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【自己紹介】 名前を変えた自分が、変えられないことと、変わらずにいたいこと

*今日のnoteはだいぶ長いです 最後まで読んでいただけたらとってもうれしいです

改めまして、こんにちは。
ah_ne 改め、「あーね」と申します。
今年度、教育学部の4年生になり、オンラインで授業を受けているところです。
卒業後は心理学の大学院に進みたいと今は思っています。 援助希求性や相談援助システムの構築・新規システムの受容性について調べたいのと、臨床心理士の資格を取りたいと思っています。
将来についてはまだ分からないことや決められないことが多いけれど、大学で出会った「教育に携わる」人たちを支えられるような仕事につきたいです。
↓目次

名前を変えました

まずはこのお話をしようと思います。名前の由来と込めた意味を一度、紹介させてください。
音だけが先にありました。大学に入学してから参加したコミュニティの中で、自分のニックネームを決められなかったときに「あーね、とかどう?」と声をかけてもらったことがきっかけです。

自分の名前から音を引っ張ってくれたのだと思います。
相槌を打つときの「あー!ね!」からビックリマークを抜いた感じのイントネーションです。
これをアカウント名にするとき、一番考えたのは「どうアルファベット表記にするか?」ということでした。いろいろ迷った結果、英語のリアクションで見覚えのある「ah!」というのをいれようということになりました。(自分の中で)

ただ、ah_neという名前を使っているうちに、じわじわと思ったことがあります。この名前、「読みにくい」んです。 つけた自分には何て読むかはわかるけど、パッと見たときに読みにくいなと思って。それで、アルファベット表記を手放そうと思いました。

表記が変わっても、「相槌っぽい」ということには変わらないな、と自分自身も納得できています。

きっかけ

自分はnoteでの名前を「読みにくいな」と思っていたけれどなんとなく変えずにいました。
それを、変えようと思ったきっかけは2つあります。

まず、noteのコメント機能を使ったこと。それから、今年に入って心理検査を受けたことです。

noteのコメント機能を使うと、お返事をいただく機会もあります。なので「名前で人に呼んでもらう」機会がnoteにもあるのだということに改めて気がつきました。人に呼んでもらうのに「読みにくい」のはいかがなものか と思ったのが1つのきっかけです。

それから。「心理検査を受けた」というのが一番大きなきっかけです。
というのも、この自己紹介noteはいままで対面でも一部の友だちにしか言ってこなかったことを公表する意味合いもあるからです。

「自分のことを公表するきっかけの名前変更」であり、「名前変更のための公表」でもある、と思った方が言いやすいかな、という魂胆です。

検査をうけました

「WAIS-Ⅳ」という心理検査をご存知でしょうか。
いわゆる「知能検査」の1つです。自分は今回、この検査を「発達障害の診断書をとる」ために受けました。

大学に進学する前から、自分に発達障害があるのは知っていました。
ただ、「大学生活があまりにもうまくいかなくなったこと」「それが生活に支障をきたした(と、気がついた)こと」「大学院入試にあたって、診断書を取った方がいいと考えたこと」という要因や、先輩やゼミの先生に勧めていただいたこととがあって、きちんとしたものを受けてみよう、ということになりました。

結果

具体的な検査の内容は「話してはいけない」ことになっているそうなので書き残すことはしませんが、受けてみたときの「できなさ」とか 普段の得意なことなど いろいろと腑に落ちる結果となりました。

IQも詳細に書いていいのか分からないので1の位を四捨五入して書くことにします。まず、全検査IQ(いわゆるIQ 全体を見たときのもの)が約140。分野別に見ると言語理解(言葉を使ったやりとり・知識)が約140、知覚推理(言葉を使わないやりとり・応用的推理力)が約120、作業記憶(いわゆる”ワーキングメモリ”)が約70、処理速度(単純作業のスピード)が約140。

正直、結果が返ってきたときの率直な感想としては「IQ平均あるんだ……」でした(IQの平均値は100)全体的に、もっと低いと思っていたのでめちゃくちゃびっくりしました。

お医者さんから言われたのは大きく2つです。まず「バランスの悪さ」、それから「検査中の様子」でした。

バランスの悪さ

上の数字見ていただくと一発でわかるんですが、検査項目ごとのバランスが滅茶苦茶わるいんです。一番高いところと一番低いところとでは、倍近くの差があります。ワーキングメモリに至っては平均を割っています。
「こうするとうまくいく」ということまではまだ理解できていない部分が多いのですが、「耳から入ってきた情報」を正確に受け取って覚えておく、というのは苦手だという自覚があります。あと、細かいことを覚えてられないときが多いので、漢字の横棒の数とか、書き順とか 「これで教育学部にいるって言っていいのか……!?」ってくらいくちゃくちゃです

