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第67回 海の上のピアニスト(1998 伊)

 さて、本日7月6日はエンニオ・モリコーネの一周忌です。あれだけ盛大に追悼をしたのですから、法事も盛大にやりましょう。

 というわけで、モリコーネ晩年の代表作の一つである『海の上のピアニスト』でお送りします。

 『ニュー・シネマ・パラダイス』でも組んだジュゼッペ・トルナトーレ監督による、極めてロマンチックで格調高い、モリコーネの音楽をこれ以上なく前面に押し出した映画です。

 豪華客船で生まれ、生涯船を降りなかった捨て子の天才ピアニスト1900(ティム・ロス)と、トランペット奏者マックス(プルイット・テイラー・ヴィンス)の奇妙な友情の物語はこれ以上なく耽美であり、非常にBLです。

 天才ピアニストが主人公という難題を実現するのはイタリアにはモリコーネをおいて他なく、供養には最適でしょう。

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真面目に解説

モリコーネの最高傑作
 エンニオ・モリコーネが音楽を手掛けた映画の数は、92歳の長寿を差し引いても膨大なものです。中でも一番の傑作はどれでしょうか?

 盟友セルジオ・レオーネの作品群か?それともアメリカの大作のどれか?『ロリータ』『ソドムの市』と言った問題作?取れそうで取れなかったオスカーをついに掴んだ『ヘイトフル・エイト』と言う人もあるでしょう。

 しかし、私は一本選べと言われれば本作を選びます。セルジオ亡き後の「二人目の夫」と言うべきトルナトーレの作品であり、音楽を前面に押し出した作品です。

 主人公1900は天才ピアニストです。およそ物語において天才くらい始末に困る物はありません。キャラクターは作り手を超えることが出来ないからです。

 従って、この映画を文句なしに仕上げるには本物の天才でなければいけません。モリコーネはこの無理難題を見事に成し遂げたのです。

 本作のBGMは途方もなく美しく、トルナトーレの耽美な映像美と相まってセルジオが嫉妬するレベルです。完全版は169分に及びますが、それでも観て絶対に損をさせない事を保証します。


沈まない豪華客船
 本作の舞台になるのはタイタニックと同じ大西洋航路でアメリカとヨーロッパを行き来していた客船「ヴァージニアン」です。ストーリーは架空ですが、この船は実在しました。

 本作のタイタニックとの決定的な違いは、第一にヴァージニアは沈没しない事、第二に同じ豪華客船でも違った立場の人達にスポットを挙げていることです。

 タイタニックはどちらかと言うと高級船員と金持ちの乗客に主眼を置いていましたが、本作は船底で真っ黒になって働く火夫達から全てが始まり、船においては飾り物である船内バンドと、三等船室の貧しい移民達がメインです。

 これはカナダ人のジェームズ・キャメロンによって撮られた『タイタニック』と、移民する側であるイタリア人のトルナトーレが撮った本作のカラーの違いを端的に示したもののように思えます。


聞いてくれる人が居る限り
 本作は終戦直後、ジャズトランぺッターのマックス・トゥーニー(プルイット・テイラー・ヴィンス)が金に困って楽器屋にトランペットを売りに来るやるせないシーンから始まります。

 ところが、当時既にジャズは時代遅れの音楽で、トランペットはかのコーンの逸品だというのにだぶついていて高く売れません。

 そして、マックスがかつてバンドメンバーとして乗り込んでいたヴァージニアンが港で間もなく爆破解体されると楽器屋の店主(ピーター・ヴォーン)から知らされ、船での思い出話を語るという体で映画が進みます。

 マックスが1900から授かった「面白い物語があって聞いてくれる人が居る限り人生は悪くない」という言葉が印象的です。『ニュー・シネマ・パラダイス』もそうでしたが、トルナトーレはこういうのが得意なのです。

釜焚き達の賛歌
 映画の起点になるのは1900年、船の動力は石炭なのでガチムチの火夫達がシャベルで石炭を釜に入れる事で船が動いていた時代です。

 本作の火夫達は極めて呑気で牧歌的に、尺を割いて描写されます。淀川先生はタイタニックをえらく嫌っていましたが、もう少し長生きして本作を観ていたなら恐らくこっちは褒めちぎったでしょう。

 火夫達は人種は雑多、無学でアナーキーですが善良な愛すべき男達であり、客が下船した後に客室の忘れ物を漁るアルバイトをしています。

 拾えるのは精々小銭や煙草の吸い残し、運が良くて時計や指輪程度ですが、黒人火夫のダニー・ブートマン(ビル・ナン)はあろうことか赤ちゃんを拾ってしまうのです。

 何しろ当時の船はヨーロッパからアメリカまで数週間の長旅なので、タイミング次第ではこういうことは起こりえます。育てる余裕のない移民か、さもなければ金持ちの不義の子供が捨てられたわけです。

 ダニーは善良な男なのでこの子供を育てる決意をし、自分の名前、赤ちゃんの入っていたレモンの箱、そして火夫が「イカれた世紀」と呼ぶ20世紀にちなみ、ダニー・ブートマン・T.D.(サンクスダニー)レモン・1900(ナインティーンハンドレット)という凄い名前を付けます。

