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第96回 じゃりン子チエ(1981 東宝)

 夏休みであります。私にはもう関係の無い話ですが、夏休みになれば映画番組のラインナップも変わります。つまり、子供向けの映画がラインナップされます。

 全ての映画館をハッテン場にするという壮大な野望を掲げているこのnoteが果たしてこの流れに乗らなくても良いのだろうか?ならとりあえずやってみるべきです。

 というわけで、本レビュー初のアニメ映画でお送りします。関西人のソウルアニメーション『じゃりン子チエ』です。

 大阪西成の崩壊(?)家庭を面白おかしく描いた異色作であり、関西人のDNAに内容が刷り込まれている歴史的傑作であり、高畑勲の真の代表作です。駿にこれは作れません。勲だから出来たのです。

 これ一作で議論の余地なき巨匠に上り詰めたはるき悦巳の誰にも真似できない原作を完全再現し、声優は吉本の精鋭。観て絶対に損をしない事を約束できる一本です。

 じゃりン子チエでBLは無理だと思っている人は何も分かっていません。この作品はロリショタホモ百合ケモが同時進行する変態の大スペクタクルでもあるのです。これに比べればCCさくらなどは健全です。

 それを証拠に、現代の腐もそうと知らずこの作品の影響を受けているのです。大丈夫。西萩などというのは実質ゲイタウンです。

じゃりン子チエを観よう!

Amazonでは有料配信ですが、U-NEXTではアニメ版は全て視聴できます。原作はkindleアンリミテッドで読める!

真面目に解説

じゃない方とは言わせない

 思えば高畑勲ほど過小評価されている人物を私は知りません。彼はいつも宮崎駿の影に隠れていて、不当に低く見られる宿命を負っていました。

 実際の所ジブリの経営は勲作品の赤字を駿作品で埋める構造になっていたと言われています。世間が「じゃない方」扱いしていたのも確かですし、子供はそう信じていました。

 しかし、大人になってちゃんと観ればそれは大間違いだと気付くはずです。駿に作れない物を勲は作っていたのです。割り切れない現実社会の無常を切り取るのはロマンチストな駿には出来ない芸当と言えましょう。

 とすれば、ジブリという看板から自由になって作った本作が高畑作品で最も輝いているのも合点がいきます。これは誰にも真似のできない偉業であり、金字塔なのです。

人気取りのジレンマ

 こうした作品をアニメにするにあたって一番厄介なのは声です。何しろ全編がネイティブの関西弁ですから、少しの間違いも許されません。方言のおかしい作品は地元から総スカンを食うに決まっているのです。

 その点本作は完全に関西の人々に受け入れられ、テレビ版は毎夏エンドレスで再放送され続けました。寅さんが正月の季語なのなら、チエちゃんも関西限定で夏の季語にしていいレベルです。

 キャストを関西弁を操れる人間で固める事で言葉の問題は解決を見ました。メインキャストは全員がタレント起用で、吉本興業の精鋭が大半を占めています。

 今の基準だとかなり危険な方法です。もし今年この方法を採用したらキャスト発表の30分後には失敗作とみなされてしまうでしょう。

 それが許されたのはやはり名人芸の賜物で、この時代の人気芸人はちゃんと芸が出来ました。まだこの時代は売れる事と舞台に呼ばれる事がイコールだったのです。

 現代の芸人は売れるほど芸をしなくなり、自分では何もしない名義貸しの冠番組を欲しがり、フィルムの無駄としか言いようのない稚拙な映画を撮りたがりますが、当時の芸人はまだ言葉通り芸に生きる人だったのです。

 なので本作に起用されたお笑い界のレジェンド達は後世に誇れる仕事を遺しました。ここで失敗していたらテレビ版など作られません。流石にギャラとスケジュールが厳しいのでテレビ版ではキャストの大半が交代になりましたが、やはり関西出身者で固められています。こだわりの詰まった名作です。