あと、各項目についても、ある程度軒並み高いことには変わりないのですが「興味のない分野」の点数が低い。単純知識を問う問題があったのですが、自分の好きなジャンルについては全問正解くらいの勢いだったのに、すきではないジャンル(興味ない)ものは1つもあっていないとか、そういう差もありました。

際限なくなりそうなので、各項目について自分のことと照らし合わせるのは別のnoteをかこうと思います。

検査中の様子

「すごい気が散ってるなーと思ってみてました」と笑いながら返されました。実際期は散りまくってました。人が通ってる気配とか、電球のチカッてなるのとか、検査をしてくださった先生の手元とか、気になりまくってたし脱線して聞いているときもありました。

診断について

こんな感じで(?)心理検査を受けたわけですが、診断書自体はまだいただいていません。というのも、「診断書って」という話をするのを思い出したのが岐路について最後の乗り換えの駅についてからだったからです。
ただ、「ADHDとASDを併発しているといえます。二次障害もきちんと治療をした方がいいと思う」という先生からのお言葉もあったので 引きつづき通院をしつつ、自分の得意苦手や「どうしていけばできるのか」などを考えていきたいなと漠然と思っています。

次回こそは診断書の話をしような、と手帳にも書きました。

そもそものきっかけ

結果の話をしていてふと「いつ発達障害の可能性があったんだっけ」と思ったのでk\合わせて書き残しておこうと思います。

中学校2年生のときに受けた、忘れることができない道徳の授業があります。教材自体はほとんど覚えていないのですが、「寛容と不寛容」がテーマであったと記憶しています。「やりかえすのは悪いのか?」みたいな教材を読んで、クラスで話し合うというもの。

自分は「やり返してもいい」派でした。クラスとしては、というか道徳的には「穏便に解決しよ」みたいなゴールがあったんだと思いますが、どうしても納得できなくて「でもめっちゃ嫌なことされたら『ふざけんな』と思うし、ニュースでも殺人事件の被害者の人が「もう帰ってこない」っていうじゃないですか 「殺してやりたい」とか思うの、自然だと思うし 悪いと思えない 自分も殺しに行くと思う」っていう様なことを言ったんです。もう率直に。
そしたら先生の怒りを買い、「お前頭おかしいんじゃないのか!精神科行って来いよ!」ということを言われました。道徳の内容うんぬんより「意見を言ったら頭おかしいとか言われた」というのが滅茶苦茶インパクト強い出来事なのですが、「まあ病院(精神科)行けっていわれたし」と予約を取り、「○○ってことがあって行って来いっていわれました」という話をした後、今回受けたのとよくにた検査を受けたり、何度も通院をしたりするなかで「あなたは”発達障害の傾向が極めて強い”ね。」という診断をいただきました。まあただ「薬はちょっと様子見かなあ」と言われた次の回から、「結果出た行かんくていいでしょ」という勝手な判断により行く頻度がぐっと下がったのですが。

その時の学校の先生のことは二度と会いたくないくらいに思っているけれど、大学生になってからでも「思い当れるきっかけ」にはなっているので感謝もしなきゃいけないか、と思ったりいやだったりします。

変えられないことと変わらずにいたいこと

自分にとってこの「診断書を取るのに病院に行った」に関連して、「自分が『病院にいって診断をつけてもらう』くらいの特性があるということはかえられません。
治る治らない、という話でもない以上、一生付き合っていくものになります。

実際、こうして詳細なものを得た以上変えていけることや「変えようと」できることはあると思うんです。
このnoteはTwitterでつながってくれている友だちや先輩後輩だって見てくれる人がいます。直接伝えるかどうかは決めてないし、直接話すのはなんだか躊躇いがある部分が大きいです。
noteで、もっと結果や自分の特性について考えてみよう、と思っています。


ただ、「診断をいただいたから」ということは「知らせるきっかけ」に過ぎないと思うんです。

noteの名前を変えるにあたって、でもあるし、このnoteを公開するにあたって、「今までの人間関係を自分の中で変えたくない」ということを一番考えています。
「言って相手にどう思われるか」「もうかかわってもらえないかもしれない」こわさはもちろんたくさんあります。だから今まで言えずに来たんだ。

でも、信頼してるから言うのに、「大丈夫だ」と思うから言うのに、相手との関わり方をこちらが勝手に予想して避けたり変えたりするのは違うな、と思うんです。

「診断」をもらって気持ちとして変わることはたくさんあります。
でも、人・課題・ものとの関わり方は、「これが苦手なんだ」という理解以上には 今までと変えずにいたいな、と思います。

「あーね」に改名した自分の、いつもより長めの決意表明兼、自己紹介とします。

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大平文音│あーね
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