 言うまでもなく1900年は19世紀ですが、それは些細な問題です。火夫達は無学なのでこのありがちな勘違いをしていたのでしょう。


海の子1900
 そして1900はダニーの子供であり、船員全員の子供であり、ひいてはヴァージニアンの子供として、ダニーの死後も船員たちに育てられ、船内をうろうろしながら成長していきます。

 沈没恐怖症のスミス船長(ハリー・ディストン)以下船員達も一様に善良な人物であり、1900は可愛がられて成長していきます。基本的に悪人は出てこないのが『タイタニック』より気持ち良く観られる要因です。

 そして1900はピアノの才能に目覚め、ヴァージニアン号の名物ピアニストとして船に欠かせざる重要人物になるのです。

 『タイタニック』では機関部員とバンドは船を運命を共にして英雄的死を遂げましたが、そのあたりも本作は狙って作ったのでしょう。

 この1900の奏でる音楽の出来が悪いと映画としては失敗なので、引き受けたモリコーネも相当の覚悟だったはずです。しくじったら天国のセルジオが馬鹿にすると意識して気合を入れて作ったのでしょう。一分の隙もありません。


マジック・ワルツ
 本作の山場の一つがバンドの補充要因として乗り込んだマックスと1900の邂逅です。

 嵐と船酔いで死にかけているマックスの元へ、何事もないかのように船内を闊歩する1900がふらりと現れます。

 そしてダンスホールのピアノの椅子にマックスと二人座り、ピアノの車輪止めを外してホールをピアノで暴走しながら天才的演奏を見せるのです。

 この有名な「マジック・ワルツ」は本作を象徴するシーンの一つであり、長年コンビを組んできたトルナトーレとモリコーネの最高傑作と言うべきシーンです。

 ファストムービーなんてものが流行っていますが、どんなに忙しくてもこのシーンだけでも観て下さい。何故かこの曲はサントラに収録されていないので有名です。

 アルフレードとトトは自転車でしたが、マックスと1900はピアノに二人乗りです。二人乗りは性別不問で友情を深めるボーナスイベントですが、ピアノで暴走とは並大抵ではありません。

 ピアノは最後は船長室に突入して二人は罰として釜焚きを命じられますが、マックスと1900はこれで親友になってしまうのです。


裕ちゃんもびっくり
 そしてもう一つの山場を作るべく、1900の噂を聞きつけて「挑戦者」が現れます。実在の人物で、ジャズの創始者を自称するジェリー・ロール・モートン(クラレンス・ウィリアムズ3世)です。

 ヴァージニアンもモートンも実在するのでこの話も実話だと誤解と期待を持たせていますが、残念ながら1900は実在しません。現実は映画より困難なのです。

 モートンは「ピアノ決闘」なる頭の悪そうな勝負を1900に吹っかけます。相手が負けを認めるまで交互にピアノを弾くというものです。

 石原裕次郎の代表作『嵐を呼ぶ男』で「ドラム合戦」なる同様の勝負をしていました。なんてアホな発想だと初めて見た時笑ったものですが、その後本作を見て仰天したものです。

 後で知った事ですが、ジャズメンにとってこの手の勝負は万国共通なのです。つまり、音楽に国境はないということなのでしょう。

 裕ちゃんはドラム合戦なのに歌うという反則で勝負を決めましたが、1900もちょっと反則気味にモートンを退けるのが面白い所です。

 そして、1900のスーパープレイに船員や乗客が唖然とする様は『タイタニック』では決して見れないコミカルで楽しいシーンです。

 勿論、モートンは偉大なるピアニストなのでモートン側の演奏も手抜き無用です。そこに手を抜くのは音楽への冒涜である事が分からないモリコーネではないのです。


女を船に乗せちゃいけねえ
 当時の船は乗客の扱いに露骨な格差があったのは『タイタニック』でも生々しく描かれました。

 三等船室には貧しいイタリアやアイルランドの移民が詰め込まれ、一等船室にはシチリアを丸ごと買えるような金持ちが乗っている。それが豪華客船の現実だったのです。

 『タイタニック』では脇役だった移民達ですが、ヴァージニアンは三等船室にもピアノがあり、1900はむしろ移民達の前でこそ良い演奏をするのです。

 自由の女神が見えて大騒ぎする移民達のシーンなど、『タイタニック』のアンチテーゼを思わせるシーンもふんだんにあり、見比べると飽きません。

 そして、1900がモートンを打ち負かしたという評判を聞いてレコードの吹き込みが行われます。

 これに乗り気でない1900ですが、たまたま見かけた移民の少女(メラニー・ティエリー)に一目惚れし、愛の力で一世一代の名演を見せてしまうのです。

 何しろ17歳のメラニー・ティエリーなので多少ホモでもノンケに走るのはあり得る話ですが、1900の惚れっぷりは半端ではなく、レコード会社の契約を一方的に破棄して一枚しかない原盤のレコードをプレゼントしようとし、挙句は彼女を追って船を降りようとするのです。

