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雑誌のように本を読む

読みたい本がたくさんある時はどうしても本を早く読み終えたい衝動に駆られる時が多々ある。

こういう時の本の読み方の定番は速読や拾い読みがある。だが、どうしてもどちらにも抵抗がある。

個人的なイメージとして、速読はいつもより速く読みながらも内容理解をすることだと思っている。その本をなんら気負い無く、自分が普段読む速度で読んだ時と同じくらいの理解をしつつも、ただその本を読む速度だけを上げることを指している。

この方法は読んでいて気になる所があったとひても読み飛ばして全体を把握することが目的だと思っている。気になる所を読み飛ばしつつも、全体の内容理解をするというのが個人的には解せない。

たとえ理解出来なくても、同じ箇所を何回か読み直して考えたい。理解したいけれども出来ずに消化不良で終わるのも感覚としては変わらないが、理解しようとトライしたという点では少しましではある。1冊読み終えた所でモヤモヤしたものが残っている読後感がとてつもなくイヤである。

まあ、本を読み終えてからnoteに読書感想を書いているが、感想は全体像を書くか、ごく一点を深堀ったようなことを書いているかの2択になりつつある。なので、アウトプットを見れば速読したのか普段通りに読んだのかは分からないとも言える。

次点として、拾い読み。これは目次を見て、自分が気になったトピックだけを読む方法だと思っている。

自分が知りたいことだけを知れるのは読んでいて楽しいのは確かである。

書いていて、思ったが大学のレポートを書く時の本の読み方はまさに拾い読みである。知りたい所だけを読んで、その本の役目は終了。考えてみると自分の中で明確な分類はできていないが、自分で購入した本や「この本を読みたい!」と思って図書館で借りた本は拾い読みを嫌う傾向が高い。

購入した本は、自分のお金を使って購入したのだから全体を通して興味が無さそうなページが多い本はそもそも買わない。費用対効果の多いものを選ぶ傾向が高いとも言えるだろうか?安ければそんなに気にしないかもしれない。

図書館で借りる本も自分が買うという認識に近い。ただし、あくまでも借りているのでお金はかからない。なので、気楽に選んでいる(失敗(自分に合わない)してもいいという意識が強い)。おそらく買う時の目利きも兼ねて本を借りている。どこか自分に合っている本をパッと選ぶことがかっこいいと思っている節もある。

拾い読みに関してまとめると、目的が明確になっているものは拾い読みでも構わない。しかし、自分が買う本(借りる本)は比較的全ページに渡って興味があるものを選ぶ。

という所だろうか。

タイトルの『雑誌のように本を読む』だけれども、考えてみて、「拾い読みと変わらないのではないか?」と思った。

確かに大きくは変わらない。私の定義で言うと、拾い読みは他のものには目もくれずピンポイントで読むが、雑誌はひと通り目を通した上で読む。

雑誌の読み方は新聞の読み方に近いかもしれない。しかし、新聞はどちらかと言うと拾い読みに近い。新聞は見出しを読んで読む読まないを決めている。その点で、目次だけを見る拾い読みに近い。しかし、紙面は色々な見出しや写真が目に入るので気になる単語や文章が目に入れば読むことが多い。新聞と雑誌の違いは1ページあたりの情報量の違いであり、新聞は情報量が多すぎて処理できずに読み飛ばしてしまっているものもあるだろう。

先日、『アイヒマンと日本人』という本を読んだ感想を書いた。

私が知りたかったのは、アイヒマンと日本人の関連性であって、アイヒマンの人生にはそれほど興味が無かった。

なので、該当する部分以外は流し読みした。アイヒマンと日本人の関係性について知りたいという目的があったからそれ以外は流してもイヤな読後感は残らなかった。だが、流し読みをしたと書いたけれども全ページには目を通し、文章を読んだ。この本は図書館で借りた本だけれども、ここには自分で買った本と同じ扱いをするという無意識があるので全ページを読んで滿足感を得ようとしたのではないかと思う。

この目的がありつつも、全てに目を通すのは雑誌に近いと思って、今回の記事のタイトルを思いついた。

全てのページに目を通すというのは雑誌と変わらないが、雑誌を目的を持って読んでいるか?と言われれば何とも言えない。

どちらかと言うと、拾い読みをすることに似ている。表紙のトピックや目次に引かれて読むが、そこに至るまでペラペラめくって気になったら読むということをしている。

拾い読みをする本との違いはペラペラめくる時に気になるものが目に入ってくるかどうかである。目に入るかどうかは雑誌の見せ所でもあるので、見事に戦略にハマっているといえばハマっているのだが、自分が滿足しているのだから問題はない。

本は構成上、画一的に文字が淡々と書かれているので目に止まりにくい。本を雑誌のように読まないようにしていたのはこれが原因だと思われる。というか、本の作り的にそうしているのだと思う。

ということで、こんなに長々と書いてきて、結論としてはシンプルなものになる。

拾い読みする前提の本も全ページに目を通せということだけです。

普段、拾い読みする本は目次に書いてあるページ数を見た後に、本の下に書いてあるページ数を見ながらペラペラめくって目的のページに進む。それを辞めて、1ページずつ目を通しながら目的のページ数までめくるという行為をするだけです。

先に書いた本を読み終えてから、この読み方もありだと思って、図書館で借りる本の幅も広がりました。やっていることは速読とそんなに変わりはしないですが、ボヤッと全体像を理解しつつ、自分はここが気になって読んでいると分かればまた理解の仕方も変わってくるのかと思います。

全部を理解しつつ速く読むのでなく、全体をボヤッと理解して気になる所を深く読む。気になる所が少ないのであれば、結果として速く読み終えることもあります。ですが、速く読むのが目的ではないので「理解しなきゃいけない。だけれども速く読む」という認識から抜けれるのではないか?と思います。

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