で射殺します。
水属性ヌードルス
ヌードルスは逃げる車中でジョーを殺すことを黙っていたのに怒ってマックスを問いただします。
フランキーの後ろ盾が必要と現実的な理論を展開するマックスに対し、ボスに飼われるのをよしとしないヌードルスはは「明日は俺たちだ」とモンロー主義です。
拗ねたヌードルスは車を海に飛び込ませる奇行に出ます。ヤクザの世界には刑務所に入ると頭がおかしくなる事を指して「ムショボケ」という言葉がありますが、ヌードルスもそうなのでしょう。
けど他の連中も楽しそうです。レオーネにとってこの水遊びは男の本懐という事なのでしょう。
鉄鋼労働者組合のもんだ
場面は原題に戻り、ファットモーの店のテレビにベイリーなる商務長官の汚職を追求していた検事の車が爆発したというニュースが映し出されます。
証人が次々暗殺されているようです。そして長官と癒着しているという労働組合の偉い手のジミー・オドネル(トリート・ウィリアムズ)なる男が映し出されます。ヌードルスはこの男を知っていました。
場面変わって若き日のジミーがグリスをぶちまけられて拷問されています。拷問しているギャングのチキンジョー(リチャード・ブライト)はジミーの主導するストライキを撤回させようと躍起です。
要求を拒絶したジミーはあやうく丸焼きにされかけますが、そこへ社長のクローニング(ジェラルド・マーフィ)が駆けつけてきて止めに入ります。
マックス達が政治家に頼まれて介入し、社長を脅して妥結案を呑ませたのです。組合運動の労使両方にヤクザが付く。少し前まで日本でもありふれた風景でしたが、これは万国共通なのです。
地獄のコウノトリ
一方警察署長のアイエロ(ダニー・アイエロ)はスト破りに警官隊を使ったというので糾弾されています。社長から生まれたばかりの息子に誕生祝いの株を貰ってご機嫌です。
そこでヌードルス達は医者のふりをして病院に潜り込み、新生児室に忍び込んで赤ちゃんを無茶苦茶に入れ替えてしまいます。大量の赤ちゃんが泣く様を天井から大写しにする絵はちょっとヒッチコック風です。
アイエロが息子のおしめを変えようとすると、息子が知らぬ間に性転換していて大騒ぎになります。
そこへ無茶苦茶豪華な部屋からヌードルズが電話をかけて警官隊を引き上げさせろと脅しをかけます。ペギーは秘書役として完全にホモソーシャル軍団の一員です。
アイエロは要求を呑みましたが、パッツィはなんと赤ちゃんの番号のリストを捨ててしまったので適当な数字で誤魔化す事にします。この映画で一番怖い話かもしれません。
変態保険屋
そこへコックアイが表の店にキャロルが居るのを見つけます。呼びつけて皆でハンカチで顔を隠すとキャロルはあの時の連中だと気付きます。
だけど誰がお相手だったかまで覚えてないので、四人は股間の拳銃を御開帳して個体識別をさせようとします。今時AVでも廃れたイチモツ当てクイズです。後ろでペギーがちょっと複雑な表情をしているのが何とも言えません。
マックスやヌードルスといい感じになってしまうキャロル。なんと毎週亭主と一緒に来て、キャロルが客を取るのを除いて楽しむそうです。レベルが高すぎます。
しかしヌードルスは先約があるらしく、「そんな趣味はない」と一人何処かへ行ってしまいます。
取って付けた
久々にデボラの登場です。ヌードルスと海辺のレストランを貸し切ってあいびきです。実にデ・ニーロっぽいやり方です。健さんや文太兄ぃではこうはいきません。
デボラはハリウッド進出をヌードルスに打ち明けますが、ヌードルスは「マックスみたい」と意味深な事を言って渋ります。ロマンチックな音楽を奏でる楽隊が気まずそうです。
そして踊りだす二人。デニーロの身長が低い(177cm)のがデボラ(175cm)との対比で見えてしまいます。
そして浜辺でいちゃつきながら刑務所で死んだドミニクとデボラの事ばかり考えていたとカミングアウトします。
そして過越の日に呼んでくれた雅歌を読んで愛を語らいますが、デボラは明日ハリウッドに行ってしまうのです。
ヌードルスは格好つけても所詮ギャングなので、帰りの車でデボラを犯しちゃいます。運転手が実に気まずそうです。
汽車で旅立つデボラをヌードルスはのこのこと見送りに行きますが、デボラはカーテンを閉めて冷たい態度です。そして長い映画につきものの休憩に入ります。
柄にもなく取って付けたロマンスにレオーネが濡れ場で埋め合わせをしたように見えるのは、私の眼が腐っているからでしょうか?
