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日本海軍軍人伝

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日本海軍の軍人について
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#海軍中将

支那方面艦隊司令長官伝 (12)福田良三

支那方面艦隊司令長官伝 (12)福田良三

 歴代の支那方面艦隊司令長官について書いていますが、前身の第三艦隊司令長官もとりあげます。今回は福田良三です。
 総説および前回の記事は以下になります。

第二十三潜水艦長 福田良三は明治22(1889)年11月1日に熊本県の玉名で生まれた。日露戦争のあと江田島の海軍兵学校に入校する。明治43(1910)年7月18日に第38期生149名中50位で卒業し海軍少尉候補生を命じられた。首席は原清である。

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支那方面艦隊司令長官伝 (8)今村信次郎

支那方面艦隊司令長官伝 (8)今村信次郎

 歴代の支那方面艦隊司令長官について書いていますが、前身の第三艦隊司令長官もとりあげます。今回は今村信次郎です。
 総説および前回の記事は以下になります。

三笠乗組 今村信次郎は明治13(1880)年12月4日に米沢藩士の家に生まれた。山下源太郎や黒井悌次郎と同郷になる。米沢中学を経て日清戦争後の海軍兵学校に入校した。明治35(1902)年12月4日に第30期生187名中の首席として卒業し海軍少

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支那方面艦隊司令長官伝 (7)左近司政三

支那方面艦隊司令長官伝 (7)左近司政三

 歴代の支那方面艦隊司令長官について書いていますが、前身の第三艦隊司令長官もとりあげます。今回は左近司政三です。
 総説および前回の記事は以下になります。

練習艦隊参謀 左近司政三は明治12(1879)年6月27日に旧米沢藩士の家に生まれた。叔父の養子となり大阪に移ってそこで育つ。日清戦争後に江田島の海軍兵学校に入校して海軍将校をめざした。明治33(1900)年12月13日に第28期生105名中

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支那方面艦隊司令長官伝 (5)中野直枝

支那方面艦隊司令長官伝 (5)中野直枝

 歴代の支那方面艦隊司令長官について書いていますが、前身の第三艦隊司令長官もとりあげます。今回は中野直枝です。
 総説および前回の記事は以下になります。

海軍軍令部参謀 中野直枝は慶応4(1868)年2月15日に土佐国で生まれた。東京築地にあった海軍兵学校に入校し、在校中に学校が広島県江田島に移転する。第15期生80名のうち6位の成績で卒業し、明治22(1889)年4月20日に海軍少尉候補生を命

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軍令部総長伝(2) 中牟田倉之助

軍令部総長伝(2) 中牟田倉之助

 歴代の海軍軍令部長・軍令部総長をとりあげます。今回は中牟田倉之助です。
 総説と前回の記事は以下になります。

朝陽船将 中牟田倉之助は天保8(1837)年2月24日に佐賀藩士である真木家に生まれた。同じ佐賀藩の中牟田家に養子に入る。幼名は武臣とされているが実名のように思える。ペリー来航による開国をうけて安政2(1855)年に幕府が長崎海軍伝習所を開設すると、地理的にも近い佐賀藩は諸藩のなかでも

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軍令部総長伝(1) 伊藤雋吉

軍令部総長伝(1) 伊藤雋吉

 歴代の海軍軍令部長・軍令部総長をとりあげます。今回は伊藤雋吉です。
 総説は以下の記事になります。

金剛艦長 伊藤雋吉(「しゅんきち」とも)は天保11(1840)年3月28日に丹後国田辺藩士の家に生まれた。現在の京都府舞鶴市に属するが軍港で知られる東舞鶴ではなく、城下町で商港の西舞鶴になる。戊辰戦争には直接参加せず、維新後に東京に出て大村益次郎に兵学を学んだ。その後兵部省に出仕するがはじめは文

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海軍皇族軍人伝(4) 久邇宮朝融王

海軍皇族軍人伝(4) 久邇宮朝融王

 海軍軍人となった皇族をとりあげます。今回は久邇宮朝融王です。
 総説と個別の伝を立てるまでもなさそうな皇族あるいは皇族が臣籍降下した華族出身の海軍軍人は以下の記事にまとめました。

 前回の記事は以下になります。

八雲砲術長 朝融王は明治34(1901)年2月2日に久邇宮邦彦王の長男として誕生した。父邦彦王は当時陸軍中尉で陸軍大学校の学生だった。学習院に入学するときの身体検査で色弱気味と診断さ

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聯合艦隊司令長官伝 (32)小沢治三郎

聯合艦隊司令長官伝 (32)小沢治三郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は小沢治三郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

第一水雷戦隊参謀 小沢治三郎は明治19(1886)年10月2日に宮崎県で生まれた。家はもと高鍋藩士の家系である。宮崎中学に通っていたが喧嘩騒ぎで退学になる。海軍将校をめざして江田島の海軍兵学校に入校したのは日露戦

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海軍大臣伝 (3)仁礼景範

海軍大臣伝 (3)仁礼景範

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は仁礼景範です。
 前回の記事は以下になります。

揺籃期の海軍で 仁礼景範は薩摩藩士の出身で、天保2(1831)年2月24日に生まれた。幕末にはすでに壮年で、倒幕に奔走したが慶応2(1866)年に藩命でアメリカに留学したため戊辰戦争には参戦していない。明治元(1868)年に帰国、新政府に出仕してはじめ兵部省、のち海軍省に勤務した。明治7(1874)年海軍

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聯合艦隊司令長官伝 (1)相浦紀道

聯合艦隊司令長官伝 (1)相浦紀道

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。初回は相浦紀道です。
 総説の記事は以下になります。

佐官まで 相浦紀道は天保12(1841)年6月23日、佐賀藩士の家に生まれた。初名は忠一郎。藩校で学んだあと佐賀藩海軍に入り戊辰戦争に従軍する。戦後は新政府海軍に出仕し、明治4(1871)年5月17日に海軍大尉に任官した。砲艦摂

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聯合艦隊司令長官伝 (4)有地品之允

聯合艦隊司令長官伝 (4)有地品之允

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は有地品之允です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

佐官まで 有地品之允は天保14(1843)年3月15日、長州藩の大身藩士の家系に生まれる。戊辰戦争では中隊指揮官として福山、大阪、江戸などを転戦し白河会津などの東北地方にまで進軍した。戦後は新政府陸軍に出仕して陸

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聯合艦隊司令長官伝 (5)坪井航三

聯合艦隊司令長官伝 (5)坪井航三

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は坪井航三です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

佐官まで 坪井航三は天保14(1843)年3月7日、長州三田尻、現在の下関に生まれた。父は長州藩に仕える医師である。はじめ原信道と称したがのちにやはり医師の坪井家に養子に入る。家業の医学を学んだが、欧米諸国との四国

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聯合艦隊司令長官伝 (9)角田秀松

聯合艦隊司令長官伝 (9)角田秀松

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は角田秀松です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

江華島事件 角田秀松は嘉永3(1850)年2月12日に会津藩に仕える医師の家に生まれた。戊辰戦争に幕府方として従軍し、青森県に移された(厳密にはいったん除封のうえ再興)主家に従って下北半島に赴いた。その後商船の船員

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聯合艦隊司令長官伝 (12)有馬新一

聯合艦隊司令長官伝 (12)有馬新一

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は有馬新一です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

八島回航委員長 有馬新一は嘉永4(1851)年1月26日、薩摩藩士の簗瀬家に生まれた。戊辰戦争に従軍したあと、同郷の山本権兵衛や日高壮之丞とともに東京築地の海軍兵学寮に入寮する。実習のためコルベット筑波に乗り組んで

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