観るホルモン

 名目上の主人公はタイトル通りチエちゃん。小学5年生の竹本チエ(中山千夏)です。彼女が切り盛りするホルモン焼屋が常にストーリーの起点になります。

 ホルモン焼、不思議な食べ物です。大阪に行く度に探し求めますが、未だに実物にお目にかかれないでいます。

 小学生の彼女が店を切り盛りしているというのも、今では考えられない設定です。あれだけ繰り返された再放送が長く途絶えたのは、児童労働云々でコンプライアンス的に不味かったからだという説もあります。

 チエちゃんは下駄と赤いポッチリ(サイドテール)がトレードマークで、無礼な酔っ払いは平気でぶん殴り、誰に頼るでもなく逞しく生きているのです。萌えなどという軟弱な概念は入り込む余地がありません。尤も、ロリコンのガチ度を試すベンチマークとしてチエちゃんが用いられるという話もあります。

 中山千夏に頼んだのはファインプレーでした。何しろ彼女は女傑です。公開当時は参議院議員でしたし。ただ、彼女の本業は何なんでしょうか?一応マルチタレントという事にしておきましょう。

 名目上の主人公というのは、必ずしもチエちゃんがストーリーの中心に居るとは限らないからです。

 原作は67巻にも及びますが、映画版で描かれたのは1.5巻分だけ。その1.5巻分でもチエちゃんが主役で居る時間は半分が精々です。登場人物全てがメインたり得る構成になっていて、これははるき悦己氏の人知を超えた構成力の賜物です。だから誰もがこの作品を名作と認めるのでしょう。

見たってや~

 と一松は言いました。これは本作のパロディです。テレビ版の次回予告この一言で〆られる習いでありました。

 これを言うのがチエちゃんの父親テツ(西川のりお)で、博打と喧嘩に目が無く、チエちゃんを働かせて自分は遊び歩いている危険人物です。

 実際に居たら最悪の人間ですが、全く悲壮感を感じさせない所に本作の絶妙なバランス感覚が覗きます。

 喧嘩は恐ろしく強いのですがチエちゃんを筆頭に主要な登場人物には絶対に勝てないのがお約束で、博打の方はてんで弱く、あらゆるトラブルはテツが引き起こし、あるいはテツが面倒にします。つまり、実質的な主人公です。

 のりお師匠の仕事ぶりは百点満点で、テレビ版でも続投して大活躍です。高畑監督に随分と絞られたそうで、段々と上手くなっていきます。

 特に次回予告は必見です。次回予告だけでご飯三杯いけるタイプのアニメなのです。

聖母あり

 さて、チエちゃんの母親、つまりテツの嫁はんがヨシ江(三林京子)です。最初は家出していて、戻る戻らないの話が映画の前半の軸になります。

 三林京子と言えば文楽の人形遣いの名門の生まれで山田五十鈴の弟子なので大変上品なヨシ江はんを公演していますが、このヨシ江はんこそ作中最強と言われています。

 内田裕也の一番ロケンローな点は樹木希林と結婚していた事だというジョークがありますが、この御婦人はテツの夫なのです。並大抵ではありません。

 ヤクザを前にしてもニコニコ微笑みながら軽くあしらってしまいます。そしてテツは決して彼女に勝てないのです。彼女に接すると大抵の男は参ってしまうナチュラル魔性を持つ女なのです。

 そして洋裁教室の先生だから家出しても自活できるという設定に嫌なリアリティがあります。

 現代ではこの職業で食えるとは思えませんが、当時の洋裁教室というのは衣料メーカーの下請けを兼ねていて、生徒に教えるついでに製品を作らせて卸す事で稼いでいたのです。

 テツとヨシ江はんの複雑な関係は作品の核を成す重要な要素なのですが、残念ながら映画版では復縁に尺の大半が費やされてあまり描かれません。テレビ版を見ましょう。損させません。