 海の神は女神なので女を船に乗せると嫉妬して災いが起こると申しますが、これもその一例と言うべきでしょう。このせいで事態がややこしくなってしまうのです。


鍵盤には終わりがある
 しかし、1900は結局船を降りる勇気が出ず船に残ります。1900が船から降りられないからこの映画は成立しているのです。

 マックスは解体されるヴァージニアンにまだ1900が残っていると悟り、爆破が迫るヴァージニアンに無理矢理乗り込んで家探しを行います。恐ろしい執念です。ヤンホモとしか言いようがありません。

 マックスの予想通り1900は船に隠れていました。マックスは1900を船から降ろそうとしますが、1900は「鍵盤には終わりがあるが世界には終わりがない」と外の世界への恐怖を象徴的なセリフで語り、下船を拒んで船と運命を共にします。

 思えば『ニュー・シネマ・パラダイス』も爆発オチでした。トルナトーレは世界一爆発オチが上手な人なのかもしれません。

BL的に解説

1900はみんなの
 そもそもティム・ロスは受け属性です。それは映画好きなら何となく察せるはずです。従って1900は総受けでこのレビューは進行します。

 そして海の男はホモという万古不変の鉄則があります。豪華客船なので客も乗組員も女が居ますがそんな事はこの際問題ではありません。船の動力は風でも石炭でもなくホモソーシャルなのです。

 大体船員たちはどいつもこいつも1900が好き過ぎます。確かに少年時代の1900は可愛いですが、それにしたって度を越えています。

 これはどういうことなのか?そう、ピアニストである以前に1900は慰安夫なのです。夜は海の男の下のピアニストなのです。

 海の男達に心から懐いている美少年。これは多少ホモフォビアでも悪戯してしまいます。誰も文句を言えません。1900がガチホモに育つのは当然の帰結でしょう。

 しかも、1900は嵐で揺れる船内でもまるで何事もないかのように歩ける鋼の足腰の持ち主です。下半身を鍛えていると下の口の締りが良いというのは男女を問わないのは知られた話です。1900は大変な名器なのです。船員達が可愛がるのは当たり前です。

 第一ピアニストである事それ自体が怪しい話です。「ピアニストはホモとユダヤ人と下手糞しかいない」ホモでユダヤ人で天才ピアニストだったホロヴィッツが有名な言葉を残しています。

 1900は捨て子なので親が誰なのかはわかりませんが、金持ちの子供なら親がユダヤ人である可能性は大です。ロスチャイルド家のバカ娘が始末に困って捨てた子供だったとしても驚くべきことではありません。

 第一、ティム・ロスはユダヤ人ではありませんが、ロスという名前はユダヤ人特有の物です。彼の先祖が戦没したユダヤ人の追悼の為に改名したという話なので、彼の先祖はユダヤ人の戦友でも居たのでしょう。

 そして船員達とクルージングに余念がないとくれば、音楽の神もホモ堕ち必至。天才ピアニストになるのは運命づけられていたことなのです。

 何より、1900は例の少女に一目ぼれする前は女っ気ゼロでした。イケメン天才ピアニストともなれば乗客の金持ちマダムからお誘いが来るのは必定なのにです。

 これはどういうことか?そう、金持ちのホモ紳士のお誘いにしか乗らないのです。ヴァージニアン号の一等船室はディアギレフのお友達でキャンセル待ちに違いありません。

 そんな1900のセクシャリティを曲げたあの少女は相当な傑物です。アメリカの岩下志麻としてマフィア情勢を陰からコントロールしていてもおかしくありません。

 火夫達を筆頭にヴァージニアンの男達の1900愛は半端ではなく、唯一強硬な態度をとっていたスミス船長も『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で珠玉のモリコーネサウンドを切り刻んだペリシテ人、もといアメリカ人の1900の孤児院への移送を消極的に妨害しちゃうのです。

 船員達も官憲に全く協力しませんが、そもそも1900は船を知り尽くしているので隠れると見つかりません。そして、1900は死んだのではないかと皆気が気ではありません。

 しかし、1900は自分が捨てられていたピアノの前に突如姿を現し、ピアノを弾きこなしてしまいます。

 規則違反と船長は言ってみたものの、内心は1900が可愛くて仕方ないのでなし崩し的に1900はバンドメンバーとしてヴァージニアンの自慢のピアニストになっていくのです。

 バンドマスターのフィル・ダグラスは1900の天才ぶりにちょっと嫉妬しています。演奏の前には普通に弾いてくれと釘をさすのを忘れません。しかし、1900の凄さを最も知り尽くしているのが他ならぬ彼なのです。怪しいものです。

 勿論こんな注文に応じる1900ではなく、異次元のピアノプレーを見せてダグラスは神の名を唱え嘆きます。他のバンドメンバーは1900の演奏を楽しんでいるのがポイントです。

 ピアノ決闘には火夫達も応援に来ます。彼らは勝負に金を賭けていますが、多分有り金全部でしょう。火夫達にしてみれば1900が負けるなど考えられませんし、ここでケチな事を言えばダニーが化けて出ます。

