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第64回 レイジング・ブル(1980 米)

 さて、5月19日はボクシングの日なのだそうです。かの白井義男が日本人初の世界タイトルを獲得したことに由来します。

 というわけで、ボクシング映画で参りましょう。『ロッキー』シリーズに限らず、ボクシングというのは映画の歴史始まって以来定番のテーマです。

 というわけで、今回はロッキーとは逆方向で永遠に歴史に残るだろう名画『レイジング・ブル』でお送りします。

 実在したボクシング世界王者、ジェイク・ラモッタの自伝を基にした伝記映画で、主演ロバート・デ・ニーロ、助演ジョー・ペシ、監督マーティン・スコセッシというゴールデントリオが初めて顔をそろえた作品であり、三人の名声を不動のものとした歴史的名画であります。

 デ・ニーロ・アプローチの極致というべき肉体改造でデ・ニーロが演じるジェイク・ラモッタという偏屈野郎の無茶苦茶な生き様と、ボクシングというビジネスの汚い側面を敢えて白黒で撮ったこの一本は、ボクシングと伝記映画の好きな私にはたまらない一本なのです。

 そして、ラモッタと本作が本格的デビューとなったジョー・ペシ演じる弟ジョーイとの関係は濃厚な大河BLの感があり、また彼らとスコセッシは酔った勢いで一発くらいヤってそうな仲なので、スクリーン内外に渡ってBLの展開する『ロッキー』に負けないBL映画です。

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真面目に解説

利口な方
 ボクシング映画の筆頭となると、やはり誰が何と言おうと『ロッキー』という事になってしまいますが、本作は『ロッキー』とは全く対極に位置し、因縁がある映画です。

 というのも、スコセッシは『タクシードライバー』で世界的名声とパルムドールを得たわけですが、アカデミー作品賞は『ロッキー』に競り負けた経緯がありました。

 『タクシードライバー』の主演は言うまでもなくデ・ニーロであり、主演男優賞でやはりスタローンと競り合いました。勝ったのはピーター・フィンチでしたが、彼が急逝しなければ結果は変わったでしょう。

 以来、スタローンはアホな映画のスーパースターとしてアカデミー賞よりもラジー賞に縁深いキャリアを歩み、一方デ・ニーロは利口な映画でその名声を確固たるものにします。

 言うなれば『ロッキー』と本作の違いが、デ・ニーロとスタローンの役者としての性格の違いでもあるのです。アホなボクシング映画代表と利口なボクシング映画代表と言い換える事も出来ます。


名画は色褪せない
 さて、何と言ってもこの映画を特徴付けているのはモノクロである事です。知らずに見に行った人はビックリしたことでしょう。

 何故モノクロにしたのかには諸説ありますが、共通しているのはスコセッシはカラーフィルムが経年劣化で退色していくのを恐れていたというものです。

 まさかデジタルフィルムがこんなに進歩するとはスコセッシも予想していなかったという事なのでしょうが、とにかく本作はアメリカ国立フィルム登録簿に登録されて永遠に残る事が約束され、スコセッシの陰の相棒である編集者セルマ・スクーンメイカーは見事最初のオスカーを獲得しました。

 もう一つ知られている理由に、当時使われていたグローブの色が特定できなかったという物があります。

 これはティム・バートンとジョニー・デップの名コンビによる私のこれまた好きな『エド・ウッド』がモノクロで撮られたのと同じ理由です。こっちはベラ・ルゴシの瞳の色が分からない為とされています。


必殺デ・ニーロ・アプローチ
 実在の世界チャンピオンで「ブロンクスの雄牛」の異名を取ったジェイク・ラモッタの自伝を基にこの映画は作られました。ボクシング映画はムキムキの役者が必要になります。

 デ・ニーロはしっかり世界チャンピオンで通るムキムキの身体を作ってきています。しかし、デ・ニーロの本当に凄い所は引退後の姿です。

 というのもボクサーは全身筋肉であり、過酷な減量を必要とするので引退後は基本的に太るのです。

 例えば、井上尚弥に引っ付いている会長と称するスケベ面のデブなおっさんを御覧ください。彼とて数十年前は150年に一人の天才と称された天下の世界王者、大橋秀行として42キロの一片の無駄もない肉体を誇っていたのです。今や倍に膨らんでいます。

 デ・ニーロはそんなボクサーの肉体の移ろいを短期間のうちにやって見せたのです。それもわざわざイタリアに行ってイタリアンをドカ食いして太ったというのだから徹底しています。

 本作が所謂デ・ニーロ・アプローチの一つの頂点とされる所以であります。アカデミー賞も納得です。


わが家が一番
 映画は引退してコメディアンに転身したラモッタの姿が入って過去パートに入ります。黒人とイタリア人の試合で始まるという点では『ロッキー』と全く同じであり、スコセッシは狙っていたとしか思えませんが、中身はえらい違いです。