この親にしてこの子あり

 テツの両親、おばあはんとおじいはんも大変に重きをなす役です。演じるのは離婚しても終生夫婦漫才を続けた京唄子と鳳啓介。控えめに言って、この2人しかないという絶妙なキャスティングだと思います。

 テツがおじいはんにチエちゃんが病気だから見舞金を寄越せとゆすりをかけるところから映画が始まります。おじいはんは気弱な人物で、本名はコロンボのかみさんのように明かされないのがお約束です。

 そして、それが露見しておばあはんのキクがテツを襲撃し、ブレンバスターで制裁するのです。書いていてなんと無茶苦茶な家族だろうと驚きます。婆さんがグレた息子にプレンバスターです。狂っています。

ヤクザリアル

 西萩というのは早い話が西成の一部なので、竹本家を除く登場人物の大半がヤクザないし半グレ(この世界ではアマチュアと呼ばれる)です。あの地域に欠かせざる住民であるオカマもテレビ版に入るとちゃんと登場します。無茶苦茶に見えて、あの界隈のリアルをこの作品は切り取っているのです。

 テツはヤクザをおもちゃとみなしていて、喧嘩に明け暮れつつ騒動を起こしてストーリーが始まるのです。

 作中最も重きをなすのが「堅気屋」なる賭場を開帳している百合根のおっちゃん(芦屋雁之助)です。しかし、テツは賭場での行儀も悪いので恨まれています。

 結局おっちゃんはある事件を機に足を洗い、腑抜けたお好み焼き屋に転身してレギュラーになります。しかし、酒を飲むとヤクザ時代の凶暴さを取り戻してテツに勝ってしまう美味しい役です。

 アニメでは語られませんが、おっちゃんの実家は大金持ちで、その財力をバックにヤクザをしていた事が分かります。これはファインプレーです。

 こういうヤクザを「旦那ヤクザ」と呼び、今は見られませんが昔はちょくちょく存在したのです。

 とどのつまり、映画だけでは波打ち際、アニメを観ても浅瀬に過ぎず、原作も読もうという話になってしまうのです。

おかしな事になりまっせ

 テツの獲物として更に二人、映画ではあまり活躍の場がないカルメラ兄弟(ザ・ぼんち)が居ます。ただし実の兄弟ではありません。

 兄が元キックボクサー、弟が元トレーナー、つまり義兄弟です。はるき先生は格闘技が好きと見えて、盛んにテーマになります。

 兄弟もやはりテツにのされてヤクザの足を洗い、カルメラ焼屋に転身します。だからカルメラ兄弟です。しかし、現代の基準ではテキヤになっても足を洗ったと見做されないのが哀しい所です。

 この2人に関しては映画ではあまり活躍しませんが、テツの小姓として欠かせない人物であり、原作ではBL的に凄まじい事になります。これは後で詳しく話しましょう。

府警対非組織暴力
 捕まえる側もちゃんと登場します。テツの幼馴染で警官のミツル(上方よしお)です。

 コンビ芸人は作中でもコンビという鉄則が本作にはあるので、テツとミツルがセットなのは公式というわけです。そしてアニメ版でも高畑勲直々の願いでよしお師匠が続投しました。重要な役である何よりの証明です。

 不良だったのにヤクザになりきる前に足を洗って警官になったというのもリアルですが、テツをコントロールしてヤクザの取り締まりに役立てているという設定もまたリアル。これは『県警対組織暴力』とか『やくざの墓場 くちなしの花』の世界です。

 映画では描かれませんが、西成で警官やっているくらいなのでそこそこ戦闘力があり、ヤクザを殴って逮捕するくらいはやってのけるのも美味しいポイントであります。

先生と先生

 この作品の凄い所は、3つの世界が同時進行して複雑に絡み合うところにあります。一つはテツを中心とした大人の世界、もう一つはチエちゃんを中心とする子供の世界、そしてもう一つはこの後で