 勝ち負けが分からないので演奏が終わる度にいちいち人に聞いて拍手するのがキュートです。淀川先生はきっと褒めたでしょう。

 バンドマスターだけはモートンの演奏にアヘ顔で、火夫も流石に第3ラウンドのモートンの見事な演奏に負けを覚悟したのか意気消沈ですが、最後に愛が勝ちます。

 勝ったと知らされて「やっぱりな」と抱き合うのが全てです。草葉の陰でダニーも喜んでいるでしょう。大損したはずのバンドマスターも掌返して拍手しちゃいます。

 この時から真の意味で船内が1900一色に染まったのは、船を降りようとしたマックスをホモ臭く見送るバンドメンバーの中でもバンドマスターが一番名残惜しそうにしていたのからも明白です。他の船員達も涙ながらに見送ります。

 皆心の底から1900が好きなのです。結局降りずに引き返してきた後はさぞ気まずかった事でしょう。しかし、最後は1900は一人ぼっちになってしまうのです。


マックス×
 本作の特等船室は勿論ここです。映画の冒頭でいきなりマックスはヴァージニアンを途中で降りた事を後悔し、挙句「あそこには一生に一人の友がいた」とか言っちゃうのです。

 一生に一人の友です。つまり、エンニオにとってのセルジオであり、セルジオにとってのエンニオです。ホミンテルンの伯爵が財力と権力に物言わてちょっかいをかけて来たって動じない仲だという事です。

 マックスの1900愛は常軌を逸していて、1900がダニーに拾われた経緯を「キリストの復活」になぞらえます。ともすれば、船を降りた自分はイエスを裏切ったユダと思っています。何度も言いましたが、イエスとユダはホモです。

 1900の凄まじい生い立ちを本気にしない楽器店主に全部実話だと怒り、「魂を賭けてもいい」とまで言います。これで楽器店主が引き下がらなければ殴り掛かっていたでしょう。

 1900が突如ピアノの前に降臨したエピソードに至っては直接聞いたわけでもないのに「血に染み渡るような調べ」ホモは文豪としか言いようのないコメントをし、規則違反ととがめた船長を「所詮お役所気質」と盛大にディスります。

 1900はダニーが1900を育てると宣言した際に船長に言った「規則は糞だ」という言葉で応戦します。そのエピソードを語らうマックスの楽しそうな事。もはやマックスは1900に取りつかれています。

 ヴァージニアンが港で間もなく爆破されると聞いて取る物のも取りあえず駆けつけるのも1900への愛がなせる業、そして、回想の中でマックスは採用事務所でトランペットを吹くという押し売りで無理矢理ヴァージニアンに乗り込みます。

 そしてその押し売り就職活動をデッキから眺めていた1900が移民たちと一緒に拍手を送るのが何気ないですが尊いシーンです。海の腐女神が二人を引き合わせたとしか思えません。

 ところがマックスのジャズマンとしての技量は相当なものですが、船乗りとしては未熟もいい所で、船酔いで死にかけます。

 モリコーネは流石にわかっていて呑気なBGMで笑いを誘いますが、船酔いは馬鹿には出来ません。何もかも吐いて衰弱死する人や、錯乱して身投げする人は大勢居るのです。

 そして、廊下でのたうち回るマックスの元に耽美な27歳のイケメンに成長した1900が現れ「僕が治してやる」と申し出ます。並のBLやパゾリーニだと便所で浣腸治療となるわけですが、トルナトーレ―とモリコーネはそんな安くありません。

 1900はピアノの車輪止めを外し、マックスを隣に座らせて「マジック・ワルツ」を奏でます。とんでもない荒療治です。

 シャンデリアは落ちて来る。タイミングよく冷やしたシャンパンに行き当たる。廊下の靴はピアノを一斉に避ける。全ては海の腐女神の思し召しです。

 まさに映画史に永遠に残る映像美の極致。『トップガン』をも超える二人乗りの究極形。マックスはもう虜です。

 そしてステンドグラスを突き破り、廊下の一番奥の船長室に突入してフィニッシュです。実質セックスはたくさん紹介してきましたが、これ以上の物を探すのは困難です。

 実質顔射された船長は役人気質とマックスの如き新参者に1900を盗られたジェラシーに狂い、二人に釜焚きの刑を命じます。

 ピアニストにとって指は命であり、この手の労働は御法度です。それ程船長は嫉妬していたのです。『ベン・ハー』のメッサラ並みです。

 しかし、1900にとってボイラー室は故郷であり、罰どころか二人はイチャイチャしながらスコップをボイラーに放り込んで二人仲良く石炭の山に寝転がってマックスの故郷のニューオーリンズについて語らうのです。

 スコップをボイラーに入れるなど、SL時代を知る鉄道マンが見たら卒倒します。石炭カスでも掃除が大変なのに、鉄の塊など入れるのは以ての外なのです。

 しかし、1900の父親としての序列が船長よりはるかに上の火夫達はそれを咎めようともしません。彼らは嬉しいのです。1900にマックスという「ルイジアナ・ママ」がやって来たのですから。ボイラーなどコンドームです。

 マックスは1900の噂は聞いていましたが、1900が余りにニューオーリンズに詳しいので最初は1900が1900だと信じませんでした。しかし、既に愛し合っている二人に言葉など必要ありません。モリコーネの音楽さえあれば十分なのです。

 一方、1900の思い出にたまらなくなって解体されるヴァージニアンに押し入ろうとするマックス。港湾労働者に殴り掛かって錯乱状態です。愛は小太りジャズマンをサムソンに変身させるのです。サムソンだけに愛は盲目です。

