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第14回 ベン・ハー(1959 米)

 あなたの観てきた映画の中で、最も長かった映画は何でしょうか?七人の侍?アラビアのロレンス?ラストエンペラー?今回紹介する『ベン・ハー』と答える人も多いのではないでしょうか

 そう、長い名作映画は不思議とBL色が強いのです。この理論の為に『風と共に去りぬ』は敢えて挙げませんでした。

 とりわけスケールが大きく、長く、ホモ臭いのが今作です。ユダヤの貴族であるチャールトン・ヘストン演じるベン・ハーが、かつての親友で軍司令官としてユダヤに赴任したローマ人メッサラ(スティーヴン・ボイド)に濡れ衣を着せられて追放され、復讐を誓うドラマと、キリストの生涯が同時進行し、リンクする大スペクタクルです。

 本物のローマ人も驚きそうなほどスケールが大きく、実に上映時間212分という大作です。テレビでやる時は前後編に分割されたりすることも多く、通しで見た事のある人は案外少ないのではないでしょうか?

 特に他の部分は飛ばしても、戦車競走のシーンだけは見ておくべきです。有馬記念なんて目じゃありません。あんな物をどうやってCG無しで撮ったんだと驚くことでしょう。

 そして、何と言っても今作はメッサラのベン・ハーへの歪んだ愛情が全編を貫く大河ロマンスでもあります。何しろ最初からそのつもりで撮られたのです。

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真面目に解説

イエスの顔も三度まで

 実は今作はルー・ウォレスという人物の小説が元になっており、今作以前にサイレント映画として2回映画化されています。特に1925年に作られた2作目は大当たりになり、後から音声が付けられる程でした。

 その2作目に助監督として参加し、既に2回のアカデミー賞を獲得していた巨匠ウィリアム・ワイラーが今作のメガホンを取りました。果たして今作でワイラーは3回目のアカデミー賞を獲得し、映画史に永久に名が残ることになりました。

 キリストを前面に押し出した宗教色丸出しの内容にかかわらず、世界中で大当たりを取り、日本の試写会には天皇皇后両陛下が招かれて天覧上映されたことでも有名です。元現人神が来るんだから半端じゃありません。

 そして、2016年に4度目の映画化がなされましたが、これは1億ドルもかけたのに評判が芳しくなく、日本ではビデオスルー(上映無しでソフトだけ発売)となりました。わざわざベン・ハーとメッサラのホモ要素を排除すると前置きしたのが悪かったんだと思います。

大工の倅の物語

 今作は5分に渡る序曲(習志野高校の応援歌として野球好きにはお馴染み)がまず入り、ユダヤ人が故郷へと追放され、大工がおかみさんと一緒にエルサレム詣でをして故郷へ帰るところから始まります。

 そして天体観測が趣味のおじさん三人が馬小屋でお産を終えた大工のおかみさんに豪華な出産祝いを届けるのです。言わずと知れた大物誕生です。

 以来キリストは顔は頑なに見せないようにしながら要所要所に顔を出してストーリーをコントロールします。私がキリスト教を意識するのは救世軍のバザーに行く時とイエス玉川をテレビで見かけた時くらいのものですが、キリスト教圏の人にはイエスの生涯が描かれるのはとても大きな意味のある事なのです。

 そしてベン・ハーはユダヤ人です。ハリウッドはユダヤ人が非常に多いのは広く知られることですが、何度も映画化されたのはハリウッドのユダヤ閥と決して無関係ではありません。

 え?クリスマスにはキリスト教を意識しないのか?うるせえ、ガレー船に乗せるぞ

ローマ人とキリスト教

 オープニングが明けると西暦26年。メッサラがイスラエルに赴任してきますが、ユダヤ人はローマ人に対して反抗的で、怪しげな宗教に走ってローマの神の像を壊したりするといるというので気味悪がられています。

 曰く「ヨハネとかいう野人が人を川へ突き落す」「怪しげな魔術を使う大工の倅」など、散々な言われようです。当時のキリスト教はこういう扱いをされる胡散臭い新興宗教だったのです。

 そんなユダヤ人をビシビシ取り締まるとイキるメッサラですが、ベンハーが挨拶に来ると途端に親友同士に戻ってしまうのです。ほんの数分のシーンで宗教という物の本質が伺える深い映画です。