 大人の世界と子供の世界を繋ぐ役割を果たすのが先生です。そして面白い事にテツとチエちゃんの先生も親子です。

 大先生の花井拳骨(笑福亭仁鶴)は作中最強クラスの人物で、テツとヨシ江はんの仲人でもあります。テツにブレーキをかけ、たまには子供らしく苦悩するチエちゃんにあまり役に立たない助言を授ける重要な役どころ。

 若先生の花井渉(桂三枝)は作中で唯一標準語を話す人物で、常識人枠にしてテツのおもちゃです。アニメ版ではなんと東京出身の音声スタッフが声を当てています。

 この親子は落語家なので流石に上手です。タレント吹き替えだとしても落語家と歌舞伎役者はがっかりされないので、やはり舞台を大事にする人間が勝つという事なのでしょう。

黒い方とじゃない方

 チエちゃんは家庭が複雑なので学校では微妙な立場にあります。いじめはしません。いじめられるのです。これも嫌なリアルです。

 いじめっ子枠に居るのが嫌味なボンボンのマサル(島田紳助)です。今となってはこのキャスティングそれ自体がブラックジョークですが、ジャイアン型ではなくスネ夫型なのがポイントです。

 西成=スラムと非関西圏の人は誤解しがちですが、外れに行くと高級住宅街があります。なのでこんな風に金持ちと貧乏が学校では同居しているのも有り得る話なのです。

 マサルは作者の分身であり、色々と複雑です。そして「腰ぎんちゃく」ことタカシ(松本竜介)と一緒にチエちゃんをいじめてはやり返されます。だとしてもチエちゃんはのび太ではなく、限りなくジャイアンなのです。従来の型にとらわれない作品です。

怒るでしかし

 さて、もう一つの世界がある意味では最も重要な猫の世界です。作中では猫はキンタマをぶら下げて二足歩行をし、高度な知能で道具を使いこなし、人間同様に暮らしています。猫は人語を理解しますが、人間は猫語が分からないのがみそです。

 竹本家に居着いている小鉄(西川きよし)が猫の世界の主役です。議員が2人も出演しているアニメ映画というのは他に類を見ません。

 小鉄はテツより強く、タマ潰しが得意技です。タマを盗られた猫は去勢されるわけで弱くなってしまうのです。これが作中最大のキーになります。

 小鉄はおっちゃんの愛猫アントニオ(横山やすし!)を喧嘩で去勢してしまい、アントニオは弱くなって土佐犬に殺され、敵討ちにアントンJr.が現れて映画は大詰めを迎えます。

 何しろ天下のやすきよがキャスティングされたのですから、重要なのは当然です。正味の話、メインやっちゅうねん。なあキー坊!

 さて、アントニオと小鉄という名前にピンと来た人も居るでしょう。ある人はプロレスを想起し、またある人はタイバニを。だから腐の皆様はこの作品を制覇せねばいけないのです。真面目に読んでもBL的に読んでも抜群です。

BL的に解説

テツは総受け!

 じゃりン子チエでBLなんてと思っている腐は人生を損しています。そのつもりでちゃんと映画、アニメ、原作とチェックすればそのホモ臭さに慄然とするでしょう。そして、この後は原作も一通り読んだ人向けに進みます。

 テツの総受け力は半端ではありません。ヨシ江はんにさえ受けです。テツは喧嘩と博打以外には全くストイックです。酒は飲まない、タバコも吸わない、女に至ってはチエちゃんが生を授かる過程は永遠のミステリーです。