 ロッキーはスパイダー・リコとホモ臭いライバル関係を深めつつ勝利をおさめましたが、ジェイクはジミー・リーブスという選手に不可解な判定でプロ入り以来初黒星を喫してしまい、客が怒って暴動になってしまうのです。

 会場はクリーブランドであり、リーブスのホームタウンです。このホームタウンというのが曲者なのです。

 ボクシングというのは各地にその土地のボクシング興行を統括するコミッションがあり、地元のプロモーターの手によって興行が行われます。

 それ故俗にいうホームタウンディシジョンという物が発生するのです。男山根の「奈良判定」もこの一種です。なのでボクシングの世界では敵地での勝利は高く評価されます。

 しかし、余りに露骨だったので客が八百長だと怒って暴動というのは『ロッキー』には決して起こらない現象です。というよりも、試合中から客が喧嘩しています。

 効き目はありませんでしたが、騒ぎを鎮める為にオルガンでアメリカ国歌が演奏されるのも注目したい点です。日本は国歌それ自体の扱いが政治的に微妙なので絶対に行われないでしょうが、普通の国ではそれなりに効果がある方法なのです。

モンキービジネスのリアル
 最も『ロッキー』と対照的なのが、この映画はボクシングの汚い側面を徹底的に描いている面です。シリーズ通して根っからの悪人は数人に過ぎないロッキーに比べ、本作のボクシングを取り巻く人々は汚く、下品で、そしてどこか惨めです。

 その極致がボクシングがギャングに牛耳られているという現実です。ジェイクはイタリア系なのでギャング側にも同族意識はあるにせよ、結局のところギャングがボクシングに群がるのは金の為であり、ボクサーは彼らにとって商品に過ぎないのです。

 ロッキーをただ無心に可愛がって支援し、成功を収めたら潔く姿を消したガッツォさんとはえらい違いです。金子信雄と健さん程の差があります。

 八百長を仕組み、マッチメイクに関与し、これは直接描かれませんがファイトマネーの搾取もお約束であり、これは今も昔も変わりません。ヤクザがチケットを売るのを手伝う程度で大騒ぎになる我が国は何と平和なのかと感動さえ覚えます。

 ラモッタは弟でマネージャーのジョーイ(ジョー・ペシ)からギャングの大物トミー(ニコラス・コラサント)と手を組むよう盛んに勧められますが、ラモッタは人に頼るのが嫌いな男で、それ故にリングの内外で損をして苦悩するのがこの映画の軸でもあります。


リングに賭けろ
 しかし、ラモッタはついにギャングと手を結んでタイトルマッチと引き換えに1試合八百長をします。つまり、格下の相手にわざと負けるのです。

 ちなみに八百長相手を演じたのムスタファ・ムハンマドは本物のボクサーで、この映画の公開の少し前に世界チャンピオンになりました。

 さて、何故そんな事をするのかというと、ボクシングが賭けの対象になっているからです。アメリカでは賭け率が勝敗予想のデータとして普通にテレビ中継で引用される程盛んにボクシングで賭けが行われていいます。

 試合前にコミッションの偉い人がラモッタの賭け率が12:5まで下がったと問い詰めるシーンがあります。

 これを日本式に言えばラモッタが勝った時のオッズは1.4倍少し、相手は3.4倍ですが、これは世界王者候補が調整がてら格下相手にする試合のオッズとしては異常なもので、普通は30:1とかになります。

 つまり、このオッズは誰かが大金を相手側に賭けた事を意味しています。昨今八百長は競馬関係でホットですが、こういった変なオッズは常に八百長の疑惑が向けられてしまうのです。


マッチメイクも勝負の内
 さて、ボクシングにおいて試合その物よりある意味大事なのが、その試合の組み合わせや条件を決める交渉、つまりマッチメイクです。

 プロボクシングは強ければチャンピオンになれるなどという単純な物ではなく、マネージャーのマッチメイクが不味いとそれだけ不利を被ってしまいます。

 例えば亀田三兄弟を思い出してください。彼らは疑惑の判定でチャンピオンになり、実力の怪しい相手といつも日本で防衛戦をしていました。あれこそがマッチメイクの力なのです。

 それでもチャンピオンが常に有利なのがボクシングであり、挑戦者になるまでが一苦労です。ラモッタはマッチメイクを裏で操るギャングと手を結ぶのを嫌うのでタイトルに挑戦する機会に恵まれません。

 こうなるとむしろ強いのがマイナスにさえなります。チャンピオンでもないのにやたらと強い相手と戦うメリットが対戦相手にはないからです。

 『レッドブル』でも紹介した亡くなったばかりの伝説のボクサー、マービン・ハグラーについて、『ロッキー』でアポロと挨拶していたモハメド・アリのライバルのジョー・フレージャー「黒人で、サウスポーで、強すぎる」のが欠点と評しました。

 つまり、差別される黒人は興行的に不利であり、サウスポーの試合は地味になりがちなうえ相手がやりにくいので敬遠され、強すぎる挑戦者は嫌がられるという、ボクシングのマッチメイクの難しさを端的に表す名言です。