 挙句は水兵が銃を手に取り囲む事態になりますが、港長に「親友が乗っている」とごり押しして捜索を承知させてしまいます。

 「何故断言できる」という港長の言葉は尤もです。戦時中病院船になっていたうえ既に金目の物を運び出し終わっているヴァージニアンにまだ人が残っているなど常識では考えられません。

 しかし、愛は理屈ではなく、常識では推し量れない物なのです。マックスと1900の神に祝福された愛の前には規則など糞です。

 そして港長にも思い出を語り始めます。バンドマスターの普通にという注文を拒絶するのを目と目で合図する二人は完全にデキており、警察沙汰手前でのろけ話をかますマックスは相当なヤンホモです。

 1900のピアノはそれも致し方なしと言う代物です。そして、三等船室でこそ本気を出すというところをマックスは真に誇りに思っている節があります。

 そして、たまたま三等船室に乗っていたウィルソンなる議員が取材とツアーの話を持ち掛けます。マックスも大金が稼げると勧めますが、1900は船を降りようとしません。

 ここで謎なのは何で議員ともあろうお方が三等船室に乗っていたのかという話です。一等は無理でも経済的にも体面上も二等船室には乗っていないとおかしいはずです。そう、彼こそディアギレフのおホモ達なのです。

 議員の名前が効いたのか、港長はマックスの家探しを許可します。そして、愛の力としか言いようのないスピードでマックスは1900の部屋を発見するのです。

 例の少女の父親である農民(ガブリエル・ラビエ)と1900の邂逅のシーンも入れつつ1900を探すマックス。「友達だろ」という呼びかけが非常に尊いものがあります。

 そしてバンドマスターのモノマネをして気を引こうとします。傍から見るとヤバい人ですが、愛の前に外聞など気にしておれません。

 1900は回想の中で、乗客の境遇を勝手に想像してそれに合わせて演奏するという離れ業を見せてマックスを感心させます。当たっているのかはともかく、マックスを興奮させるには十分なプレイです。そして、マックスはそれが当たっていると信じて疑わないのです。半端じゃありません。

 マックスも含め他の乗組員は港に着けば上陸するのですが、それを見送る1900の姿は寂しそうです。寂しくて無線室に忍び込んでいたずら電話なんてしちゃいます。マックスのヤンホモは相当ですが、1900にとってもマックスは離れ難い男なのです。

 そこへギャングな装いのモートンの使者がやって来てピアノ決闘が決まります。記者相手に1900をディスるモートンを見てマックスは怒りと言うより殺意をむき出しにした表情を浮かべます。

 マックスの殺意と裏腹に1900はそもそも勝負をする意図がつかめないのです。実質この勝負はマックスとモートンの代理戦争なのです。

 モートンの演奏はその名声に恥じない見事な物ですが、マックスと来たら感心している1900を尻目に「演奏と言いうより愛撫」だの「娼館のピアノ弾き」だの差別一歩手前のいちゃもんを付けるのです。

 マックスは1900の勝利を確信していますが、1900は気乗りがせず、季節外れの適当な「きよしこの夜」でお茶を濁します。人を食った態度にマックスも失望です。

 マックスは1900の頭をはたき、給料1年分を賭けたと怒ります。なのに1900はモートンの演奏に純粋に感涙し、自分はモートンに賭けると無茶苦茶言いだします。儲けはマックスにやると申し出るのが二人の爛れた関係の証です。

 これは銭金の問題ではなく、マックスは1900が負けるのが嫌なのです。借金のカタで男娼やガレー船の漕ぎ手になるよりもこの事が許せないのです。

 1900はモートンの演奏をコピーし、マックスは柱に頭をぶつけて怒り、不貞腐れてソファに寝てしまいます。

 ところが、そんなマックスの愛を悟ってか第3ラウンドを前に1900はマックスに普段吸わない煙草をくれと要求します。ところがマックスは「片腕でも勝てるくせに」拗らせ切った事を言ってやろうとしません。

 マックスから無理矢理煙草を取った1900はモートンの真似をして煙草をピアノに置き、モートンに「後悔しやがれ」と言い残して信じられない演奏をおっぱじめます。

 客は煙草を取り落としてタキシードを燃やし、老婦人はカツラが取れて赤っ恥、ボーイはグラスを取り落とします。マックスだけが元気です。

 唖然とするギャラリーを前に1900は熱くなったピアノ線で煙草に火をつけ、モートンにくわえさせて完全勝利です。これが本当に可能なのかは怪しいですが、愛が燃えたという事です。

 アポロに勝ったロッキーのごとく肩車されてホールを練り歩く1900を尻目にマックスとモートンだけが冷静です。この夜はマックスと1900のチンポ決闘が盛大に執り行われた事でしょう。しかし、この決闘は両方が勝つのです。

 港長もこの話には感心してしまいますが、1900はなかなか見つかりません。そしてもはやトランペットさえ失ったマックスは「俺の財産はこの思い出だけ」と盛大にノロけます。しかし呆れた港長によって捜索は打ち切られてしまうのです。