 では、見るからに性欲の強そうなテツはどうやってその性欲を処理しているのでしょうか?男で解消していると考えると面白いわけです。

 喧嘩でヤクザを殴り倒し、興奮でギンギンのテツが言うのです。「こら、ヤクザはムショで散々ホモやっとるやろが。ワシのケツ掘らんかい!」つまり襲い受けです。

 映画では語られませんが、テツと深く関わった男は最終的にカタギになって更生してしまうという設定が徹底されています。これがかなりホモ臭い何かを暗示しています。

 これはつまり、テツがケツの穴から相手の業を吸い取り、一身に引き受けていると解釈できます。テツは西萩の悪を独占しているのです。

 汚らわしいなどと言うのは同性愛差別です。舞台は西成ですよ?あの街でノンケが正しいと思う方がどうかしています。

おっちゃん×

 ガチホモ界隈には先日このカップリングで薄い本を書いた人が居ました。つまり、私以外にもこういう事を考えている人も居るわけです、だから皆様も安心してBLしましょう。

 おっちゃんは角刈りにいかついガタイ、和服に褌、更には妻子に逃げられた過去があり、作中最強と言われる凶暴性を持つ一方でお好み焼き屋という女性的な職業に従事しています。

 つまり強烈なホモ要素を内包しています。これはもう完全にサムソンビデオの世界です。

 そして、おっちゃんはアントニオが殺されて以来すっかり気弱になってテツに弄ばれていますが、酒を一升以上飲むと昔の凶暴さを取り戻してテツを圧倒し、溜め込んだ不満を暴力で清算します。しかも、酔いがさめると酔っていた時の記憶がありません。

 もう何をいわんやです。一升を超えて飲んだ時、私達に見えない所でおっちゃんは叫びます。「テツ!いつもお好み焼きタダで食いくさってからに、身体で払わんかい!」

 テツは殴られながらおっちゃんの股間のマヨネーズを存分にマヨチュッチュして、何もかも忘れて素面に戻ったおっちゃんにまた迷惑をかけるのです。またおっちゃんが一升を呑むその日に備えて。

 そもそも、お好み焼き屋というチョイスがホモ臭いのです。戦争未亡人が自活する為にやる定番の商売だったのですから。

ミツル×

 やはり相方同士がキャスティングされたのですから、これが王道でしょう。テツは鑑別所に学び、ミツルは警察学校に学んだ。どっちにしても上下関係の掟を身体で教えたり教えられたりです。

 ミツルはテツと一緒に悪さをした仲であり、ヨシ江はんを取り合った間柄であり、友人である事で互いに利益を得ています。

 ミツルが捕まえる側に回れる事の出来た根拠は乏しいのですが、テツと思春期の性欲をぶつけ合ううちに悪をテツに吸い取られたて更生したと考えれば合点がいきます。

 ミツルに限らず近所中の若者がヨシ江はんを好きだったのに、テツが射止めたというのもBL的にはテツが掘られる根拠として十分です。「テッちゃん、ヨシ江はんがされとる時みたいにしてみい!くそ!くそ!」ってなもんです。

 テレビ版に入ってミツルは結婚し、お互い嫌なのに周りが後押ししてテツが仲人になります。「ミツル!お前のせいでえらい目におうたやんけ!仲人料じゃ、ケツ掘らんかい!」となります。

 亭主と仲人がホモるとはノブ子はんにはちょっと気の毒ですが、婦人警官なので警官と鶏姦(ホモセ)が不可分なのは承知でしょう。腐警さんです。

 更に、ミツルは警察官という職務とテツとの仲を天秤にかけるシチュエーションになるとテツを取ってしまう傾向があります。ミツルがテツの喧嘩を見過ごす事で西萩の治安は維持されているのですが、ミツルはお目こぼしの範囲を超えてテツを守ってしまう事がままあるのです。