ユダヤ人と声

 私は吹替派です。よくテレビで見かける古いバージョンだとベン・ハーは納谷悟朗、メッサラは羽佐間道夫という男性ホルモン爆発の組み合わせです。

 今回参考にしたNetflixだと新しいバージョンで、磯部勉、山路和弘というBLCDには上等すぎるコンビです。ホモの悪役をやらせたら日本一の山路和弘だけあって最高です。

 その他のバージョンも石田太郎-佐々木功とか、玄田哲章-大塚芳忠とか、王長嶋、馬場猪木クラスの組み合わせばかりです。

 しかし、今作は原語で見ると意外な発見があります。ベン・ハーはアメリカ英語なのに、メッサラはイギリス英語です。勿論ラテン語やヘブライ語を喋らせるのは無理な相談ですが、ここにも政治が絡んできます。役者の出身地だけで片付く問題ではないのです。

 というのもベン・ハーはユダヤのプリンスであり、イスラエルをあんな事にしたイギリスの言葉を喋らせるわけにはいかないのです。というわけで、今作のユダヤ人役にはアメリカ英語の役者が集められました。まこと嫌な話ですが、邦画で方言が雑だと怒るのとは重みが違います。

おい地獄さぐんだで

 船というのは自ら乗れば一攫千金ですが、無理やり乗せられると地獄です。

 例えばイギリス海軍の悪名高い水兵の強勢徴募(誘拐)組合や記録者の命さえ転覆する蟹工船、帰りに海に突き落とされて保険金を取られるまでが仕事のマグロ漁船。そしてどれも漏れなく掘られます。蟹工船にはガッツリそういうシーンが描かれています。乗ってる方は儲かりますが見ている方が代わりに損をするのが競艇です。

 その中でも有史以来最も恐れられていたのがガレー船の漕ぎ手です。奴隷や罪人の漕ぎ手はむしろ少数派であったそうですが、それでも19世紀にガレー船が使われなくなるまで、漕ぎ手にするという刑罰は残り続けました。

 自由民が職業として乗り込む分には個人的に貿易などもできるのでお金になったそうですが、ガレー船の漕ぎ手は恐ろしく過酷な仕事でもあり、漕ぎ手より死刑にしてくれと懇願する罪人さえ居ました。

 メッサラにいちゃもんを付けられた挙句ガレー船送りにされたベン・ハーは、1年と持たないのが普通のところを3年も生き延びたというので一目置かれています。成程、死刑の方がマシかもしれません。

 ガレー船の海戦シーンも相当お金と手間がかかっていますが、後の戦車競走に比べるとどうしても見劣りします。船は金がかかるのです。

アラビア太郎

 ベン・ハーのメッサラへの復讐をお膳立てしてくれるアラブ人の族長イルデリムは印象深い人物です。演じるヒュー・グリフィスは本当にアラブ系なので実に堂に入っていますし、この演技でアカデミー賞を獲得しましたが、その一方で「何か偉そう」「一夫多妻」「妻や使用人より馬が好き」と、当時の白人がアラブ人をどう捉えていたか伺えます。『007は二度死ぬ』と大差ありません。

 とはいえ、嫁さんが一人じゃいかんと今なら人権団体が怒り狂いそうな金言をベン・ハーに授け、キリストに会いに行く三賢者の一人のバルザザーを客分として連れて歩き、戦車競走に使う4頭の白馬を我が子のように可愛がり、ベン・ハーをメッサラを打ち負かすべく戦車競走に出場させるお膳立てをし、スタンドで一族郎党を引き連れて応援してくれる実に素敵で太っ腹な御仁として描かれているのでバランスはとれています。ああいう後援者が私も欲しいものです

 今度のレースは勝てると確信し、すっかり調子こいているメッサラの元に乗り込んで賭けを持ち掛けるシーンは圧巻です。アラブ人を馬鹿にするメッサラと取り巻き相手に堂々たる駆け引きで賭け率を2対1から4対1まで引き上げたうえで、1000タラント(1タラントは労働者の賃金数千日分)という巨額の賭け金を引き受けさせます。「アラブ人は商売上手」と白人は恐れていたのも伺えます。

 そして戦車競走出場にあたり、イルデリムはベン・ハーにダビデの星を授けます。戦車競走は宗教戦争でもあったのです。

 当時は勿論イスラム教など影も形もないので、アラブ人は土着の多神教を信仰していました。つまり、ベン・ハーもイルデリムもローマ人に弾圧される立場にあったのです。

 イルデリムの吹替は多くの版で黒人の大物に定評のある内海賢二が務めていますが、古いバージョンでは二代目相模太郎が務めています。

 この人は本業が浪曲師で、怪物くんのフランケンのようなバックボーンを活かせなさそうな役から、いかにもそれらしいサッチモの吹替まで、60年代の映画の吹替ではよく声を聴く人ですが、若くして亡くなりました。

