第21回 夕陽のガンマン(1965 伊)

 さて、女性が観なさそうで尊いジャンルはまだまだあります。今度は古き良きアメリカの建国神話、西部劇です。

 ガンマンは銃と開拓者精神のみを頼みにし、西部の荒野を切り開き、あるいは賞金首を打倒さんと追いかけるのです。そこには昔のアメリカの白人が理想とする男の中の男の情念があります。それはつまりBLなのであります。

 西部劇にはジョン・ウェインら男の中の男がホモホモしながら開拓者精神で苦難を乗り越えていく古典的なものと、クリント・イーストウッドらならず者が金!暴力!SEX!の合間にホモホモしながらドンパチするマカロニウエスタンに大別されます。

 今回紹介する「夕陽のガンマン」はマカロニウエスタンの初期の傑作であり、天下のイーストウッドの出世作です。セルジオ・レオーネ監督の斬新な表現手法、エンニオ・モリコーネによるこれまた見たことはなくても聞いたことのある印象的な音楽、ホモ抜きでも見て損はさせません。

夕陽のガンマンを観よう!

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真面目に解説

西部劇配信されない問題
 西部劇という大鉱脈がありながら、ここまで紹介せずに来てしまったのにはこういう理由があります。とにかく西部劇は配信が少ないのです。

 このレビューも随分初期に書いたものですが、その辺の問題で踏ん切りが付かず塩漬けになっていました。作風がちょっと違うのはそのせいです。

 ジョン・ウェインの白黒作品なんかは著作権が切れているのでちょいちょい配信されていますが、新字幕新吹替(それも時に酷い出来の!)なのが不満です。字幕や吹替は映画の一部なれば、ここに妥協したくないというのが私の考えです。

 というわけで、西部劇が観たいときは開拓者精神を発揮してTSUTAYAとかに借りに行くより手段がない場合が殆どです。最もBL的でありながらこのnoteのコンセプトに微妙に合致しない悲しいジャンルです。

吹き替え派の言い分
 私は洋画は吹き替え派です。DVDなら字幕も表示させながら見ますが。

 サイレント映画の時代、活動弁士という職業がありました。日本独自のもので、スクリーンの横でリアルタイムで映画の解説をする人です。

 実は執筆時点で「カツベン」はまだ観に行っていないのですが、活動弁士付きの無声映画は機会あらば見に行きます。そこでわかるのは、同じ映画でも弁士が違うともはや別物であるということです。つまり弁士に映画の面白さが左右されるということであり、その為日本は技術的問題ではなく実利的観点から諸外国より無声映画が遅くまで作られ続けました。

 吹き替えというのは活動弁士の延長線上にあると私は思っています。吹き替えの出来如何で映画は面白くもつまらなくもなるのです。例えば話題性先行でキャスティングされた残念な吹き替えがある一方、字幕で観るのはもはや考えられない映画というのも沢山あります。「コマンドー」や香港映画を字幕で見る人はそういないでしょう。

 特にBL的観点に立った場合、洋画は吹き替えで観る方がいいと私は考えます。誰が吹き替えたかが想像力を増幅させます。

 今作の場合、最も手に入りやすい版ではモンコはお馴染みの山田康雄、大佐は納谷悟朗、インディオは小林清志が吹き替えています。名前を見ただけで男性ホルモン爆発です。組み合わせが組合せなので若干ルパン三世を観ている気分になりますが。

 そして新しい版だと山路和弘、有川博、谷口節となります。アニメ畑の人達とはまた一味違う、吹替畑の声優の重厚でホモ臭い声と演技が炸裂です。

 酒飲みは指をしゃぶりながらでも一升飲むなどと申します。腐女子(男子)ならキャスティングだけで十分いけるでしょう?そういうことです。そこは無限のフロンティア。開拓しない手はないのです。無論、先住民(字幕派)も尊重しますが。

 しかし、悲しいのはネット上で配信されるものはいずれも字幕版であることです。


マカロニウエスタンというジャンル
 60年代から70年代にかけてイタリアで盛んに作られた西部劇
を総称してこう呼びます。凝らなければ低予算で制作でき、スペインあたりへ行けば丁度いいロケ地が沢山ある事から盛んに作られました