ビッグな小物ペシ
 そんなラモッタをどうにかしてチャンピオンにしようとあの手この手で奮闘するのがジョー・ペシ演じるマネージャーでありラモッタの弟であるチビのジョーイです。当時のペシはレストランでアルバイトをしている無名の駆け出しでした。

 ところが若い頃のスコセッシは新人役者を使って低予算で映画を撮るのが得意でしたので、たまたまテレビ映画で得意のチンピラ役を好演しているのを見たデ・ニーロの推薦で抜擢され、見事チャンスをものにしたわけです。

 強い代わりにアホで嫉妬深くてワガママなラモッタをどうにかコントロールし、スパーリングパートナーとして殴られ、ラモッタの為にギャングと喧嘩さえします。

 つまり、ジョーイがラモッタにとっては弟でありながらおやっさんであり、デ・ニーロとペシの仲を反映していて非常に美味しいのですが、これはBL的解説の方に譲ります。


ガチオメコ芸者
 ジョーイの紹介でラモッタと知り合い、二番目の妻となるのが本作の名目上のメインヒロインであるヴィッキー(キャシー・モリアーティ)です。

 出会った時点でなんと15歳。とてもそうは見えませんが、史実に基づけば当時のラモッタは19歳、ジョーイは16歳ですので色んな意味でバランスは取れています。

 ラモッタは彼女に入れ揚げて既に結婚していたのに再婚するのですが、何しろ「女は足に来る」うえエイドリアン程身持ちが固くないので欲求不満で夫婦仲を悪化させて男漁りを始め、ヤンデレ気味のラモッタえらい事になってしまうのです。

 当時のモリアーティは新人どころか女優でさえなく、ペシがディスコで本物のヴィッキーに似ている女を見つけたというので引っ張って来た素人です。

 しかし、素人離れした演技で見事アカデミー助演女優賞にノミネートされる栄誉を得たのですから、スコセッシの人を見る目は確かです。そして、主演が居なくて助演というのがこの映画のホモソーシャルを暗に物語っています。

 ちなみに、本物のヴィッキーはモデルだったとかで、この映画のヒットを受けて50歳過ぎというのにプレイボーイ誌で脱ぎ、CM出演も果たすなど、思いがけず晩年に美味しい思いをしました。


甘いひと時
 スコセッシはスポーツ嫌いなので作中あまり深く語られませんが、ラモッタは正真正銘のレジェンドであり、対戦相手もまたレジェンドです。その最たる例がタイトルを明け渡した相手でもあるシュガー・レイ・ロビンソンです。

 ボクシングは特殊なスポーツで、技術面は作中の時代にほぼ完成しています。野球やサッカーなら技術革新が常にあるので20年前の試合は稚拙に見えますが、ボクシングにはそれがほとんどないのです。

 完成させたのが何を隠そうこのロビンソンなのです。英語で洗練されていることを指してシュガーとかスイートとか称し、ボクシングはそのものずばりスイート・サイエンスと称されますが、ロビンソンはまさにその申し子のようなボクサーだったのでこんな甘ったるいリングネームを名乗っているのです。

 ラモッタはロビンソンに2度目の対戦でプロ初黒星を与え、3度目は陸軍に志願したロビンソンの壮行試合で疑惑の判定に敗れ、実に6度目の対戦でタイトルを明け渡します。3回でも近頃は滅多にないのに、6度というのは当時のボクサーがいかに沢山試合をこなしたか(今の5倍くらい)を物語っています。

 ちなみに、ボクシングにおいて一般受けするのはラモッタのような根性型のボクサーであり、通がスイートと称するようなボクサーの試合はえてして退屈で、我が国では相撲用語から転じて「しょっぱい」と称されるのは言語学上の奇跡だと私は思っています。


フランス野郎の愛
 もう一人欠かせないのが、ラモッタが八百長までして挑戦にこぎつけてタイトルを奪ったフランスの国民的英雄、マルセル・セルダンです。

 エディット・ピアフの恋人として知られ、かの名曲『愛の賛歌』はセルダンへの愛を歌ったものです。セルダンには妻子がいたというのが実にフランス的です。

 セルダンも根性型なので向こう気が強く、タイトルを取り返そうとしてアメリカに出向きます。最初は船便で行くつもりでしたが、ニューヨーク公演を控えていたピアフが「少しでも早く会いたい」とわがままを言ったもので飛行機に乗り、あろうことかこの飛行機が墜落して命を落とします。

 女のわがままに応えて命を落とすというのはフランス野郎の本懐であろうと思いますが、ピアフの落ち込み方は半端ではなく、よりにもよってそのニューヨーク公演でお披露目する予定だった『愛の賛歌』を親友のディートリヒが止めるのも聞かず「貴女が死ぬなら私も死ぬわ」と歌ってのけたというのですから、これで映画が撮れます。

 実際フランスではピンで何度も映画になっていて、その一本ではセルダンの息子で父親の跡を継いでボクサーになったマルセル・セルダン・ジュニアがセルダン役で出ているそうです。

