他者からの賞賛や注目を求めると不幸になる衝撃の理由
自己肯定感が低い人は、どうしても他人からの賞賛や注目をいい意味でも悪い意味でも得ようとしてしまいます。
アドラー心理学では、人は褒めてもらえないと判断した時には、わざと非行に走ってでも他者からの注目を得ようとする傾向があると考えます。
自己肯定感が低くて他者からの賞賛や注目によって自分の価値を決めようとしてしまう人は、誰かに好かれること、誰かに認められることを求める承認欲求と、とにかく他人から注目される為にわざと目立つような変なことをしたり、下手をすると非行に走るなど悪さまでやらかしてしまいます。不必要な自己アピールをしてしまったりしがちな自己顕示欲が強いのです。
つまり、自分が本心からやりたいことや望んでいることよりも「他人からどう思われるのか?」を軸にして考えてしまうから、自分軸ではなく他人軸で生きることになります。
他人軸で生きることは、自分が心の底から求めているものではない為、お金など物質的に満たされることはあっても、心が満たされることはありません。
ここで注意が必要なのですが、そもそも完全に人の目を気にせず、他人からどう思われるのかを気にすることのない人間なんていないということです。
公衆の場で裸になりたいからって裸になってはいけませんし、普通の感覚ではそんなことは恥ずかしいと感じることでしょう。
そんな人がいたとしたら、それこそ社会で生きていくことはできないことでしょう。
つまり、完全に人の目を気にしなくなることも、他人からどう思われているのかを気にしなくなることも不可能どころか目指すべきではないのです。
ポイントは、あなた自身がどんな時にどのように人の目が気になって困っているのかを分析して、それを改善していくべきであるということです。
人の目が気になると悩んでいる人は、どんなことでどのように人の目が気になっているのかをよく分析してみることです。
人それぞれ、どのように人の目を気にしているのかは異なりますので、解決策は千差万別です。
自分なりに、自分に合ったやり方を模索していってくださいね。
話を戻しますが、では他人からの賞賛や注目では一時的に自己肯定感を満たすことはできても、「自分はここにいてもいいのだ」と思えるような本質的な自己肯定感は得られません。
となると、どうすればいいのかというと、他人の視線に映る自分ではなく、現実の自分を受け入れるようにすることです。
自己肯定感というのは自分で自分をどう思うのかによって自らが決めていることですので、他人が自分をどう思うのかという他者評価は自分が自分をどう思うのかという自己評価とはまったくの別物であることを認識してください。
その上で、自分で自分を喜ばせてあげられるようなことをやるようにして、他人から褒められたり注目されることよりも「自己満足」を目指すようにしてください。
どうしても日本のように集団主義な文化が強くて、みんなから認められるような人間であることに価値が置かれる社会では、本来の自分であろうというよりも、他人から認められる自分であろうとしてしまいがちですが、あくまでも「自分は自分であり、その上でみんなの中にもいる」という気持ちを持って自分と他人を区別して考える癖を付けていくべきなのです。
「自分なみんなの一部ではなく、自分は自分でしかなく、その上でみんなの一部でもある」という視点が有効であるということです。
もちろん、会社などの組織の中においては求められる振る舞いや能力は存在しますし、その基準に自分を合わせていく必要はあります。
それに、組織の中では順位づけで相対的に他の人と比べられる環境にいるので、他の人よりも高いパフォーマンスを発揮しようとする努力も必要です。
しかし、あなた個人の人間としての価値は、他人との比較の中で決まりませんし、誰かに決められるものでもありません。
それこそ、あなたが決めることなのです。
アドラーの課題の分離の考え方を思い出してください。
他人が自分をどう思うのかは、他人が決める他人の課題であり、自分が決める自分の課題ではない。
自分が自分をどう思うのかは自分が決める自分の課題であり、他人が決める他人の課題ではないのです。
この課題の分離をちゃんと意識するようにしてくださいね。
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