わりゃあ黙っとれ
傷心のヌードルスがオフィスに戻ると、マックスは教皇の使っていた玉座なる胡散臭い代物に座って寛いでいます。ヌードルスにとって腹立たしい事にキャロルと一緒です。何気にコックアイの笛も豪華なアンティーク仕様になっています。
ヌードルスがどっか行っている間に組合の交渉は首尾よく終わったらしく、ジミーから礼金をせしめています。
ヌードルズは自分抜きで話を進めたのに不満を述べますが、アヘン窟でデボラデボラと喚きながらラリっていたのです。
女の問題を仕事に持ち込むなとマックスは叱りますが、ヌードルスに逆に変態保険屋と別れてマックスの愛人に収まったキャロルの事を突かれ、マックスはブチ切れてキャロルを追い出してしまいます。これはBL的にキーポイントなので覚えておいてください。
組合員をなめんじゃねえ
そこへ"綺麗な手の"ジミーから演説の護衛を頼む電話学科ってきますが、そこへコックジョーにお馴染みのトンプソンで襲撃されて足を撃たれてしまいます。
抗争の始まりです。逆にコックジョー達が社長に謝礼を貰っているところに殴り込み、これまたトンプソンでコックジョーたちを蜂の巣にしてお返しです。棒立ちの社長だけ無傷というのが実にレオーネです。
社長は全面降伏し、ジミーの病室でヌードルスたちはシャンパンでお祝いです。ジミーはギャングの怖さを思い知るとともに、ズブズブの仲になるわけです。
黒幕のシャーキーという議員も同席していて、もう禁酒法も長くないと警告します。しかし、そこには新しいビジネスチャンスが転がっているのです。
密造酒の取り締まり用のトラックが大量に払い下げられるので、組合の後押しで運送業をやろうというわけです。だからアメリカのトラック協会は恐いところなのです。
しかし、ヌードルスはこれに乗り気ではありません。露骨にいじけています。ヌードルスと痴話喧嘩の末に決別します。
シャーキーは「邪魔な荷物をしょい込むな」と無責任に焚き付けますが、ヌードルスは大胆にも「捨てる時は言ってくれ」と言い残して去っていきます。
慌ててマックスが追いかけて、「俺も海が恋しくなった」と三度海に飛び込もうと持ち掛け、二人仲良くマイアミへバカンスに出かけます。
ギャングの大勝負
恐ろしく能天気なマイアミのビーチで二人は愛人を侍らせてバケーションです。ここで突然現れるのが冒頭で殺されたイヴです。
新聞が届けられると突然ビーチ専属のバンドが賑やかに演奏を始め、急に騒がしくなります。
禁酒法が廃止になることが決まったのです。キャロルを払いのけて俄かに真剣な顔になるマックス。
ヌードルスはトラックの件に結局同意して転向の時期を相談しようとしますが、マックスはなんと銀行強盗で最後の大勝負を仕掛けようとします。
「狂ってる」と至極尤もな見解をヌードルスが述べるとマックスはブチ切れます。しかし、マックスこそ悪い薬をやってるとしか思えません。
禁酒法の葬式
ここで単なる変態オメコ芸者と思われたキャロルが初めてまっとうな仕事をします。こんな計画は上手く行くはずがないとヌードルスに止めさせようとします。
近頃はマックスは計画ばかりでちっとも構ってくれないという動機がオメコ芸者ですが、仲の悪いのを承知でヌードルスと手を組んで計画を阻止しようとします。
適当な微罪で全員刑務所に入ってしまえば計画は立ち消えになるというのがキャロルの考えです。
そして最初の方で出てきた禁酒法の葬式パーティがしめやかに執り行われます。パッツィとペギーが良い感じになっているのがほほえましいですが、ヌードルスは最後の酒の搬出に向かう三人の事を警察に密告します。
なんだか様子のおかしいヌードルスがマックスは心配そうですが、「お前をやっぱり捨てるべきかもな」と嫌味を言ったもので「狂ってる」と言われ、再び激怒してヌードルスに殴り掛かります。
マッドマックス