 ちなみに、ジュニアの試合はセルダン未亡人とピアフが二人で観に来るのが常だったそうです。フランスではラモッタは常識人の範疇なのではないかとさえ思えるエピソードです。


恋に落ちてはいけない
 歌ついでにもう一つ私が注目したいのが、ラモッタが行きつけのナイトクラブがかの『コパカバーナ』であることです。このコパでやたらと事件が起きます。

 先日ついにゲイである事を白状してマネージャーと同性結婚したバーリー・マニロウの歌う、大垣競輪場のテーマソングのあの『コパカバーナ』です。

 もっとも、マニロウがゲイなのはもとより公然の秘密なので意外性はゼロどころかマイナスです。ついでに、私の考えだとライオネル・リッチーも多分ゲイです。

 何しろナイトクラブのチャンピオンのような店ですから本作に限らずいろんな映画に出てきます。

 伝説のギャング、フランク・コステロが影のオーナーだったというのですから、ラモッタがギャングと怪しい会談の席を持つのも、ショーガールの取り合いで銃撃戦が起きるの、シナトラが歌うのも納得です。

 ちなみに、コパカバーナは何度か移転しましたが、ディスコになる事なく今でもニューヨークにあります。ただし、コロナで先行き不透明とのことです。



チャンピオンも負ければただの人
 というのはただの人にならずに済んだ具志堅が初めて負けて引退する試合の前のコメントですが、ラモッタも作中で引退してマイアミでナイトクラブを開業します。

 必殺のデ・ニーロ・アプローチでぶよぶよに太り、自らステージに立ってあまり面白くないジョークを飛ばしてご機嫌です。

 しかし、ヴィッキーに愛想をつかされて子供と家を取り上げられて離婚し、15歳の少女をそうと知らず客に紹介したせいで告訴され、賄賂の為に栄光のチャンピオンベルトを手に掛けます。

 案外知られていない事ですが、基本的に世界チャンピオンのベルト自体は負けた後もチャンピオンの物です。リング上で勝った相手に巻かせるのはセレモニーに過ぎないのです。

 今はコミッションが安物を量産して新王者に順番に売りつける(2000ドルくらい)のですが、当時はボクサー個人のスポンサーが作ってくれるもので、本物の金が使われていたり宝石が入っていたりとかなりゴージャスです。

 そこでラモッタはベルトを金槌で叩いて埋めてある宝石をはぎ取って質屋に持って行きます。ボクサーの転落を象徴する名シーンです。

 ですが宝石は思ったほど高く売れず、結局臭い飯を食う羽目になり、店も失ってしがないコメディアンになってしまうのです。

 ちなみに、その一環として本物のラモッタは専らバーテン役で結構な本数の映画に出ています。『ハスラー』にも出ていたのですから、案外スコセッシとは因縁があったのです。


ブロンクスは拳闘処
 ハスラーついでに、作中言及されませんがもう一つだけ。ラモッタには幼馴染が居ました。ロッキー・グラジアノです。彼もまた世界チャンピオンになりました。

 映画好きなら聞き覚えがあるはずです。そう、ポール・ニューマンの『傷だらけの栄光』のモデルになったあのグラジアノです。

 スコセッシはスポーツが嫌いでこの映画に乗り気でなかったそうですが、これだけ因縁が揃うとやはりこの映画は運命的に作られることが決まっていたという事なのでしょう。


ジェイク・ラモッタの幸運

 しかし、私がこの映画を一番高く買っている点は他ならぬラモッタ当人を救った事です。

 本作のヒットで原作料が入るようになり、あの『レイジングブル』のラモッタとして再評価され、95歳までパンチドランカーでボケる事もなく盛んに講演やサイン会に呼ばれて幸福な晩年を過ごしました。

 ボクシング開闢以来チャンピオンは末路悲惨が通り相場で、そうならないのがむしろ例外でさえあります。

 例えば先述のロビンソンなど稼ぐそばからピンハネされて使ってしまうので、世間に後ろ指を指されながら二流の相手と40過ぎても延々と戦い続けて結局文無しで引退しました。

 そして最後は貧困とアルツハイマーに苦しみ野垂れ死に同然です。ボクシング史上五本の指に入るレジェンドさえこうなのです。

 引退後に事業で成功をおさめる例も僅かにありますが、ラモッタの晩年はそれ以上に幸福だったと断言できます。

 ローマの剣闘士は勝ち残ると奴隷の身分から解放されて引退を許されましたが、多くは闘技場の歓声が忘れられずに結局闘い続けたと記録に残っています。ボクサーもまたそういう人種なのです。

 ともすれば、最後まで過去の人にならずに人気者として長寿を全う出来たラモッタは、ボクシング史上最も幸せなチャンピオンだったのかもしれません。




BL的に解説(ナマモノ注意)