 マックスは切羽詰まって楽器店にレコードを盗みに入ります。店主に殺されるリスクより1900なのです。

 楽器店主がレコードの出自を問いただし、回想の中で気乗りしない1900の会場でのレコード吹込みが行われます。そこへたまたま通りかかったのが例の少女です。

 1900は彼女と向き合いながら演奏し、レコードを完成させます。当然のように同席しているマックスは色々と察した表情です。しかし、1900の未来のかかった吹込みをぶち壊すような野暮なことはしません。相方の表の幸せを壊さないのが良きホモカップルなのです。

 「お前はビッグになる」と褒めちぎり、下船を再び勧めるマックス。付いて行けば移民の小娘など問題にならないという絶対の自信があるのです。

 しかし、マックスの思うより初めての女への恋は深く、1900は「僕の音楽は渡さない」とワガママを言ってレコードを持ち去って少女にプレゼントしようとします。

 しかし、1900は男は知り尽くしているのに女は知らないと見えて声をかける勇気が出ません。船室に忍び込んで寝込みを襲ってキスする危険な手段も取ってみたものの、マックスに見せたあの神がかりなアプローチはどこへやら、全くの不発に終わります。

 父親の事も持ち出して気を引こうとしたものの結局レコードは渡せず終いで彼女は船を降りてしまい、傷心の1900はレコードを壊してゴミ箱に捨ててしまいます。

 かかる時は海に投げるのが型ですが、1900がそうしなかったのは話の都合もあるのでしょうが、1900にとってはあくまで船の上が世界の全てだった事も暗示しています。

 マックスはそれを覗き見て無念の表情です。愛する1900が女に狂ってチャンスをゴミ箱に捨てたのですから当然です。

 しかし、少女は例の父親がやっている魚屋の住所を教えてくれたので、これを手掛かりに3年たって1900は遂に船を降りる決意をします。

 最初にそれを打ち明けたのはマックスでした。マックスは嬉しそうです。小姓が一人前の武士になったのを見届けた殿様の目です。

 しかし、1900は例の少女にのぼせ上っているのもお見通しです。なのでマックスは演奏して家庭を持つようにと上陸だけに地に足を着いた提案をします。

 上陸しても会いに来てくれるかと1900は可愛い事を言いますが、子供たちの母親に紹介してくれと返すのがマックスの良い所であり、策略です。

 一応あの少女と引っ付くことは認めつつ、1900が売れ出したところで自分もついて行ってコンビでやっていこうというわけです。

 1900の家を訪れた時のシミュレーションを延々語っちゃうのは、1900が少女にのぼせ上る一方でマックスがそれ以上に1900にのぼせ上っている証拠です。もうマックスの頭の中には1900と一緒に少女をコンドーム扱いする日々が完成しているわけです。

 そして1900はマックスから貰ったコートを着て船を降りようとします。マックスは「永遠の別れだと皆思っていた」などと言っていますがホモは嘘つきです。後で一人占めする算段なのですから。

 ところが予想外の事態が起こります。1900は怖気ついて帽子を海に投げ込んで引き返してくるのです。マックスとしては痛しかゆしの展開です。もっとも、この夜はさぞ燃えたでしょうが。

 しばらく腑抜け状態で過ごしていた1900でしたが、やがてマックスの下を覚悟を決めた表情で訪れて「吹っ切れた」と決意表明をします。音楽性にも変化が生じ、マックスとしては不安にさせる事態になっていきます。

 マックスの方がこれには参ってしまい、泣きながら演奏する有様です。取り返しのつかない事態になってしまった事が分かってしまったのです。そして間もなく、マックスは船を降りてしまいます。

 船を去るマックスを船窓から寂しそうに見送る1900。二人の関係は危機的状況と言わざるを得ません。

 そして、その拗れを清算すべく楽器店主からレコードと蓄音機をごり押しで借り受けたマックスは、レコードを船内でかけて1900を誘い出すことに成功します。

 1900はボイラー室に隠れていました。やっぱりここです。1900にとって特別な場所なのです。

 涙の再会を果たし、ダイナマイトの箱に腰掛けて積もる話をする二人。1900は戦争中も傷病兵の為に演奏し続けていたと涙ぐましいエピソードが語られます。

 そして、マックスはついにコンビを組もうと切り出します。金になるでしょうが、この際金など事後のティッシュの代わりにもなりません。あくまでマックスは1900の身を案じているのであり、そこに汚らわしい下心など介在する余地はありません。

 「面白い物語があって聞いてくれる人が居る限り人生は悪くない」とマックスは1900から授かった言葉を返して誘いますが、1900は終わりの存在しない世界が怖くて踏み出せません。

 1900は88鍵のピアノの前でしか生きられないのです。それを1900の悲痛な言葉で悟ったマックスは、結局涙ながらに熱い抱擁を交わして1900と別れ、船を降ります。

 「君だけが僕を知っている」というヴァージニアンの排水量より重い一言が泣かせます。そして、その巨大なヴァージニアンは1900諸共粉微塵になるのです。

 そして、ピアノの中に継ぎ直したレコードを隠したのはマックスであったことが知れます。マックスの愛が消えていくはずの1900を一枚のレコードに残したのです。

 楽器店主の粋な計らいでトランペットを返してもらったマックスは、恐らく1900の物語とジャズを届ける諸国巡礼の旅に出たのでしょう。面白い物語があって聞いてくれる人が居る限り人生は悪くないのです。