再び現代に戻り、ヌードルスは件のベイリーの財団を訪れます。そこには婆さんになったキャロルが。マックスの父親は精神病で、マックスは父親同様発狂するのを恐れていたというあんまり必然性のない事実が語られます。
精神医療を後援するベイリー財団の記念写真にはデボラが後援者として映っています。色々察したヌードルスはデボラの元を訪れます。
今やハリウッドスターのデボラですが、まだ結婚していないようです。しかし、この件についてデボラは言葉を濁します。
マックスはベイリーのパーティに招待されたそうです。行くかどうか決めあぐねています。ヌードルスはベイリーとデボラは知り合いのはずだと迫りますが、デボラは激しく取り乱してはぐらかします。
デボラは今やベイリーの愛人に収まっているのです。デボラはパーティに行かないように勧めますが、デボラの息子のデイビッドがマックスそっくりなので何もかも悟ってしまいます。
しかもデイビッドというのはヌードルスの本名です。これで察しが付かないようではギャングなど務まりません。
Once Upon a Time
パーティーに行くと果たしてベイリーは名前を変えたマックスでした。何も知らずにのんきに彼女といちゃつくデイビッドをしり目に思いつめた表情です。
デボラの警告を聞くはずもなく、ヌードルスはパーティにやって来ました。久しぶりの対面です。マックスは警察を抱き込んで替え玉をトラックに載せて難を逃れたのです。
マックスがヌードルスに渡した金は殺しの依頼の為でした。ターゲットはマックス自身。もはや汚職絡みで消されるのは明白なので、ヌードルスに殺してほしいというわけです。
隠し扉の出口まで用意してマックスは殺される気満々ですが、ヌードルスはこの依頼に応じません。
メインテーマに乗せて過去の思い出がフラッシュバックする中、ヌードルスはあくまでマックスの頼みを拒絶します。思い出の懐中時計まで持ち出して「裏切者に復讐しろ」と執拗にマックスは迫りますが、ヌードルスは良い友情だったがお互い不運だったと言い残して隠し扉から屋敷を出ます。
ヌードルスを追って屋敷を出たマックスは、たまたま通りかかったごみ収集車に身投げします。ゴミを細かくするためにスクリューの付いた禍々しい奴にです。
まさかのオチ
すれ違いにパーティーの一行を乗せたオープンカーが走り去っていき、場面は再びアヘン窟に戻ります。アヘンを吸い、にやけるヌードルスの顔が大写しになって映画は終わります。
この意味深なラストシーンから、この後の事はヌードルスがアヘンでラリって観ている夢という説があります。
まさかこの映画史に残る金字塔が夢オチとは考えたくない話ですが、レオーネはこの映画に気合を入れ過ぎて命を落とし、全ては藪の中です。
BL的に解説
宝塚と映画
今作は先日宝塚で舞台化されて上演されました。宝塚は結構好きですがチケットが手に入りづらいのでなかなか見に行けません。
こういう翻案をやらせたら昨今の腑抜けた実写化映画とは比べ物にならない良い出来なのはよく知っています。
そして、ここで覚えておいていただきたいのは、宝塚がやった映画は大抵ホモということです。
オクラホマ=ホモと世界に示した『愛と青春の旅立ち』、ソダーバーグの代表作『オーシャンズ11』、ヴィトーの小姓が主演の『エデンの東』、弟が観に来たという『紫禁城の落日』は明らかに『ラストエンペラー』に乗っかっています。
その他『スパルタカス』『幕末太陽傳』『華麗なるギャツビー』『雨に唄えば』ちょっと思いつくだけでこれだけあります。探せばもっとあるでしょう。
ホモソーシャルに文句を言う人は揃って口をつぐみますが、そもそも宝塚というのはホモソーシャルの極致なのです。オスカルが剣を振り回して暴れないのが不思議なくらいです。
しかし、これ以上突っ込んだ話をすると尖ったヤスリを突っ込まれないとも限らないので、本題に入らせていただきます。
ヌードルス×マックス
