見出し画像

【重大告知】幸せに生きる人だけが知っている幸せになれる生き方の鉄則

アドラー心理学サロンをフォローしてくださっている皆様へ

こんにちは!アドラー心理学サロン中の人です!!

2018年の6月にTwitterでアドラー心理学サロンを開設してからあっという間に合計50万人以上の人々にフォローして頂き、昨年の2021年の6月には初の書籍である「あなたのためのアドラー心理学」を出版させて頂くことがお陰様でできました。

普段、応援してくださっている皆様には深く感謝していますし、お礼をしたいくらいです。

そこで考えたのがこの記事を書くことです。

それはなぜか?
案外、なぜアドラー心理学サロンを私が開いたのか?そして私がどのような人物なのか?といったことをあまりご存じのない人が意外とフォロワーさんの中にいるので、せっかくなので私の個人的な話をさせて頂きながら、なぜアドラー心理学サロンを開設したのかについてその理由を明らかにしていきたいと思います。

そして、私の話を通じて人は誰でもどこからでも、自分の思い通りの人間に変わっていけるということを皆様に理解してもらいたいのです。

正直、かなり赤裸々なことを書き綴っておりますし、変な誤解を招く可能性があるので限られた人にお届けしようかなと思っていましたが、より多くの人々にお届けしたい気持ちが勝って一般公開することに決めました。

では、私の生い立ちからお話しします。

私の過去

実は凄惨な毒親家庭で私は育ちました。

毒親は自分が毒親であることは自覚していないものですし、自分を疑うことも無いと思いますのでこの記事はその時点でかなり矛盾しているのかもしれませんね

毒親は自分自身も毒親に育てられていたりと、過酷な生い立ちを経験してきているパターンが多くて、自分もそれがおかしいと思いつつも当たり前という感覚になっているので、同じようなことを自分の子供にもやってしまう人が多いのです。

挙げ句の果てに、自分の子供が何不自由なく健やかに育つ姿を見て怒りを覚える親も少なくありません。

実はアドラー心理学サロンの中の人である私、命を奪われかねないほどの毒親の元で育ちました。

母親には一生消えない傷を身体に負わされましたし、ネグレクトされつつも、暴言と暴力に晒されながら生きてきました。

親のネグレクトによって大怪我を負い、病院に連れて行かれた時には、あまりの激痛で泣き叫ぶまだ4歳くらいの私に「お前が勝手に怪我したんだろ、泣いてんじゃねえよクソガキが」と言ってきました。

手術を受ける時に母が医者に言った言葉は下記のような言葉でした。

「その傷は元に戻りますか?障害者になられたら困るんですよね。忙しいので早く治してください!!(怒鳴り声)」

その後、治療のために何度か通院したのですが、その際にも「めんどくせえなクソガキが、泣くんじゃねえよ」、「私には関係ないよ」と言われました。

また、幼い私が近所の大きな子供から殴る蹴るの暴力を受けて泣き叫んでいても無視をしてくる他、プールで溺れて「ママ!」と呼んでも無視されて溺れ、ライフガードに救出されて水を吐き苦しむ私を見て笑いながら何をしてるの?馬鹿じゃない?と言ってきたものです。

毒親育ちの私の母は、自分の子供が幸せそうに育つことを忌み嫌い、非常にキツく当たってきたものです。

「自分は大変な生い立ちだったのに、両親も揃っていて何不自由しないのに駄々コネやがってこのクソガキがっ、私なんて〜」と散々言われてきました。

父親は虐待こそそこまでしてきませんでしたが、完全にネグレクト状態でした。

ううっ、、過去のしまっておいたつらい記憶を掘り起こしていたら、心理学のプロである私もさすがにキツくなってきました。。。

大人になってカウンセリングをしていく中で毒親な人はみんな同じように自分の子供が自分よりも少しでも幸せそうだとそれが気に入らなくて暴言や暴力を振るってしまうパターンが多いのです。

