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5次元的感覚な午前 (バンコク・小樽・カイロへと同次元に存在するパースペクティブ)

2001年 タイ・バンコク 時空座標(5,080,−3,285)

カンボジアのシェムリアップからバンコクへ到着した次の日、私は進君へ現在の自分の旅の状況をメールで報告した。

それから2,3日後、(つまり私が杉本彩似のタイ人のオカマと2日間ソンクラーンの喧騒の中で熱い夜を過ごした後に)進君からラオスを旅しているという内容の返信メールを受け取った。私はバンコクの夜遊びにはまりながら、昼夜逆転生活をエンジョイしていた。

その当時の私はラオスという国の位置をまだ正確に把握してなかった。夜遊び生活を2週間続けた後、そろそろ次の行き先を決めようかと、ガイドブックを見た時に、タイ、ラオス、マレーシア、シンガポール、ミャンマー、バングラディッシュ、インド、中国の位置関係(座標)を把握した。

進君にメールを出したところ、まだラオスの北部の町にいるとのことだったので、私はバンコクでの沈没生活から重い腰を上げて、北へ進路をとり、チェンマイ、チェンライ、チェンコンと移動し、国境の町フエイサイで進君と落ち合うことにした。


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2010年 日本・小樽 時空座標(30,−3)

 受付の鈴がなったので、机から離れて表に出ようとしたら、来客の主は韓国人のチョさんだった。

「オハヨゴジャイマス。」と韓国語なまりの日本語で社員へ挨拶し、そそくさと社長室の方へ事務所を横切っていった。

前日の夜、ビールを10本とおやつと韓国食材を持って、事務所の上に間借りしている私の部屋に遊びに来てくれた。
が、チョさんはビール2本も飲まないうちに帰っていってしまい、私はチョさんとそんなに話す時間は得られなかった。

チョさんがスキーインストラクターの検定を4月に受けるという話になった際、チョさんは「私はコブが苦手です。」と言った。

その時、同席していた私の会社の先輩が私に代わって、私が過去にモーグルをやっていて学生時代には北海道選抜だったことを話してくれた。
私はチョさんに私がモーグラーであったというimageを植えつけることができてて良かったと思った。

 チョさんには、昨日終わったオーンズ・スキー場での韓国料理フェアの後片付けという仕事が残っていたが、その前に今日提出期限であるSIAインストラクターの資格であるステージⅡの申込用紙を提出するために、事務所に来ていたようだ。

私はそんなチョさんを横目で見ながら、来週宿泊予定の韓国人のお客さんのジンギスカンプランのキャンセルについて小樽畜産へ電話をしたり、GW向けの広告の打ち合わせ日を決めるためにじゃらんの担当者に電話したり、ネット販売サイト用の連泊プランのアップロード依頼するために横浜にある宿泊予約研究所に連絡したりしていた。


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2006年 エジプト・カイロ 時空座標(9,229,−1,825)
 

朝起きて部屋を出て、いつものようにロビーに向かった。

私以外に、朝7時半のイスマエリア・ハウスのロビーに来るのは、朝一番でピラミッドを見に行く人か、エジプトを出国するために空港行きのバスに乗る人か、ただ単に年寄りなために早く起きてしまう人か、大きく分けてこの3パターンに分類できる。

今朝のロビーは誰もいなかった。いつものようにテレビからはBBCニュースが流れていた。

ロビーは7階にあった。朝の日差しの眩しい窓からはタハリール広場のロータリーを走る車の騒音や、屋台でターメイヤを売る親父の掛け声や、鳥の鳴き声が入り混じって聞こえてくる。

住み込みで働いている少年が、いつもと同じ朝食を運んできた。

朝食は、ゆで卵、手のひらサイズのパン一切れ、チーズにジャム、そして紅茶。パン自体は安物なのでたいしておいしくなく、すぐに飽きてしまっていたけれど、ゆで卵はいつもできたてで暖かくて美味しかった。

朝食後、クリーニングされたYシャツとスラックスに着替えて、部屋を出た。途中、地元の人たちで込み合うフェルフェラ屋に立ち寄り、ゆでたまご1個、ターメイヤのサンドイッチを2個、フライドポテトのサンドイッチを2個をランチ用に買い、会社に向かった。

私はいつもだいたい2,3番目に会社に到着していた。9時からの始業なのだが、エジプト人の社員全員が来るのは大体10時を過ぎた頃だった。

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