ジョーイ×ラモッタ
 さて、今回は久しぶりのオールナマモノですが、二人の関係は完璧です。類稀な才能を持ちながらアホでワガママなラモッタを必死に操ってチャンピオンにしようとするジョーイ。尊いですね。

 二人の関係はボクサーとおやっさんであり同時に兄弟ですが、明らかにその範疇を超えています。つまりホモです。

 ジョーイは常にラモッタを第一に考えており、ラモッタの為なら何でもします。ギャングと手を結ぼうとしたのだって結局はラモッタの為なのです。

 スパーリングパートナーも買って出ます。なにしろ世界チャンピオンになる男の相手なので並大抵ではありませんが、ジョーイはやってみせるのです。

 それを見てジョーイの友達でありギャングのサルビー(フランク・ビンセント)達は「兄弟でホモってやがる」と露骨に冷やかします。本作はBLとか抜きでホモやオカマの類の言葉が頻出するのですが、それがボクシングに携わる人種のリアルです。

 ラモッタはアホなので、ミドル級なのにヘビー級の世界チャンピオンであるジョー・ルイスと闘っても負けないと豪語します。体重が30キロも違うのにそんな事を言っちゃうあたりがアホの子ですが、ジョーイはそのアホさ加減に頭を抱える反面、たまらなく可愛く感じているのがスクリーン越しにもむんむんと伝わってきます。

 馬鹿げた話だと呆れるジョーイに、ラモッタは強さを証明するために自分を殴れと言い出します。

 ジョーイは当然嫌がりますが、ラモッタに「Fagotto(ホモ野郎)」と罵倒されて嫌々ぶん殴る羽目になるのです。

 何でジョーイがホモ野郎なのか知っているんだという話です。つまり、二人はちょいちょい本当に兄弟でホモってやがるのです。のっけから兄弟ホモSMとはスコセッシは違います。まさしくバイオレンスポルノです。

 ジムにサルビー達を呼んでジェイクが怒り、これに応じるジョーイという構図もホモ臭くあります。やっぱりボクシングは実質セックスなのです。

 ヴィッキーをラモッタに紹介したのもジョーイでした。プールでよく会うので二人は面識があったのです。

 ラモッタはもう結婚している上、すぐ落とすのは無理だというジョーイですが、ラモッタはもうビッキーに夢中です。

 既にラモッタと前妻との関係は冷え切っており、二人でコパカバーナへヴィッキーをナンパしに行くのにも「イタリアのホモ兄弟」だの「いつも二人でくっついて」「ホモでも何でもしに行け」だのと下品にジェラシーを爆発させます。

 奥さんは二人で意味もなく殴り合うハードコアホモSMを見ていたのです。多分文字通り兄弟でホモる現場も見たのでしょう。コンドームに扱いに耐えられない女はボクサーの妻失格です。

 それでもジョーイがヴィッキーをラモッタに紹介するのはもうこんなオメコ芸者とは別れるべきというおやっさんとしての判断です。また、ジョーイとしてもラモッタとホモるのに文句を言うような女は願い下げなのです。

 ジョーイの狙い通りラモッタは女にも突進あるのみで意外と早くヴィッキーをモノにします。誘い込んだベッドルームにはなんと兄弟二人で仲良くファイティングポーズを取る写真が。

 ラモッタは「ふざけてる写真さ」と申し開きしますが、考えてみてください。ふざけて撮るのはともかく、普通ベッドルームに飾りますか?これも兄弟でホモっている証拠です。

 しかし、その場では結局ヤりませんでした。ジョーイが見ているからです。人妻物の定番ですね。写真をひっくり返す姑息な小細工をしないあたりが男の愛の深さなのです。

 宿敵ロビンソンに勝利した後についに半端な濡れ場に突入しますが、ジョーイが恐らく常々言っているだろう「女は足に来る」理論に基づき思い直し、股間に氷水をかけて我慢します。

 多分、この夜はジョーイに掘られることでジェイクは足に来ない性欲解消を行ったのでしょう。

 しかし、国家の為に尽くすロビンソン贔屓の判定により再戦に敗れ、ラモッタよりジョーイが控室で荒れます。椅子を破壊して大荒れです。

 そんなところへビッキーが尋ねてきますがラモッタは追い返して会おうとしません。

 ジョーイは女を我慢してまでロビンソンを返り討ちにした兄をコケにした国家と、それをどうにもできない己の無力さに怒り、ラモッタはそんなジョーイの気持ちを汲んでいるのです。女などこの二人には今は必要ないのです。

 しかし、結局ラモッタとビッキーは結婚します。ついでにジョーイ嫁さんを貰いますが、結婚式のカットでは兄弟で結婚する勢いでべたべたしているのも見逃せません。ビッキーは所詮コンドームとしてジョーイが選んだ傀儡に過ぎないのです。