 そして、ミツルはカルメラ兄弟に妙に厳しいのも見逃せない点です。これは明らかなホモのジェラシーです。正妻アピールです。たまりません。

 この2人がいちゃいちゃしているのを見ると、幼馴染こそが原点にして頂点だと思い知らされます。

上方落語史はゲイポルノ

 さて、先生パートに入る前に、上方落語という豊饒の海をガイドせねばなりません。『落語心中』におけるガバガバな描写はあてにしてはいけません。

 上方落語は戦前に漫才が流行り出すと急激に衰退してしまいました。吉本が商業主義に走って落語を冷遇したからです。

 その結果戦後には僅かな数の老落語家が残るのみになり、それさえ次々と鬼籍に入る中で、戦後になって入門した僅かな若手の尽力によって上方落語は命脈を保ちました。

 後に桂米朝、笑福亭松鶴、桂文枝、桂春団治と呼ばれる4人の若手が俗に「上方落語四天王」と称されます。彼らとほんの数人が上方落語の全てだった時代が確かにあったのです。

 松鶴の惣領弟子が仁鶴で、文枝の惣領弟子が三枝(文枝を襲名しても落語好きからはあまり認められていない)です。

 上方落語は江戸落語に比べて一門間の垣根が低く、強い仲間意識を持っているとされています。苦楽を共にして上方落語を守り通したという自負があるのです。

 当時の落語の扱いときたら酷い物で、毎日劇場に一人だけ申し訳程度に出してもらえるだけでした(哀しいかな今も大差ない)。それも客は落語になるとぞろぞとろトイレに立つ有様です。

 しかし、僅かに残った付き合いの良い客は四天王の至芸にたちまち魅了されてしまうのです。そんな師匠の雄姿に感激するエピソードが三枝仁鶴世代の回顧録には必ず出てきます。

 そりゃあ惚れます。そりゃあ俺達がこのゲイを守らねばと思います。尊いじゃありませんか。申し合わせたように同じエピソードが書かれいるのは、主従愛の究極です。

 ついでに言うと、枝雀師匠の事になるとメンヘラ爆発で泣き喚くざこば師匠はとある師匠と「芸人はチャレンジや!」と言ってホモを試してみたそうです。この種の逸話の常として上手くいかなかったとオチが付きますが、真相は分からないので想像するのは自由です。

 芸事の歴史とはこうした尊い関係の積み重ねであり、知れば知る程BLの大鉱脈です。尼崎や帝京ごときでアヘアヘ言ってる腐の皆様は歴史に目を向けねばいけません。あなたには落語のCDをBLCDとして聞けるチャンスがあるのです。

 もっとも、講談や浪曲に比べれば落語は勝ち組もいいところなのですが、これは長くなりすぎるので別の機会にしましょう。

拳骨×

 さて、バックボーンを十分に説明したところで本筋に戻りましょう。

 テツホモ説を取るなら、テツを仕込んだのは拳骨を置いて他ないでしょう。京大首席で学生横綱で、横暴な教授をフルチンで逆さづりにした挙句野に下って小学校教師になった拳骨がホモだとしても驚くべき事ではありません。男を知らない方が不気味な経歴です。

 しかも、拳骨のビジュアルは明らかに菊池寛がモデルです。菊池寛がガチホモなのは今や周知の事実であり、何ら恥ずべき事でもありません。

 テツは決して勝てない相手が数人居ますが、それは単純な力関係ではなく、勝てないという先入観がそうさせている事が示唆されます。顔を隠したおばあはんには勝ってしまったのですから。

 これが拳骨の調教の成果だとしたら?テツを掘る事で屈服させてマインドコントロールを施したとしたら?有り得る話です。ヤクザはそうやって刑務所で子分を作ります。

 テツとヨシ江はんを引っ付けたのも拳骨です。これも拳骨のホモ特有の策謀だとは考えられないでしょうか?