 『兵隊やくざ』に登場する浪曲師の友人によると、彼の師匠は氏の二代目襲名記念の風呂敷を今でも使っているそうです。声優は専業でやるものではなかった時代の映画なのです。声優の専門学校などありませんでした。

華の大戦車競走

 この映画最大の見せ場は何と言っても戦車競走に他なりません。恐ろしく巨大な競技場のセット、スタンドを埋め尽くす群衆、4頭立ての馬車が10台も集まって殺すか殺されるかの潰しあいを展開します。このシーンだけで健さんのヤクザ映画が百本くらい撮れる金がかかっています。

 セルジオ・レオーネはこのシーンは自分が監督したと言い張っていましたが、実際は助監督として携わったというのが本当のようです。だとしても、この経験がモリコーネとの友情と同じくらいレオーネのキャリアに役立ったのは疑う余地がありません。

 ぶつけて転ばせる、ライバルを鞭で攻撃する、その結果人が轢かれて簡単に死ぬ。馬券の収支よりロマンを追求するタイプの競馬ファンが見たら卒倒しそうなバイオレンス極まるパンとサーカスな光景。これがローマなのです。

 何人もぐしゃぐしゃに轢かれ、メッサラも命を落としますが、当時の戦車競走の御者は勝てなくても長く出場を続けているというだけでスーパースターでした。つまり、それだけ危険な競技だったわけです。恐ろしい時代です。

 しかし、キリスト教に入れ揚げて科学を捨てた中世のヨーロッパ人は古代ローマ人の残した建築物を悪魔が作ったと信じたそうですが、CGなしであんな物凄い映像を撮るのは今では不可能でしょう。言うなれば今作はオーパーツです。

 メッサラの「ギリシャ式」なる車輪に刃物が付いたダーティな戦車も注目です、本物のローマ人もあそこまではしなかったそうです。あの男の子なら一度は憧れる頭の悪い発想は『マッドマックス』の先取りとも言えます。

業病の恐怖

 ベン・ハーの母と妹はガレー船の代わりに地下牢に放り込まれます。将軍の養子となって表舞台に舞い戻ったベン・ハーに脅されてメッサラは慌てて出しに行きますが、二人は業病(ハンセン病)に罹っており、隔離所である"死の谷"に追放されます。

 ハンセン病が伝染する類の病気ではない事は今や常識ですが、当時は治す術もなく、天罰だと恐れられていたのです。

 二人はベン・ハーの説得でキリストの磔刑を見に行きますが、道行く人には石を投げられ、盲目の物乞いはそれを聞いてベンハーから恵んでもらった金を捨ててしまいます。

 恐ろしい話ですが、今作の公開当時の人達も似たようなレベルでした。まだ患者が隔離されていた時代の映画です。

 二人はキリストの奇跡で治って映画は万々歳となるのですが、こんな発想に走るからヨーロッパは衰退したのは今や教科書にも載っている事実です。今作の公開当時にそんなことを言ったら撃たれそうですが。

BL的に解説

知らぬはヘストンばかりなり

 この映画は裏設定があります。その物ズバリ「ベンハーとメッサラはデキている」というものです。古代ローマでは同性愛は崇高なものとされていたので何らおかしい話ではありませんが、この要素を巡って脚本家の一人でゲイのあるゴア・ヴィダルはクレジットを外され、裁判沙汰になりました。

 この事実はメッサラ役のボイドには知らされて実に拗らせたホモぶりを見せましたが、ヘストンには話が通っておらず、ボイドは俺に気があるのではないかとヘストンが恐れおののいたという逸話が残っています。

 また、ボイド自身ゲイであったという証言を『ミクロの決死圏』で共演したラクエル・ウェルチが残しています。誘って相手にされなかったというので腹いせの可能性も否定できませんが、若い頃のウェルチに誘われて断るというのは特殊なセクシャリティを持っていたと言われても仕方のない話です。私なら断りません。

 ボイドとヘストンが競技場で仲良くベスパに二人乗りするオフショットも残っています。ワイラー監督のもう一つの代表作といえば何と言っても『ローマの休日』ですから、このほほえましい写真も意味深に見えます。ヘストンが後ろに乗っていますが、多分ボイドがヘップバーンです。