 しかし、ビッキーのオメコ芸者ぶりはジョーイの想像を超えており、ビッキーは浮気を始め、ラモッタはビッキーの不貞を疑って情緒不安定になっていきます。

 そしてジョーイはコパカバーナでビッキーがサルビーから恐らく体の見返りに金を受け取る現場を見てしまいます。

 怒って止めるジョーイ。そしてサルビーに凄まじい勢いで喧嘩を吹っかけます。店先のタクシーのドアでサルビーを挟んで痛めつけるのですからジョーイもかなり喧嘩慣れしています。

 しかし、相手は友達とは言えギャングです。後の事を考えればこの大喧嘩は並大抵の事ではありません。愛は無敵なのです。

 トミーの仲裁で手打ちになりますが、これはトミーにしてみれば縄張り内でのトラブルなのでラモッタは借りを作る形になり、ジョーイはついにラモッタの八百長を飲ませる事になってしまうのです。

 その件を伝えるついでにビッキーとの離縁を勧めるあたりジョーイはしたたかですが、二人は試合後男泣きに泣きます。

 二人はボクシングという神聖なる実質ホモセックスのチャンピオンになる為の道を二人三脚で進んでできたのであり、例えタイトルの為と言っても八百長などという汚らわしい行為を働くのは泣くほど辛い事なのだとやった後で気付いたのです。

 しかし、この余りにつらい経験の見返りに二人は世界タイトルマッチをついに迎えます。しかし、このせいでメンタルが壊れたのかラモッタはますますヤンデレ化し、王者になってからは不真面目になっていきます。

 おまけにラモッタはコパカバーナでの事件の真相を疑います。あくまでラモッタを守ろうとしらを切るジョーイですが、ラモッタは噂で真相をある程度知っているのです。

 「兄弟なのに疑うのか」というジョーイの言葉と、それで一応引き下がるラモッタの関係はやはり特別です。

 「嘘だと知れたら誰かを殺す」とヤンデレ爆発のラモッタに「殺し回れ、俺も」と言うとラモッタは「何故お前を殺す? 」と驚きも露わに言うのです。

 そんなラモッタにジョーイは「いいから最初に殺せ」ときます。本作の最尊ポイントですが、ラモッタはこの言葉を根拠にビッキーとジョーイの仲さえ疑い始めるのです。面倒臭い子です。

 これにジョーイは怒ります。兄弟なのにというのが表向きの理由ですが、ラモッタの中でビッキー>ジョーイの構図が出来ていることを証明してしまったからです。ヤンデレの遺伝子はジョーイにも受け継がれていたというわけです。

 ラモッタはジョーイにビッキーと寝たのかと執拗に問い詰めますが、ジョーイは回答を拒否して呆れて帰ってしまいます。

 ここで仲直りさせないのがスコセッシ流で、ラモッタは今度はビッキーを拷問(DV)して問い詰めます。ジョーイは殴らないのがビッキー>ジョーイである反面、女は使い捨てでジョーイは特別であるというラモッタの歪んだ心理を物語っています。

 ビッキーはクロですしその上アホのオメコ芸者なので、ジョーイどころか町中の男と寝たとぶちまけてしまいます。

 嫉妬に狂ったラモッタはあろうことかジョーイの家に殴り込みます。マウントポジションから蹴りというのがボクサーのくせに総合格闘技を先取りしていて素敵です。しかし、ビッキーはビンタなのにジョーイは殺すほど殴るのが愛の重さの差であるのは言うまでもありません。

 この件でジョーイと決別してしまったラモッタは初防衛戦でも不貞腐れまくります。散々相手に殴らせて最終盤になって滅多打ちにして片付けるというのがラモッタの深刻な病み方を物語っています。

 そして、あの一件で腐女子の素質に目覚めたらしきビッキーは試合終了後にジョーイに電話をかけてラモッタとの復縁を取り持とうとします。

 しかし、ジョーイはこの電話をサルビーのいたずら電話と勘違いし、それを聞いてラモッタは電話を切ってしまい、完全に二人は決別するのです。これは心理的NTRです。

 そしてロビンソンにタイトルを明け渡します。それをテレビで見ていたジョーイがラモッタが力を使い切ったのを見抜き、負けた瞬間がっくりする様からは、二人が復縁できた可能性を示唆しています。『ロッキー5』より悲劇的ですが、それがスコセッシのゲイ風なのです。

 引退後、ビッキーもマイアミの店も失い、オバンのショーガールと引っ付いて二人で小さなバーをドサ回りするラモッタは、ジョーイと偶然再会します。

 最初はラモッタを無視したジョーイ。しかし、ラモッタは執拗にジョーイを追いかけ、ついに駐車場でジョーイを捕まえて「冷たくするな、キスしろ」などと露骨に復縁を持ち掛けます。

 ここでカーセックスに突入するのがスタローン式ですが、スコセッシ式は違います。ジョーイは不幸せなキスシーンの後、「みっともない」と突き放してそれっきりです。

 綺麗事で終わらないのがスコセッシであり、この映画の本質はあるいはこの兄弟の悲恋物語なのかもしれません。


トミー×ラモッタ
 多分トミーはホモです。ラモッタを気にかけているのは身体目当てなのです。彼の行動がそれを物語っています。

 トミーは常々ラモッタを気にかけていました。自分と組めばタイトルマッチができると言うのですが、ラモッタは人に頼るのが嫌いな上、ファイトマネーをピンハネされるのを恐れてトミーの助けを拒絶し続けます。

