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映画『658km、陽子の旅』感想 誰もが持つ人生の「ままならなさ」

 観ていて心が痛くなるけど、優しさが確かなものに感じられます。映画『658km、陽子の旅』感想です。

 42歳の独身女性、陽子(菊地凛子)は夢破れた後、フリーター生活を続け、在宅の仕事のみの引きこもり生活を過ごしていた。スマホが壊れた陽子のもとへ、従兄弟の茂(竹原ピストル)が訪ねてくる。茂は連絡のつかない陽子の家族に頼まれて、父親である昭政の訃報を伝えに来たのだった。20年以上前に、父に反発して青森を飛び出した陽子は、その後ほぼ顔を合わせていない父の死に実感が湧かぬまま、茂一家の車で青森へ向かう。だが、サービスエリアでアクシデントにより、陽子は茂一家とはぐれてしまう。所持金もなく、途方に暮れる陽子だが、父の火葬前に間に合うように、ヒッチハイクで青森を目指し始める。行く先々で出会う人々と父親の幻影(オダギリジョー)を道連れに続くその旅路は、陽子の心に少しずつ変化をもたらす…という物語。

 『#マンホール』『私の男』で知られる熊切和嘉監督による映画作品。何となく流れていた予告編での菊地凛子さんの演技に惹かれるものを感じて観てまいりました。
 菊地凛子さんといえば、『バベル』での鮮烈な世界デビュー以降、一癖二癖ある役に定評があります。もちろん綺麗な方ですが、ストレートな美人役よりは、どこか陰があるとか、どこか悪意を感じさせる人間を演じるイメージが強いです。直近では大河ドラマ『鎌倉殿の13人』での、「のえ」役も素晴らしかったです。
 
 冒頭で描かれる陽子の引きこもり生活も壮絶なリアリティあるものになっています。惨めな姿ってちょっと滑稽に描いてしまいがちなんですけど、ここでの陽子は、惨めで哀れでも、笑える隙は全くない描かれ方ですね。故障問い合わせのチャット対応を在宅でしているからこそ、自身のスマホが壊れた時の諦める感覚もリアルだし、他人と喋ることはないけどPCで配信の映像作品を観ている時は声出して笑っている場面の孤独感、全く他人事にならずに身につまされてしまいます。
 
 物語そのものは、そんな陽子が社会性、人間性を取り戻していくという、シンプルなロードムービーなんですけど、他人との触れ合いが心を解かすというようなただの良い話というわけではなく、きっちりと醜い部分も描かれています。冒頭の陽子の怠惰な生活、ヒッチハイクで乗せてもらってもマトモにコミュニケーションが取れない態度、陽子を乗せる代わりに代償を要求するライターの若宮修(浜野謙太)など、割と人間のエグい部分も描かれています。今作のハマケンさんの演技、嫌過ぎて絶品だと思います。
 
 陽子と父との間にどんな不和があったのか、どんな夢を抱いていて、どんな失い方をしたのかということは全て描かれていません。その代わりとして映されているのが、道中にある東北地方の震災の爪痕だと感じました。つまりは、全ての人生における「ままならなさ」を震災に置き換えて感じ取ることが出来る画面作りになっていると思います。
 そして、そんな醜い人間の側面、恐ろしいことが起こった災害の記憶があるからこそ、美しい人間たちの振る舞いも際立つようになっています。吉澤健さんと風吹ジュンさんの夫婦の姿には、お人好しと揶揄出来ない、真摯で切実な親切そのものがありました。
 
 けれど、陽子が人間性を取り戻していく姿は、この親切に依る所も大きいとは思いますが、出会う人々のどれもが欠けていても成り立たなかったもののように思えます。若宮に傷つけられたということも、怒りという感情を取り戻すものだったし、踏み込むことの無かった立花久美子(黒沢あすか)、小野田リサ(見上愛)とのそれぞれの距離感というものも、陽子が取り戻した感情を構成する要素のひとつひとつに感じられました。
 
 陽子にとっての「人生のままならなさ」の象徴が、仲違いをした父親だったんですけど、それを失ったことで、より現実的に「ままならなさ」と強制的に向き合うドラマになっていると思います。陽子の成長、人生を取り戻そうとしていく過程を、復興しようとする震災地と重ねる見事な脚本になっていると思います。
 
 何が正しくて何が間違っているのかということを提示する作品ではありませんが、生きていくには「感情」が必要である、そのためには「他人」が必要であるということを痛烈に教えてくれる作品だと感じました。


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