【縣青那の本棚】 冷たい水の中の小さな太陽 フランソワーズ・サガン 朝吹登水子 訳
これぞ小説、という、物語の出来栄えにハッとさせられた。
これが、やはりフランソワーズ・サガンをサガンたらしめる所以なのか。
バサッと切られるように、突然終わってしまった物語に、読後数時間経っても、まだ呆然としていた。
舞台は、パリ。そして自然豊かな地方都市、リモージュ。
主人公のジル♂は、洒脱な遊び人で、左翼系の新聞社で報道系の記者をしている。陽気で華やかな独身生活を謳歌していたジルは、エロイーズという美しいモデルの情人との同棲生活の最中、突然、ノイローゼを発症する。
極度の倦怠感、不眠症、恐怖心……。夜更けの鏡に映る自分の顔は、彼をゾッとさせた。
3ヶ月の間ひとりで悩み苦しみ抜いた彼は、友人ジャンの前で奇妙な泣き笑いの発作に襲われ、医者の紹介を受ける。
医者は、彼に転地療養を勧める。見知らぬ土地、見知らぬ人々と直に向かい合うことさえ出来ないほど衰弱したジルは、今は姉夫婦が暮らしているリモージュの実家へ帰る。
そこで無為の15日間を過ごし、それでも一向に元気になる兆しの見えないジルに、姉のオディールがいらだちを見せ始めた頃、ジルは姉と姉の夫フローランから、地元の名士の家で開かれるパーティーに連れ出される。
そしてそこで、彼は出会うのだ。その出会いによって、彼のみならず自分自身の運命をも大きく変えてしまう女性に……。シルヴォネール夫人、判事フランソワ・シルヴォネールを夫に持つ、ナタリー・シルヴォネールは、ジルを見た瞬間から、彼を愛した。
ナタリーは自分から行動を起こし、ジルは絶望的な気分から彼女との関係を一度だけで終わらせようとするが、彼女の存在と影響力に(それは始まりから終わりまで、彼女が彼を愛していたからに他ならないのだが)、自分の全てを話してしまう。パリ、エロイーズ、友人達、仕事、最近の数ヶ月のこと、全てを。
彼女は全てを受け入れ、ジルを愛してくれた。それからの二人の熱情、愛が燃え上がるのに時間はかからなかった。結局ナタリーは夫を捨て、地方の名流夫人の暮らしも捨て(それは彼女にとって退屈以外の何ものでもなかったようだ)、パリのジルの部屋に移って来る。
正直、読者としてドラマティックなのはここまでで、後はパリでのナタリーとの暮らしに関するジルの心の葛藤の描写が主になってゆく。そこではジルの男としての愚劣さ(パリの男としては、普通のことなのだろうか?)、ただの地方の善良だが浅薄な奥さんではなかったナタリーの本当の姿が浮き彫りになってくる。ナタリーは、美貌と教養を合わせ持つ、やや古くさい趣味やインテリなところはあるものの、とにかくジルのような人間からしてみれば仰ぎ見なければならないくらいの見事な女性だったのだ。
いつもちょっとしたことですぐに怒ってしまうジルは、小説の冒頭にも書かれてあるように、確かに傲慢な男だ。
そしてその男に愛されなくなったと感じた時、〝引き際〟のことも考えていたナタリーは更に見事だった。彼女は自分の愛した男に愛される暮らしを、精いっぱい生きたのである。