そうして、子供は暴力的になってしまったり、自尊心が低くて自己肯定感が低い人間に成長してしまう危険性が高まります。

おまけに、毒親は自分の蛮行が許されて当然かの如く考えていたりしますので、暴力を振るってから謝ってきたことも何度もありましたが、小さい子供なら「いいよ」としか言えません。

そうして、時にはキツく当たってしまってきたけれど、その度にこの子は笑ってそんな私を許してくれたと思っているようです(しっかりと心の傷は深まっていってましたけどね)。

ネグレクトと虐待を受け続けていたこともあり、子供の頃の私の基礎学力はあまりにも低く、スポーツも何もかもが苦手な典型的な劣等生になってしまっておりました。

人と話すのが怖い、世の中は自分を傷つける悪い人ばかりなんだ、どうせ自分を好きになってくれる人なんていない、どうせみんな僕のことを見下しているんだ、などといった気持ちと思考がグルグルと私の中には渦巻いており、いつも自分は無価値な存在なのだと思っていました。

小学生から中学生になるまでは友達は一人もおらず、引きこもりがちで、いつも無気力で文字も満足に書けず、計算もろくにできない状態でした。

しかしながら、自分から変わりたいという意思が芽生え始めて様々な本を読んでいくうちにアドラー心理学に出会いました。

私が心理学に出会い、学び始めたのは小学6年生の頃からになります。

その後、劣等生ながらにアドラー心理学によって勇気を持ち、自分に欠けているものよりも今の自分にあるものに目を向けて努力していくメンタリティを持てるようになりました。

小学校と中学校では不登校を経験するも、その後はしっかりと仕事に就くこともできましたし、大学で心理学を学んだりもしましたので自分でこんな話をするのは恥ずかしいのですが、心理カウンセラーとしても活躍することができました。

カウンセラーになる前は一般社会のサラリーマンとして営業の仕事などもしていました。

人と話すことがろくにできず、対人恐怖症とパニック障害、適応障害を患っておりましたが、心理学に詳しかったのでセルフコーチングを行なって営業成績は社内でもトップクラスにまでなることもできました。

私の個人的な話をするのでは、本記事の主張が主観的になってしまう恐れがありましたので控えようと思っておりましたが、説得力を持たせたい気持ちもあれば、いじめなど他人に傷つけられて同じような経験をしてきた人の力になれるのではないかと思い、あえて私個人の話を含ませて頂きました。

アドラー心理学サロンから発信している知識は、私自身の生々しい個人的な実体験と長年のカウンセリング経験に加えて実践的な心理学の知識が織り込まれているので効果は抜群であることを保証します。

アドラー心理学サロンを開設した理由

たとえどん底にいたとしても、いつからでもどこからでも人生はやり直すことができます。

「やり直す」という言葉自体がネガティブですね、いつからでもチャレンジすることができるのです。

心の持ち方さえ前向きになれれば、人は何でもできるのです。

そして、心を前向きにして皆さんに幸せな人生を歩む勇気と知識をお伝えしたいのです。

こんな私でも、何とかなれたのですから、あなただって何とかなるのです。

それが私がアドラー心理学サロンを開設した理由です。

どうすれば人は変われるのか?

世の中には「あなたは本当の不幸を知らない」だとか、「あなたは本当につらい経験をしたことがない」だとか言ってくる人がいますが、たしかにそういう人が経験してきたことは「不幸」であり「不運」なのだと思いますし、一切否定するつもりもありませんし、不幸比べをするつもりもありません。

自分で自分を不幸だと思っている人は被害者意識が強いので、自分は酷い目に遭ってきたのだから、他人に同じ事をしても許されると思ってしまっていたり、自分にもっと周りの人達は気を遣って、苦労してきた自分を腫れものを扱うように大切に扱うべきだと思っていたりもします。