ダニー×

 船室漁りのバイトにいそしむダニーの前に運命的に1900が現れました。ピアノの上に捨てられていたのです。

 他の火夫が冷やかし、移民局が黙っていないと警告される中、ダニーはブチ切れて誰が何と言おうと自分で育てると高らかに宣言し、父親となるのです。

 人種も言語もごちゃまぜ、凄まじい下品さでダニーを馬鹿にしていた火夫達も1900が凄まじい量のウンコをしたのを機に父親の仲間入りしてしまいます。

 火夫の男声合唱子守唄のシーンは感動さえ覚えます。ウンコだけに気持ちの良い連中です。

 淀川先生は『タイタニック』をボイラーだけ褒めていましたが、逞しい男のガタイばかりでなくこういう気質を愛していたのでしょう。とすれば、いけ好かない金持ちの非生産的な痴話喧嘩とお寒い椅子取りゲームの話など汚らわしい断じるのは当然です。

 しかし、1900は出生証明書も何もない宙ぶらりんの立場なので、ダニーは1900をヴァージニアンの船内に隠しながら育て、そして競馬新聞で読み書きを教えます。

 アルフレードとトトに負けぬ美しき疑似親子愛です。競馬新聞が教材と言うのが『ロッキー』のポーリーとジュニア風ですが、まあイタリア映画なのでいいでしょう。

 しかし、1900には父親はダニーを筆頭に何十人もいますが、母親が居ません。ママの意味を尋ねられてダニーは困って馬の事だと嘘をついてしまうのもこの映画のホモソーシャリズムを象徴しています。

 全く存在感はありませんがヴァージニアンにはメイドや看護婦といった女性の乗組員も居て、彼女らもまた1900を大切に思っているのです。しかし、ダニーに言わせればママは存在しないのです。

 二人の関係は女人禁制なのです。海の女神は腐女子なので、1900が海に愛されたのは無理からぬ話です。

 口の悪い火夫が吹き込んだであろう「孤児院」という不穏ワードもダニーに言わせれば子供の居ない人間を閉じ込める刑務所です。そして1900は自分が居ないとダニーは孤児院行きと心配しちゃうのです。

 ヴァージニアンの乗組員たちは一様に1900を愛し、唯一強硬な態度を示していたスミス船長も最後は1900の父親に堕ちていくのです。

 まさに1900は天性のホモジゴロであった事を物語るエピソードですが、父親筆頭であるダニーがある嵐の夜、後頭部にウインチが直撃するという痛々しい事故に遭遇します。

 ボイラーをほったらかして慌てて駆け寄る火夫達。これは実は物凄く深刻な事です。

 というのも、石炭は常に一定の量をくべ続けなければボイラーの出力が安定せず、嵐の海の航行には大変危険なのです。そして、放っておくと石炭のカスがボイラーに張り付いて後片付けが大変になります。

 しかし、火夫達にとってそんな事は仲間の命の前にはコンドームの厚み程の意味しかないのです。火夫達の絆は燃える石炭のように熱く、海のように深いのです。

 治療の甲斐なくダニーは1900の競馬新聞の涙声の朗読を聞きながら大笑いしつつ命を落とします。

 恐ろしく長い名前の船医ドクタークラウゼマン(以下略)の見立てでは笑わなければダニーは助かったと語られます。しかし、これでよかったのです。ダニーは最愛の息子1900の愛に包まれて死んでいったのですから。

 「THANKS DANNY」と船長が書いた帆布に包まれて水葬に付されるダニー。葬送曲代わりに奏でられるピアノに興味を持ち、1900のピアニストとしてのキャリアがスタートします。

 ダニーが1900に手を出したのかは分かりません。出したと言えば出したという事には出来ますし、そうでないと言えばそういう事にも出来ます。しかし、それはこの際問題ではありません。このあまりに美しき親子愛の前にはそんな詮索は無意味なのです。

モートン×
 寂しくてイタ電という奇行に及ぶ1900の元へギャング丸出しのモートンの使者がやってきます。鋼の足腰を活用して逃げる1900ですが、最後は追い詰められてモートンとのピアノ決闘を無理矢理承知させられます。

 マックスが居たら喧嘩沙汰は必至です。モートンは売春宿のピアノ弾きから身を興した立志伝中の人物なので流石にスーパー攻め様気質です。

 真っ白いスーツに巨大なダイヤモンドで身を固めたモートンは記者と取り巻きを大量に引き連れてヴァージニアンに乗り込んできます。女っ気はゼロ。モートンがゲイであった証拠は見つかりませんが、この映画のモートンは間違いなくホモです。

 大体モートンは途方もない富と名声の持ち主であり、いくら天才とは言え船から降りようとしない1900に勝負を挑む理由が希薄です。なのになぜ?

