『存在の耐えられない軽さ』を読みました。

新聞の書評で興味を持ちました。

読んでみたものの、よく分からず。もう一度書評や同じ感想を書いているサイトを見直してそういう話だったのかと理解しました。

おそらく、理解できないのはこの本の時代背景であるプラハの春がワルシャワ条約機構によって潰され、共産主義が台当しているということが理解できていないからだと思います。加えて著者が小説の内部に入ってくるような記述があり、現実なのか?小説なのか?よくわからないのもあります。著者の心情を語っている場面では、小説は存在しない、というようなことを言ってる場面もありより強調されたのかなと思います。

社会情勢的な面がありつつも、内容はドロドロの恋愛系でした。有象無象ではなく、いち個人としての承認欲求を求めたり、愛と安心?は別のようなことを思ったりと、恋愛は今にも通ずる話なのかなと。

めちゃくちゃ内容理解としてはボヤボヤしてますが、響いた所がラストの方にありました。

「人間は理由を知らずに決意すると、その決意は永続性を得るのさ。一年一年それを変えるのが難しくなるんだ」

本書p355

自分で決めたこともそうですが、何となく親に言われてそうしてきたことも後々になると変えられなくなることに似ているのかなと。「私はこうやって生きてきたからこれでいい」というように。

テレザはいった。「あなたにとって仕事はすべてよ。でも、私は何でもできるわ。私にとっては何でも同じよ。私は何も失ってないわ。あなたは何もかも失ったの」 (略) トマーシュはいった。「僕がここで幸福なことに気がつかないのかい?」「あなたの使命は手術をすることよ」と、彼女はいった。「テレザ、使命なんてばかげているよ。僕には何の使命もない。誰にも使命なんてものは持っていないよ。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ」 (略) 野兎にのるってことは何を意味しているのであろうか?それはあらゆう力を失うことを意味する。それは誰もが誰に対しても力を持たないことを意味する。

本書p361

テレザは職を転々としてきたけれども、トマーシュはあるきっかけで医師を辞めることになる。そして別のことをしている。職業を比べて自分の価値はあるのかないのか、職業と権威、そして幸せについて互いに考えていることが、今にも通じることだなと感じました。

たまたまですが、このあいだ録画していた『マスカレードナイト』を見た時に出てきた、ラブアフェアがこの本でも出てきて、一般的な言い方なんだと思いました。

こんなところで。

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