 何しろあの界隈にはハッテン場がうじゃうじゃとあります。ホモのテツを放っておくと男漁りを始めます。そこで拳骨は強権を発動してヨシ江はんと引っ付ける事で縛ったのです。

 並の女にテツはコントロール出来ません。そこへ行くとヨシ江はんはテツをリードしてしまう女傑です。テツが喧嘩のついでにヤクザに掘らせるくらいは容認するとしても、天王寺公園の茂みに分け入るのを阻止する程度は朝飯前でしょう。

 女に関してはノータッチ。それがホモリアルなれば、拳骨にとってのこの縁組は願ったり叶ったりだったのです。

 今日も花井家の書斎の陰で悪さをしたテツへの制裁が行われます。しかし、それはご褒美なのです。

渉×

 渉は心身虚弱で基本的にテツの言いなりですが、テツはどういうわけか渉がお気に入りで、花井親子の家にしばしば姿を現します。これもBL的に考えればホモです。

 拳骨テツに身体で分からせている説を前提に置くと、この方法はそろそろ限界が来ています。拳骨はもう歳ですからタチは厳しいはずです。

 なんだかんだと拳骨に掘られるのを楽しみにしているテツ。しかしそれに思うように応えられない拳骨。とすれば、息子のムスコに目を付けるのは当然の発想です。

 テツは裸に腹巻でケツを渉に向けて迫るのです。「こら、花井の息子やったらチンポも親父譲りやろが。ちょっと貸したらんかい」と。

 渉は難色を示します。「ぼ、僕は妻も子供もある身ですから」と。しかし、テツは食い下がります。「ボケ!朝子なんて半分男みたいなもんやんけ!」

 渉の嫁はんの朝子(映画未登場)は最初こそ怒るもしれませんが、結局は許しそうです。これはファンならなんとなく察しがつくかと思います。

マサル×腰巾着

 ホモセックスって素敵やん?という露骨な中の人ネタはさておき、このコンビも相当にBLです。

 マサルは間違ってもガキ大将というタイプではなく、大事な場面でかなり情けない醜態をさらすところがあります。だけど腰巾着はあくまで腰巾着の座を降りません。

 これは俺がマサルを支えなければいけないという腰巾着の愛が根幹になっています。冗談抜きです。原作でも明言される本当の話です。

 しかし、マサルくらい「好きな女の子に意地悪しちゃう小学生男子」ムーブをかましているキャラを私は他に知りません。しかも、意地悪の仕方が陰湿で小学生離れしています。

 チエちゃんはヨシ江はんの娘なので美しく成長する事が示唆されています。そして頃合い良くマサルは性に目覚め、取り返しのつかない事態に気付くのです。もっとも、テツという付属品があるのでチエちゃんは誰の物にもならないとされていますが。

 ここで腰巾着がマサルをフォローします。ケツを貸します。「チエはそんな事言わへん!」「マサルが言えいうたんやないか!」

 そしてマサルはチエちゃんの面影を求めて飛田新地…ではなくその近くのハッテン場をうろつくようになるのです。

カルメラ兄弟は公式

 これは誇張抜きの事実です。むしろ、この作品の裏のテーマはカルメラ兄弟の精神的ホモです。

 何故赤の他人なのに兄弟と名乗っているのかという話です。これは兄が元キックボクサーで、弟が押しかけトレーナーだったことに由来します。

 弟の方がおやっさんというのも『レイジングブル』風でゴキゲンですが、押しかけトレーナーというのも稀に見る尊い設定です。しかも、兄に無理な減量を強いた会長を弟がぶちのめして二人は出奔したのです。

 こりゃあ釜ヶ崎のドヤでヤっちゃう展開です。原作が進んでおばあはんがあまりの精神的ホモぶりを見かねて「放っておくとおかしなことになりまっせ」と忠告しましたが、おばあはん痛恨のミスです。

 こいつらは怪しいと思った時にはもうデキているものです。そして、おかしな事とは酷いではありませんか。あの辺りは伝統的にトランスジェンダーに優しく、オカマを先に風呂に入れてあげるから釜ヶ崎という地名が付いたと言われるくらいなのですから。

 そして仲良くヤクザに身を落し、仲良くカルメラ焼屋として再起し、カルメラ亭なるラーメン屋を開業します。西成で義兄弟二人がラーメン屋とは、美味いけど店主がオカマと評判になるのは避けられません。