 簡単です。モートンはピアノ決闘で打ち負かした相手を掘るのが好きなのです。ニューオーリンズのジンギスカンとは彼の事なのです。

 この時代の黒人のジャズミュージシャンともなれば人に言えない苦しみも味わってきたはずで、それを乗り越えて成功を掴んだ男が変態性癖に染まるのは当然と言えば当然でしょう。

 しかし、1900は勝負どころかモートンがどんな演奏をするのか興味津々です。あまりの総受けっぷりにモートンとしては面白くありません。

 ウイスキーを一気飲みし、1900をピアノからどけ、ちょっとやり合ってダイヤモンドの入った差し歯を覗かせ、煙草をピアノに置いて見事な演奏を披露します

 そして短くなった煙草を手に「お前の番だ」と挑発し、ウイスキーに煙草を捨てます。マックスは殺されても認めないでしょうが、見事なエンターテイナーです。ジャズとプロレスの奇跡的融合です。

 1900の人を食ったような「きよしこの夜」でプロレス的盛り上がりは最高潮に達し、モートンは第2ラウンドを更にクールに決めます。

 これに対して1900はモートンの演奏のコピーで応じます。これは1900なりのモートンへのリスペクトなのですが、レイプ好きのモートンとしては素直に受け取れません。

 それに、ジャズの演奏をその場でコピーするなど並大抵のことではありません。客はブーイングしますが、モートンは1900が本物だとここへきて悟るのです。

 そして第3ラウンドは早弾きで勝負に出ます。モートンもまた音楽史にその名を不朽のものとした正真正銘の本物なのです。

 勝利を確信したモートンはウイスキーではなくシャンパンを飲み始めます。言われもしないのにこれを出しちゃうあたり、バーテンはモートンに賭けていたのかもしれません。後で海に放り込まれやしないか心配です。

 1900は信じられない演奏でモートンを完全に打ち負かします。モートンも完敗を悟り、船室に引きこもって逃げ帰ります。それを見て1900は「ジャズも糞だ」と言い放つのですからこれはもうリバです。

 モートンはその後もピアノ決闘で何人もの男を犯したことでしょう。しかし、いつも脳裏に浮かぶのは1900との夜の事だったはずです。


楽器店主×マックス
 マックスは金に困ってトランペットを売ろうとしています。この時点でBL的には何が起こるか決まっているのです。

 しかし、トランペットは思うほどの値段で売りません。にしたってトランペットが20ドルは安すぎます。それが罠です。

 そう、店主はマックスの身体を狙っているのです。楽器店主も音楽の世界の人間なれば、男を知らないはずがありません。しかも圧倒的に強い立場に居る今、役得を行使しない手はないのです。

 それを知ってか知らずか、マックスは最後に一回吹かせてくれと頼みます。そして吹いた曲が1900の吹き込んだ思い出のメインテーマであった事から風向きが変わります。

 1900が捨て、マックスがピアノに隠した件のレコードは楽器店にピアノごと買い取られていたのです。

 楽器店主は1900の力量をレコードだけで見抜いているので、1900の正体を知っているマックスを「臭い下着並みに臭う」とホモ臭い言葉で問い詰めます。

 そしてマックスは「秘密の話だ」と1900との美しき思い出を語るのです。これは1900への愛の証明であります。本当は言いふらして欲しいのです。

 興味深げに1900の生い立ちの話を聞く楽器店主ですが、突飛な話なので本気にせず茶化します。これはお目当てのマックスが1900を余りに深く愛しているのをホモの先輩として見抜いていたからこそのジェラシーだったとも取れます。

 しかし、ホモで恐らくユダヤ人の楽器店主はその出自故の音楽的才能と商才から1900のレコードに才能と金の匂いをかぎ取り、マックスがヴァージニアンに行くよう仕向けます。

 ヴァージニアンに1900が居たらプロモーターに売って大金持ち、居なければマックスが頂ける。まさにこの楽器店主はユダヤの賢者です。

 しかし、1900は初日の捜索では見つからず、マックスはヤンホモを爆発させて楽器店に押し入りレコードを持ち去ろうとします。これにショットガンを手に「観念しろ」とやけに嬉しそうに出迎えたのが楽器店主です。

 楽器店主はトランペットを盗みに来たと思っていました。これをネタにマックスの尻に発砲する予定だったのでしょうが、「なぜ突然壁に掛けた絵が落ちるのか」と1900が船を降りる決意をした事について謎をかけます。

 情にほだされたのかヤバい奴だと思ったのか店主は話を聞き、レコードと蓄音機を借したおかげでマックスは1900と最後の別れをすることが出来ました。

 しかし、楽器店主も1900が爆死したことについて何が正しかったのか分からず、レコードを返しに来たマックスを前に涙目です。

 そして、店主はマックスにトランペットを返して二人は別れました。これにもBL的には裏があります。

 ジャズミュージシャンとしてまず一流の腕があるマックスと、1900の数奇な物語があれば成功間違いなしです。不良在庫になるのが見え見えの20ドルのトランペットなど安い投資です。

 愛とジャズの伝道師となったマックスの元に楽器店主は現れ、恩を盾についにマックスの尻をモノにするのです。豚は太らせてから食え、ユダヤ人のことわざです。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します

モリコーネ作品
『ニューシネマ・パラダイス』
『夕陽のガンマン』
『ミスターノーボディ』
『さすらいの用心棒/暁のガンマン』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
『アンタッチャブル』

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