自分を不幸だと思っていて、被害者意識を持っている人は自分が正しいと思い込みがちで、自己中心的にしまうのです。実際に、若い頃の私もそうでした。

自分が本当に不幸であるかどうかは、その不幸な出来事を自分がどう捉えるのか次第でも意味は変わりますし、その出来事自体がどれほど他の人が経験してきた不幸よりも大変なものだったかなんて、比較しようもありませんし、不幸自慢大会をしたところで何にもなりません。

勝ったところで自分が不幸であることをますます自覚するだけですし、負けたところで自分が幸せになれる訳でもなく、心にモヤモヤしたわだかまりが残るだけの結果に終わるのがオチなのです。

客観的にあなたの不幸がどれほど不幸なのかどうかなんて測ることは不可能、そしてあなたがどれほど苦労してきたのかなんて、人それぞれの捉え方もあれば持っている外見や性格など様々な特性によっても捉え方も考え方も違いますし、客観的に測れる指標が無いので何とも評価できないことです。

不幸や不運など、つらい過去の記憶とこれから先の未来をより明るく幸せなものに変えるには、とにかく今あるものから少しでも感謝できる事を見つけ出して、使えるものはフルに活用して、今できることをやっていくことが必要なのです。

高い理想や目標を持つことは大切なことですし、素晴らしいことではありますが、現実とのギャップに苦しんで落ち込んで前を向けないのではいけません。

まずは現実を受け止めて、等身大の自分を受容するのです。

今よりも少しでも良い状態を目指したり、昨日の自分よりも今日は少しでも前を向けているのかどうかと考えながら、まずは一歩ずつ自分を変えていくのです。

理想は理想だから完璧に思えるものであって、自分が理想としていて「こんな人になりたいなぁ」と思えるような憧れの人にだって、何らかの欠けているものがあるのです。

それに、憧れの人と自分は仮に同じような境遇と経験をしてきていたとしても、時代も違えば持って生まれた外見や性格も違うのですし、囲まれている環境も持っている条件も何もかもが違うのですから同じことができると思うのも甚だしい思い込みです。

自分にしかない、自分にしかできない、自分だからできることで自分の人生を切り開いていきましょう。

少なくとも、何か行動すれば新しい知識も得られますし、昨日の自分よりも前には進めているのです。

少なくとも、努力しないより、努力した方がマシなのです。

ただ、いつまでも高すぎる理想を追いかけているばかりでは、それは自己嫌悪にもなると思いますよ。

見るべきものは、自分がどれだけ成長できているのかという「変化」であって、理想ではありません。

自分を成長させて変化させることは、すなわち自分の夢や目標の実現に自分が一歩一歩近づいているような状態であって、それこそがワクワクするものなのです。

大きな夢があるのなら、それを実現可能なレベルまで分割してみましょう。

そして、少し無理をして頑張れば達成できそうな目標から順に達成していくのです。

するとどんどん、努力そのものが楽しいものに変わっていきます。

人生はロールプレイングゲームのようなもので、クリアした後よりもクリアするまでの試行錯誤が一番幸せで充実しているものです。

今の自分にはちょっと背伸びだけど、やってみたいなと思えることはどんどん挑戦していってください。

どんな失敗も自分が成功するための材料であって、失敗した分だけ成功に近づいているのです。
そして、一つ成功したら、今度はもう一段階挑戦してみることができます。

そうして自分が達成したいことに向けて自分を成長させ続けることができれば、あなたもあなたの憧れの人と同じではないけれどあなたなりの幸せと成功を手に入れることができることを保証します。

小さなものであれ、成長することこそが人生の醍醐味です。

最後に

この記事をお読み頂き本当にありがとうございました!

この記事をTwitterやインスタのストーリーでシェアして頂けましたら、可能な限りこちらから「いいね」か「リツイート」させて頂きます。

感想も添えてシェアして頂けますと、本気で嬉しいです😊

みんなで知識を広めて、悩める人たちを救いましょう!!

これまで無償でご相談をお受けしたり、情報を発信して参りましたが、品質の向上の為に一部有料化を実施させて頂きました。より良いサポートの為にご支援して頂けますと幸いです😁