 ラモッタは強すぎて対戦相手が居なくなり、強敵ジェニロとの対戦に至りますが、このジェニロというのが良い男だとビッキーが褒めたせいでラモッタが嫉妬し、その直後にコパカバーナでトミーが初めて姿を現します。

 トミーはラモッタのテーブルに酒を運ばせて無理矢理挨拶に来させなければいけない状況を作り、たまには連絡しろと喜びを隠せない様子で釘を刺し、挨拶のキスです。

 マフィアはキスしたがりですが、この嬉しそうな様は明らかにホモです。そしてラモッタのファイトぶりをほめちぎります。

 そして今度の試合でラモッタに金を賭けると宣言します。ラモッタは「有り金賭けろ」と豪語しますが、これこそがトミーの求めるラモッタなのです。

 続いてトミーはラモッタがジェニロを嫌っているのを確認して怨みでもあるのかと問いますが、ラモッタは否定するばかりか「オカマしたいくらいだ」と下品極まるジョークで大ウケです。

 これにサルビーが「オカマされるかも」と茶々を入れたものだからラモッタは怒ってしまいます。その上サルビーはビッキーと浮気し、この事件の仲裁と引き換えにトミーはラモッタに八百長試合を飲ませるのです。

 全てはトミーの作戦です。ビッキーがジェニロを褒めてラモッタが怒っていることをギャングの情報網で掴み、アホのサルビーを利用することでラモッタを絡めとったのです。世界タイトルマッチをどうこうできるギャングにかかればこの程度はお手の物なのです。
 
 しかし、そうと知らないラモッタは不貞腐れて見え見えの八百長をやらかし、出場停止になってしまいます。トミーとしては困った事態です。

 そこでどうするか?勿論身体で払わせるのです。トミーがラモッタをオカマするという遠大な計画はかくして第一章を終えました。

 約束通り世界タイトルマッチをさせてくれたのはラモッタの夜のファイトもまた名勝負であったという事です。

 そして、試合を控えて激励に来るトミーの目は真剣です。これはラモッタを単なる男娼ではなくファイターとしても愛していた事を物語っています。正統派のホモのタニマチです。

 しかし、ビッキーとやけに馴れ馴れしく挨拶したのでラモッタは不機嫌です。しかし、これも作戦の内なのです。ラモッタは女狂いのセルダンに負けるはずがないので、ついでにビッキーとの仲に亀裂を入れておこうという妙手です。

 俺のジェイクをトミーはリングの上でもベッドの上でも絶対視していたわけです。独占欲の強い者同士気があったという事なのでしょう。

 そして、ラモッタは引退後もマイアミにプール付きの家とナイトクラブを買う金を残していました。トミーがさほどファイトマネーを搾取しなかった事を示唆しています。

 何の事はありません。トミーにとっては金よりもラモッタの身体が主目的であり、ラモッタに素直にオカマさせる為には金にうるさい事を言わない方が得策なのです。他のボクサーに示しがつく程度に取っておけば十分なのです。

 ベルトに質屋に叩き売っても数千ドルにはなる宝石が入ったベルトを贈ったのだって恐らくはトミーです。パパからの贈り物というわけです。俺のジェイクは他のチャンピオンより豪華なベルトを巻いてなければいけません。トミーにとってはラモッタこそがベルトなのですから。

 しかし、裁判においてもそれからの人生にも協力してくれなかったのはラモッタがすっかり太ってしまっていたからでしょう。トミーは筋専で既にラモッタに興味を失っていたわけです。

 やっぱり、コパカバーナで恋に落ちてはいけないという教訓をこの映画は与えてくれます。


シュガー・レイ・ロビンソン×ジェイク・ラモッタ
 ボクシングファンは激怒するかもしれませんが、この際タブーなく切り込んでいきます。二人の関係は完全にBLです。

 そもそも先述のボクシングをスイート・サイエンスと称すること自体がかなりホモ臭い表現です。そして、その体現者としてロビンソンはシュガーなどと名乗っています。

 そして、『ロッキー』でも言いましたが、ボクサーは何度も対戦すると特別な絆が生まれます。3回でももう事実婚状態になってしまうくらいに。それが6回で互いに何の感情もないという事はありえないのです。

 プロ入り以来無敗で連勝街道を突き進むロビンソン。ラモッタとの最初の対戦は勝利しましたが、作中行われた2度目の対戦で初のダウンと黒星を喫します。つまり、ラモッタはロビンソンの最初の男なのです。

 悔しそうにするロビンソンの表情をご覧ください。絶対にやり返してやるという闘志に燃えています。

 わずか3週間後に二人は再戦します。二人は宿敵とアナウンサーが冷やかす中、ロビンソンは再びダウンを喫して苦戦を強いられますが、間もなく陸軍に入隊するというので怪しい判定で勝利を拾います。