 また、ガレー船のシーンでは囚人たちは腰巻一枚なので、ヘストンの肉体美が余すことなく堪能できます。もしかして、あれはヴィタルの役得であったのではないでしょうか。

ベンハー×メッサラ

 というわけで、この映画はメッサラの男のジェラシーが根幹になっています。メッサラのケツの穴の小ささが何もかもぶち壊したのです。ヘストンは大きそうなのに。

 ユダヤ人をビシビシ取り締まると息巻くくせに、幼馴染のベン・ハーが来るや「ここは元々彼らの土地だった」と前言を翻して百人隊長を理不尽に叱り、抱き合って再会を喜び、槍投げをして遊び、「色を捨てても武運は高く」と大嘘のスローガンを唱え、槍投げをして遊び、十数年ぶりの再会を露骨に喜びます。
 
 二人の政治感は既に相違があり、ベンハーはメッサラへの協力を約束しつつもユダヤ人は皇帝を良く思っていないとズバリ言いますが、メッサラは「片思いも捨てたもんじゃない」と意味深な例えをします。

 しかし、二人の愛はその程度で揺るぐものではありません。腕をクロスさせて乾杯です(韓国ではラブショットと呼ぶらしい)。この後ベン・ハーの股間の槍がメッサラを酔わせたのは容易に想像できます。

 メッサラはベン・ハーの妹のティルザ(キャシー・オドネル)と結婚しそうな流れになります。ティルザは五歳の時からメッサラに恋していたそうですが、メッサラの本命が兄であるのは言うまでもありません。コンドームほどの存在でしかありません。驚くべきことですが、コンドームは古代には既に家畜の内臓で作られていたのです。

 しかし、ベン・ハーはメッサラのユダヤの不穏分子を炙り出す工作への協力を拒絶します。愛で結ばれたベン・ハーが申し出を断るはずがないという計算がメッサラにはあるようが、ベン・ハーは皇帝の側近に取り立てられるという銀貨三十枚ではきかない餌をおまけに付けても応じません。二人は決別します。

 こうなるともう収拾が付きません。可愛さ余って憎さ百倍。メッサラがヤンホモアッピア街道を一直線です。些細な事でいちゃもんを付け、ベン・ハーの一家を追放してしまいます。

 これはリアリティがあります。男同士のジェラシーはネコ(受け)の方が深いのです。刑務所では痴情のもつれによる事件がしばしば起きますが、危険なのは常にアンコ(刑務所用語で受け)であるそうです。

 ベン・ハーはガレー船送りに抵抗し、看守を撃退してメッサラに詰め寄りますが、「君に助けを求めてこんな結果になった」などとメッサラは恨み言をさんざん言い、結局ベン・ハーはガレー船送りになります。

 ちなみに、この時止めに入った百人隊長が駆け出し時代のジュリアーノ・ジェンマです。

 ベン・ハーはガレー船でアリウス将軍(ジャック・ホーキンス)を助けて取り立てられ、戦車競走で活躍して養子に迎え入れられ、ユダヤの地に舞い戻ってメッサラに豪華絢爛な短剣を贈り、五年ぶりの対面を果たします。

 まさか戻ってくるはずのないベン・ハーにメッサラはうろたえますが、逆に恨み言を言い、母と妹が無事なら忘れてやると言い残して去っていきますが、二人は業病です。かくして事態はのっぴきならない方向に進んでいくのです。

 ベン・ハーにこんな姿で会いたくないから死んだ事にしてくれと奴隷の娘のエスター(ハイヤ・ハラリート)は頼まれ、ベン・ハーはそれを信じてメッサラとの戦車での対決に臨むのです。

 そこへイルデリムが一枚噛んで巨額の賭けをするわけですが、メッサラは浴場でジェンマを含む取り巻きのいい男共と入浴中です。どう考えてもメッサラのホモ大奥です。そしてベン・ハーがエスターといい仲になる一方、メッサラの方に女の影は全くありません。何を言わんやです。古代ローマではホモは崇高な一方、子供を作らないのも不道徳とされていたのに。

 メッサラは件のマッドマックス式戦車でベンハーの戦車を削り、ベン・ハーを鞭で攻撃し(これは反則だったらしい)、本気でベン・ハーを殺しにかかります。もはやどちらかが殺すしか決着はないのです。何と悲しい恋物語でしょうか。