 それ以前のハリウッドで作られた古典的西部劇には古き良きアメリカへの憧憬、開拓者精神、勧善懲悪といった分かりやすいコンセプトがベースにありました。

 しかし、マカロニウエスタンは良く言えば娯楽的、悪く言えば荒唐無稽で下品な作りになっています。

 およそマカロニウエスタンというジャンルでイメージされるものはすべてこの映画に備わっています。ダークヒーローなガンマン、外道なギャング(メキシコ人多め)、必然性のないお色気と暴力。今作はお色気は控えめでしたが、こんなところに来る人にとってはコンドームほどの値打ちもないからいいでしょう。

 ちなみにマカロニウエスタンというのは和製英語で、他の国ではスパゲッティウエスタンと称します。マカロニに変えたのは私の尊敬する淀川長治氏です。

 スパゲッティでは弱そうというのが表向きの理由ですが、中身が無いという皮肉が込められているとも言われています。

 しかし、マカロニには中身はなくても穴があるのです。淀川先生がゲイであったのは公然の秘密であり、カリフォルニア州知事がお気に入りなのも有名です。穴があって強い、それがマカロニウエスタンです。


ドル箱三部作
 この映画はそう呼ばれる三部作の二作目です。一作目が『荒野の用心棒』、三作目が『続・夕陽のガンマン』ということになっています。儲かったからではなく、前の二作の原題にドルが入っているからこの名前です。

 しかし、実はこの三本はストーリーに直接の関係はないのです。配給会社が勝手に三部作ということにして纏め売りをしたのです。

 すなわちスティーブン・セガール主演なら全部「沈黙の~」であり、マイケル・ホイなら全部「Mr.Boo」であり、巨大隕石が降ってきそうになれば全部「アルマゲドン」なのと同じ理屈です。これらは日本に輸入される際に勝手にやったことですが、この三部作についてはアメリカで行われました。つまり日本人もアメリカ人も考えに大差はないということであります。出羽守はいけません。そして私事ですが、こういういい加減な邦題は正直大好きです。

 もしこの作品を見て気に入ったなら、どう気に入ったにせよ残りも見るべきです。強くお勧めします。BL的には続はもっと凄いです。


魅惑のコルトSAA
 団塊の世代のおじ様方は皆西部劇に憧れました。小遣いの許す範囲でモデルガンやガンベルトを買い込んでは、ガンプレイを必死で練習したのです。嘘だと思うならあなたのお父さん(お祖父さん)に聞いてみて下さい。少なくとも、友達にはそういう奴が居たはずです。

 ここで注目したいのは、西部劇の銃は役回りを示す分かりやすい記号としても機能してることです。コック帽の如く役の重さと銃身の長さは比例します。雑魚(ヤクザ映画同様どの映画でも大体同じ顔ぶれ)は大抵短い4.75インチ、もうちょっと強い奴になると5.5インチ、ボスや主人公は大抵長い8インチか、何か特別な銃を使用します。

 インディオの銃は8インチ、モンコの銃はグリップに蛇の装飾が付いていて、大佐の銃は超長銃身でストック付き。まさにこの法則に一致します。

 余談ですが、こういう銃は往々にしてエアガンやモデルガンになって売り出されます。大抵リアルタイムで観たおじ様でないと手が出ないような値段ですが…

 あの懐中時計もレプリカで売り出されています。ちなみにこの時計から流れる曲は「ガンマンの祈り」という題が付いています。


その口は煙草を吸うため
 とにかく台詞が少ない映画です。特に前半のモンコと大佐はちっとも喋りません。だからこそ一言一言が重いのです。レオーネ一流の演出と言えましょう。

 一方、煙草が非常に印象的なアイテムとして用いられます。いまや創作の世界でさえ喫煙者は許容されなくなりつつあることを考えれば隔世の感があります。

 大佐はお洒落なパイプ、モンコは葉巻、そしてインディオはマリファナ。このチョイスだけで三人のキャラクターが際立つのです。吸わない人にはちょっと思いつかない妙手です。

 ちなみに実際の西部開拓時代は煙草は高価で入手の面倒な贅沢品で、大抵の人はそこらの大麻草を自分で干して吸っていたそうです。なにしろフロンティアは無法地帯ですからね。