二人は初めて会った時から既にデキていたと言ってもいいレベルです。警官相手に夫婦漫才を披露し、警官がペギーを買ったのをネタに強請って二人一緒に童貞を捨てます。マックスが童貞かどうかは定かではありませんがこれはこの際些細な問題です。
今作は映画史上稀にみる間接ホモセックスの大安売りです。ペギーはコンドーム…ではありませんね。彼らの大切な仲間なんですから。
しかし、少女時代のスケベボディのペギーに飽き足らないヌードルスはデボラにちょっかいをかけに行きます。しかし、あと一押しという所で桃太郎侍並みの完璧なタイミングでマックスが阻止します。
そして男だけの世界(ペギーは可)にヌードルスを引き戻そうとしますが、ヌードルスはデボラに未練たらたらです。
しかし、そこへバグジーたちが襲ってきます。そして金的を食らい、男として当分物の役に立たなくなってしまうのです。
ヌードルスはデボラに癒しを求めますが、尻軽のくせに堅物のデボラは応じてくれません。ここでヌードルスとマックスは傷口を舐め合う仲になり、固い絆で結ばれたのです。
密造酒の回収で海に飛び込んだのももはや入っていないだけでセックスです。『ロッキー3』と何も変わりやしません。この快感に病みつきになり、ヌードルスは何かというと海に固執するようになりました。
そして刑務所に入ったヌードルスをマックスはかけがえのない恩人として迎えに行きます。金もばっちりヌードルスの分を残していますが、そんなのはオマケです。愛は金で買えないのです。
売春婦を乗せてきて「中でカマになったわけじゃねえだろ」というのはマックスの切実な心配です。NTR大好きの変態愛人を抱えていたくせに寝取られるのは嫌なのです。
そして断られましたが自分もお相手してもらおうとします。初体験が間接ホモセックスであったことがマックスのセクシャリティを決定付けたのです。
ヌードルスの方も満更ではなかったのは、自分から海に飛び込んだのを観ても明らかです。だからこそマックスがボスを持ったことに激しく反発したのです。その気にさせておいてそれはないだろうという男のジェラシーです。
だからこそジョーを殺した後再び海に飛び込んだのです。俺たち特有のプレイで思い出させようという趣向です。パッツィとコックアイも公認です。
また、その後キャロルと再会してマックスと一緒にという申し出を断ったのはマックスとしては非常につまらなさそうでした。まだデボラなんかに入れ揚げやがってと思っていたのはその後の冷たい対応からも明らかです。
しかし、ヌードルスがデボラの事を思ってラリっていたのをコックアイが馬鹿にするのは許しません。独占欲が強いのです。手前は笛吹いてろ。俺たちはファゴット(ゲイのスラング)だという強烈な意思表明です。
そしてキャロルを追い出します。キャロルなど所詮は間接ホモセックスの媒体に過ぎないのです。
教皇の玉座なんぞに座っていたのも意味深です。神父さんはカットを命じたい事でしょうが、教皇なんて三分の二くらいはゲイです。歴史が証明しています。あんなものに座ればマックスがヤンホモと化していくのは当然です。悪徳と頽廃に身体が蝕まれていきます。
ヌードルスの方もデボラを失って段々こじらせていきます。シャーキーという政治屋まで介入させたマックスの行いは傷心のヌードルスには許せない事実です。
だからこそヌードルスは自分から捨てられに行く構ってちゃん戦術を取ったのです。そして再び海没プレイにマックスを引きずり込むことに成功するのです。
賢者モードに入ったのかヌードルスはトラックの件を冷静に考え直しますが、逆にマックスはのぼせ上って銀行強盗なんてぶち上げてしまいます。
そこらの郵便局ならともかく、狙うのはアメリカの日本銀行に当たる連邦準備銀行です。成功すればマックスとヌードルスはギャングの歴史に永遠に名を残したことでしょうが、無謀すぎます。恋は盲目なのです。
キャロルはこの頃ちっとも相手にしてくれないとこの話を壊そうとしますが、マックスが相手にしないのは当然です。彼にとってヌードルスとデカい事をやる方が大事だからです。オメコ芸者、わりゃあ黙っとれというわけです。