 しかし、勝ったのはベン・ハーでした。メッサラは後続の戦車に轢かれてボロボロになり、すぐ足を切断しないと死ぬという状態になります。しかし、ベン・ハーに情けない姿を見せたくないと手術を拒絶し、ベン・ハーに母と妹の件の真相を告げて息絶えます。

 最後までイキり倒してメッサラは死にました。しかし、最後に命と引き換えにベン・ハーと対面し、真相を話すのです。あまりに重すぎる1000タラントの恋です。これを観ずしてBLを語ってはいけません。

ベンハー×アリウス

 メッサラに隠れがちですが、ベン・ハーはモテモテです。ガレー船でアリウスは漕ぎ手に落ちたベン・ハーをどういうわけか気に入り、マケドニアとの艦隊との決戦を控えて寝室にベン・ハーを呼びます。

 アリウスは剣闘士や戦車競走のタニマチで、ベン・ハーをスカウトするつもりで呼んだのです。しかし、そこに下心があったとしたら?

 相撲のタニマチには不純な動機の持ち主が相当数紛れ込んでいるのは有名な話です。実際剣闘士や戦車競走の御者はそういうアルバイトをしていました。雇い主の性別が不問なのは言うまでもありません。

 ベン・ハーはメッサラへの復讐の事しか頭にないのでこの申し出を断りますが、アリウスは漕ぎ手をつないでいる鎖からベン・ハーだけ外します。未練たらたらです。

 船は沈み、アリウスは海に落ちてしまいますが、ベン・ハーに助けられます。負けたと思って自殺しようとするアリウスを気絶させて阻止するベン・ハー。助けられてみれば海戦は大勝利と告げられます。アリウスの軍人としての手腕は怪しいですね。

 「お前の神はローマ艦隊まで救ってくれたと」大喜びのアリウス。同じ盃で水を飲み、同じ戦車に乗って皇帝の元に凱旋。皇帝の肝煎りでベン・ハーを奴隷として貰い受け、戦車競走で大活躍したベン・ハーを養子にします。

 親子盃、車でデート、歳の差ゲイカップルの定番の養子縁組とフルコースです。しかもアリウスは亡くなった息子の影をベン・ハーに見ています。ガレー船の排水量より重い愛です。ベン・ハーは乗るのが大得意なのです。

イルデリム×メッサラ

 アラビア=ホモフォビアと連想する方も多いでしょうが、当時は別に同性愛は悪いことではなく、イスラム教の普及した後もむしろヨーロッパ人がビビるほど盛んでした。

 風向きが変わったのは王様がイギリスに留学するようになってからです。ホモ養成所のパブリックスクールで何を学んだのでしょうか。それに考えてみてください。彼らは石油王の先祖なのです。

 というわけで、奥さんが七人も居るイルデリムが男を知らないとは考えにくい話です。真面目パートでアラブ人へのステレオタイプを指摘しておいてなんですが、石油王=ホモレイパーはBLの世界では常識です。

 そしてイルデリムは戦車競走で負け続けのメッサラを激しくライバル視しています。俺の最愛の馬たちを、アラブ人を馬鹿にするあの若造の鼻をあかしてやるというのが行動原理になっているのです。

 当時のローマ帝国の総督の年収が大体100タラントくらいであったそうです。メッサラが4対1の賭け率で1000タラントという凄まじい賭けに応じたのは絶対の自信の表れです。総督どころか軍司令官に過ぎないメッサラの支払い能力を明らかに超えています。

 逆に1000タラント持って来れる豪商でもあるイルデリムがその程度の事がわからないはずがありません。メッサラが生還して負け分を払う場合、どうするつもりだったのか。そう、身体で払わせるに決まっているのです。

 イキり倒していた美しい雄を屈服させる。男の本懐であり、歴史上何度も繰り広げられてきた光景です。アレキサンダー大王も、チンギスハンもそうしました。アラブは征服される側だったのは内緒です。

 キャラバンは常に盗賊の襲撃の危険が伴うため、最も強い男がリーダーとなりました。つまりイルデリムは百戦錬磨の戦士でもあるのです。

 かくして種付けされ、8人目の妻となったアラブの牝馬メッサラ。乗り心地は最高でしょう。こういうifルートも想像できるようになればあなたもBL的映画鑑賞の上級者です。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し

『ローマの休日』(1953 米)(★★★★★)(同じ人が作った不朽の名作)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984 米)(★★★★)(同じ人が作ったユダヤ人の物語)

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 1000タラントとは申しません。お気持ち程度で結構です

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