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『アイヒマンと日本人』を読みました

タイトルを見て、「こんな本を待っていた!」と感じた本です。

しかし、「はじめに」を読むと本書のほとんど(約8割(180/220ページ数))がアイヒマンの生涯に当てられた本でした。

アイヒマンと日本人のつながりについて深く書かれていることをタイトルから期待しましたがそうではありませんでした。著者としては、アイヒマンの生涯から日本人どの共通点を探して欲しいという意図があるのかもしれません。

一応、ひと通り読みましたが、アイヒマンの生涯は流し読みに近いです。事前知識として、アイヒマンは軍の上層部に命じられてユダヤ人虐殺(ホロコースト)を効率化させたことを知っていました。今の私にとってはアイヒマンに関してはこれだけで十分だと感じているので流し読みしました。

新たに得た知識としては、アイヒマンは最初から虐殺のために動いた訳ではなく、世界情勢の成り行きと、たまたまユダヤ人のスペシャリスト(知識的な意味で)として動員されたということ。さらには、亡命先としてアルゼンチンを選んだのは戦争以前にドイツと親交が深かったということを知りました。

タイトルの意味としては、私の想像通りでした。アイヒマンが行ったことはあくまでも上層部からの命令でそれに従っただけ、私に責任はない。これは日本社会にもよくある光景だと。

自分がアイヒマンにならないようにするにはどうしたらいいか?という点では、正解と呼べるような方法がないと書いてありました。これは正直驚きです。何かしらあるだろうと思いつつ、無かった。よくあるこういう場合の言い回しとして、「自分の信念を持って判断しよう!」という精神論じみたことがよく挙げられますが、それしかないというのが現状なようです。

アイヒマンを語る上でよく挙げられるのはハンナ・アーレントですが、日本人でもアイヒマンの裁判を傍聴した人物がいることを本書で初めて知りました。犬養道子と村松剛の2人が紹介されていました。「アイヒマンを考える上ではやっぱりアーレントか」と思っていましたが、他にも探してみるべきだなと。さらには、積読になっている『責任と判断』を引用した部分が本書に載っていたので、改めて読んでみようと思いました。

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