 ここからの展開が凄まじく、なんと双子の姉妹をそれぞれ妻に迎え、同じマンションに新居を構えます。

 気の毒な奥様方ですが、それにしたって詰め込み過ぎです。間接ホモセックスとしか言いようがありません。

 あまつさえ、20年にも渡った連載は兄弟の子供がほぼ同時に生まれたエピソードで幕を閉じるのです。産んだ奥さんの立場がありません。神様に祝福されたホモ関係です。

小鉄×アントン父子

 ぶっちゃけ、やすきよ自体が濃厚なBLを内包しています。私の解釈ではキー坊のヘタレ攻め。ヘレンなどコンドームでしかありません。

 小鉄は猫世界の生きる伝説であり、喧嘩に次ぐ喧嘩の日々に嫌気がさしてチエちゃんに飼われる事にしたオスです。

 つまり、任侠映画で言えば健さんですが、明らかに小鉄は攻めです。というのも、小鉄の必殺技は去勢なのです。

 小鉄のタマ潰しで去勢された猫は弱体化するばかりか、オネエになってしまいます。まさにカマネコです。小鉄がケツを掘って落とし前を付けなければいけない場面が一度や二度はあったはずです。

 一方でアントンは土佐犬にさえ圧勝する西萩の帝王でした。しかし、ほんの渡世上の行きがかりで小鉄と戦い、タマを片方盗られて敗れ、いじめていた犬に殺されてしまいます。

 アントンはおっちゃんによって剥製にされて事実上のおっちゃんの一部となりますが、そこへジュニアがふらりとお好み焼き屋に訪ねてきます。

 ジュニアは復讐を誓い、テツが面白がっておっちゃんに酒を飲ませた事でついには決闘に至ります。親の仇を息子が討つ。これはまさに曽我物語です。

 小鉄の方も恨みも無いアントンを結果的に殺してしまった事を悪く思っていて、個人的にアントンを弔っていたのですが、それがジュニアを却って怒らせています。

 ジュニアが小鉄に促されてアントンの墓を掘り返して見ると、そこには弁当箱が埋まっています。そして弁当箱の中には砂に乗った金色の玉。そう、この世界ではキンタマは文字通りの存在なのです。

 ジュニアの「日の丸弁当みたいにしやがって」という怒りの言葉が泣かせつつ笑わせてくれます。そして決闘になります。

 酔いの覚めたおっちゃんはジュニアまでも失うのを恐れて止めに入りますが、酔いが覚めているので失敗。小鉄はわざとジュニアに負ける事で償いをします。

 まさしくバイオレンスポルノ。猫のくせにやってくれます。だからこそこの作品は名作なのです。

 かくして小鉄とジュニアは和解して映画は終わりますが、以後も小鉄とジュニアは親子とも兄弟とも夫婦ともつかないとにかく仲の良いコンビとしていちゃいちゃし続けます。

 ジュニアはなんだかんだと父親を圧倒した小鉄を尊敬し、小鉄はなんだかんだとジュニアが可愛くてしょうがないのです。これはもはや『沓掛時次郎』であり、凡百の作家にはちょっと再現できないストーリーラインです。

 結局のところ映画は入門編に過ぎず、真面目にもBL的にも尺が足りません。だから皆様、まずはアニメを観ましょう。そしてその次は原作を読みましょう。だって、映画にはヒラメちゃんも朝子もレイモンド飛田もコケザルも居ないんですから。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し

『河内のオッサンの唄』(1976 東映)(★★★★★)(大阪観を決定づけた映画)
『実録外伝 大阪電撃作戦』(1976 東映)(★★★★)(大阪観を決定づけた映画)
『やくざの墓場 くちなしの花』(1976 東映)(★★★)(ほぼ同じ世界観の映画)

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