インディオの魅力
 モンコと大佐に目が行きがちですが、むしろ私が推したいのはインディオのインパクトです。演ずるジャン・マリア・ヴォロンテは元は舞台役者なので、演技がオーバー過ぎると撮影中もしばしば注文が付いたそうです。あれで抑えているなら素はどんななんだという話でありますが。

 いつもラリッてて凄腕。不気味な迫力と狂気とカリスマ。悪役が単なる的では名画はできないのです。

 ちなみにこの人はこの作品での演技が認められてイタリアを代表するスターになるのですが、西部劇だろうと現代劇だろうとこういう役ばかりです。つまりあれは他の人に真似できないということでもあります。それはとても大事なことです。

BL的に解説

大佐×モンコ
 この二人の攻め受けには悩むところですが、私はとりあえずこっちで行きます。大佐は知的で経験に富んだ高名な賞金稼ぎでありますが、その一方で妹の仇をいつまでも狙う熱いハートの持ち主です。

 一方モンコは野心に燃えた駆け出しで、金が出来たら土地を買って引退なんて夢を語っちゃうようなちょっと「青い」所が魅力です。

 そしてモンコは通称であり、本名は設定されていませんし誰も知りません。モンコとはスペイン語で片腕という意味であり、銃と馬を扱うとき以外右手を使わないことに由来します。当時はそんな言葉はなかったですが中二病も入っています。

 「お前は右腕を使わないらしいが、夜もそうかな?」とか言って大佐と夜のガンプレイに興じる絵が浮かびます。イーストウッドはそもそも受け属性があると思うのは私だけでしょうか?

 
インディオ×モンコ
 この二人もいい。最初から賞金稼ぎだと気付いていたとインディオは言いますが、果たして本当でしょうか?

 インディオがモンコの葉巻からマリファナの火を貰って仲間に迎え入れるシーンは問答無用でホモ臭いですし、大佐の撃った傷を戦った傷と決めるのも根拠に乏しい。少なくとも途中までは本当に気に入っていたとしか思えません。


インディオ×手下
 この作品の「大トロ」はここだと思います。インディオ一味はハッキリ言ってインディオのホモハーレムです。お前らどんだけインディオが好きなんだと突っ込みたくなります。きっと突っ込んで突っ込まれてしてます。

 だって何故一人ではなくニーニョと金を持ち逃げしようとしたのか。二人はデキていたからです。他に筋の通った説明ができません。ラリって寝てしまうインディオをニーニョが寝かしつける大変意味深なシーンもあります。もう完全に夫婦です。

 そしてグロッギーは何故インディオの陰謀に気付いたのか。インディオが好きだからです。ニーニョを殺したのはジェラシーです。とんだヤンホモがいたものです。

 いずれにしても一味は皆死にました。地獄で再開して盛っている事でしょう。

ナマモノ注意

レオーネ×モリコーネ

 映画でスクリーンだけ見ているのは損です。こういう所を見逃してはいけません。エンドロールまで見るのが本当の映画好きとよく言いますが、私は実利的観点からもこのスタンスを支持します。

 二人は幼馴染であり、この作品で初めてコンビを結成し、以後この名コンビはレオーネの死まで続いたのです。

 二人はプライベートでも親友であり、モリコーネの曲が先に出来て、そこからレオーネが画を作るという普通では考えられない作劇もしばしば行われました。普通の仲ではありません。

 そしてモリコーネは大変な愛妻家として知られますが、それもまた意味深です。大の愛妻家である一方で男癖の悪かった名指揮者バーンスタインは、奥さんに男遊びを咎められて「ゲイ術家は皆ホミンテルン(ホモ+コミンテルン)だ」というホモは文豪としか言い様のない申し開きをしたのは有名です。

 モリコーネは左翼支持者としてもまた有名です。ホミンテルンである可能性大です。現にそういう映画の音楽も随分手がけています。

 そして前作「荒野の用心棒」は黒澤明の「用心棒」をパクったというので騒動になったのは有名であります。そして黒澤明がゲイであったという噂は古くから根強くあります。どこまででもこのホモの山手線ゲームは連ケツ可能ですが、後々の事もあるのでこの辺にしておきます。

 かように裏方まで読み解けば映画は二重三重に楽しめるのです。何と言ってもこういう開拓者精神こそがBLを進化させてきたのですから。

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