 そして、最後の6度目の対戦がラモッタ3度目の防衛戦でした。魔の13ラウンドというのは世界タイトルマッチが12ラウンドになった今では死語ですが、その13ラウンド、ラモッタは無茶苦茶に打たれてもダウンしません。

 それどころか力石並みにノーガード戦術で打ってこいとロビンソンを挑発し、客席に血が飛び散る程の連打を食らってレフリーストップで王座を明け渡します。

 ラモッタはそれまでロビンソンと呼んでいたのがレイ呼びになり、ロビンソンに「俺はダウンしなかった」と試合に負けても勝負に勝ったと言わんばかりに誇ります。これは完全にデキてます。

 そして、コメディアンとなってからも舞台上で事あるごとに引き合いに出すのはロビンソンとの激闘なのです。ラモッタにとってロビンソンは特別であった証拠です。

 ロビンソンもまた、晩年の貧苦の中で思い出すのは常にラモッタとの激闘であったと私は断言します。6度闘ったボクサーとはそういう物なのです。


デ・ニーロ×スコセッシ
 ラモッタとその周辺については神話上の物語なので、ナマモノとしてはここからが本番です。

 実は本作が作られた当時、スコセッシはドラッグで身を持ち崩して死にかけていました。そこへ本作の脚本が持ち込まれたのです。

 スコセッシは最初は嫌がりましたが、『タクシードライバー』で恩義のあるデ・ニーロが強く勧めたおかげで製作にこぎつけ、スコセッシは見事に返り咲いたのです。

 この経緯からしてもうBLですが、二人はその『タクシードライバー』で二人して名声を得て以来、先日の『アイリッシュマン』に至るまで実に8回もコンビを組んでいます。普通の関係じゃありません。

 二人は明らかにビジネスを超えた親友であり、デ・ニーロはスコセッシの映画への情熱を「映画とセックスしている」とゲイっぽい表現で絶賛しています。

 ちょっと待って下さい。スコセッシの代表作には常にデ・ニーロが居るのです。つまり、スコセッシは事実上デ・ニーロとセックスしているのです。

 そもそもスコセッシはゲイっぽいのです。幼少期に影響を受けた映画が『雨月物語』です。あんなホモ映画に影響されてノンケは無理筋です。少なくとも、腐男子です。


デ・ニーロ×ペシ

 二人は紛れもない親友ですが、デ・ニーロは既にオスカー俳優で、ペシは彼の抜擢で出演が叶ったのです。

 つまり、デ・ニーロにケツ出せと言われればペシは断れない関係にありました。しかし、二人の関係はそんな汚らわしいものではありません。もっと崇高な友情に結ばれています。

 引退状態だったペシが『アイリッシュマン』に出演してくれたのもデ・ニーロとの友情あればこそです。勿論、スコセッシとペシだってただならぬ仲です。

 あの映画はBL映画の極致のような作品ですが、この三人の友情の前にはアル・パチーノさえコンドームなのです。


BL帝国イタリア
 この際ですから統括しておきましょう。BL的映画鑑賞を狙うならイタリア系の監督を狙えということです。

 本作の監督であるスコセッシ以外にもイタリア系の監督と言われてパッと思いつく限り挙げてみますと、コッポラ、デ・パルマ、タランティーノ、スタローン(反則気味)といったところが出てきます。BL力が突き抜けた連中ばかりです。

 ちなみに、デ・パルマはデ・ニーロと一緒に下積み時代を過ごした盟友であり、昔の男です。

 そのものずばりイタリア人だとヴィスコンティを筆頭に、フェリーニ、パゾリーニ、レオーネとBLというよりリアルゲイの領域になっていきます。

 何故なのかと問われると断言はできませんが、イタリア人はヨーロッパでもとりわけ男らしさを重視する民族であるというのが大きいのではないかと思います。

 イタリア軍をおちょくるのが流行った時期がありましたが、その時にも女と故郷と信念の為に戦うと最強とオチが付くのが常でした。それが男らしさなのです。

 男らしさとは即ちマッチョイズムであり、ホモソーシャルであり、BLなのです。そういう男達にマフィアだのボクシングだの撮らせればホモ臭くなるのは当然なのでしょう。

 全く逆方向のヴィスコンティ系については多分、我が国の映画評論家と大体似たような裏があるのでしょう。岡田真澄は自らのおいどを慮って断りましたが、伯爵のお城入りましょうね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…

お勧めの映画


 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します

『ロッキー』(★★★★★)(シチリアのライバル)
『ゴッドファーザー』(★★★★★)(これでアイリッシュマン完成)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(★★★★)(ギャングでホモってやがる)
『アンタッチャブル』(★★★★)(昔の男とホモってやがる)
『ハスラー2』(★★★)(明るいスコセッシ)

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 ラモッタのジョークよりは面白かったはず、多分

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