そしてヌードルスはイヴにタマ握られてビビってるなどと吹聴します。マックスにとってイヴなど許すことのできない存在です。ファットモーは助かったのにイヴは簡単に殺されたのはマックスの嫉妬心の産物です。
そしてマックスは密告します。ひとえに仲間達を守る為です。ヌードルスにとってはパッツィやコックアイだって大事な存在です。
しかし、事前に計画を察知したマックスは車を爆破します。パッツィやコックアイはもはやマックスにとってコンドームでしかなかったのです。
半殺しにされたファットモーやパッツィと引っ付くのが既定路線だったペギーはどうなるんですか。しかし、もうマックスにそんな事を考える余裕はなかったのです。
しかし、残ったデボラは愛人にしました。最愛の男の最愛の女にヌードルスの影を見るのは間接ホモセックスに病みつきになったマックスなら当然です。
息子にデイビッドと名付けたのはホモカップルの最上の愛情表現です。しかし、マックスも悪行のツケを払う日が迫ってきます。
そこでマックスはヌードルスに殺してくれとせがむのです。愛するお前に殺されたい。井原西鶴の『男色大鏡』の世界です。
しかし、ヌードルスとマックスの愛の形は全く違うものになっていました。ヌードルスにとってマックスを殺すことなど考えられないのです。
悲しいすれ違いの結果、マックスは当てつけがましくごみの中に身を投じて消えました。これが愛でなくて何でしょうか?
ヌードルスの方だって確かにマックスを愛していたのです。やじ馬に紛れて三人の死体を観に行った時の悲しい表情。あれが愛でなくて何でしょうか?
そして夢オチ説を取るならば、ヌードルスがあんな幻覚を見るのは愛あればこそです。二人の愛はアヘンの煙のように怪しく歴史の波に消えていきました。しかし、名画と愛は不滅なのです。
レオーネ×モリコーネ
またこれかと言わないでください。これが私なりの供養です。嫌いな奴のカップリングなんて金貰っても嫌です。
レオーネの監督作品は正式には僅か7本に過ぎません。そして2本目の『荒野の用心棒』からずっとモリコーネとコンビを組み続けました。
二人が組めば絶対でした。だからこそモリコーネはどんなに忙しくてもレオーネとの仕事は断りませんでしたし、レオーネはモリコーネの音楽から画を作る事さえしたのです。
先に出来ていた音楽をかけて撮影は行われました。モリコーネが作った曲だぞ、しっかり活かせというレオーネからの無言のメッセージです。
なのに金勘定しか考えないアメリカ野郎はモリコーネの音楽をカットして無残にもフィルムを切り刻んだのです。
レオーネはモリコーネの音楽をないがしろにされたことを何よりも悲しんだそうです。だからこそ自らディレクターズカット版を作って世に送り出したのです。
そしてレオーネはスターリングラードの戦いを今度は映画にしようと取り組み始めた矢先、今作で精根を使い果たして命を落とします。この映画も絶対にモリコーネに頼むつもりだったはずです。
今頃あの世で二人は続きを作ってるんじゃないでしょうか。私は地獄に行きそうなので観れないかもしれませんが、地獄にも二番館くらいはあると信じつつ筆を置かせていただきます。
お勧めの映画
独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します
エンニオ・モリコーネ追悼特集
『ニューシネマパラダイス』
『夕陽のガンマン』
『さすらいの用心棒/暁のガンマン』
『ミスター・ノーボディ』
『アンタッチャブル』
『ゴッドファーザー』(★★★★★)(これとアンタッチャブルでギャング映画初球は卒業)
『実録外伝 大阪電撃作戦』(★★★★)(ジャパニーズヤクザもお忘れなく)
『ベン・ハー』(★★★)(長くてユダヤでヤンホモ)
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