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~雑談力~ くだらないことや話は、いくらでも、いつまでもしていられるし割と得意。

ADHD_noteです。


今回は、~雑談力~ くだらないことや話は、いくらでも、いつまでもしていられるし割と得意。ということについて書きたいと思います。


発達障害の有無にかかわらず、”雑談が苦手” という方は多いと思いますが、ADHD(不注意・多動・衝動混合型)がある私の場合は全く逆で、雑談ならいくらでも、いつまでもしていられるという特徴があります。
(※ちなみに発達障害の一種、ASD(自閉スペクトラム症)が強くある方は、人との距離感が分からないことがあるなどの特徴から、雑談が苦手という人が多いようです。ADHDと診断されていて ”雑談が苦手” という方は、ASDを合併しているかもしれません。)


私は、幼少期の頃から走り回ったり、どこか高い所に登ったり、狭い場所に隠れたりというように多動で、よくふざけていて、そのたびに親や親戚、近所の大人からあきれられたり、怒られたりしていました。

ちなみに、反省はしません。
(・・・というか、”反省” が ”二度とやらない” ということであるならば、今思えば私の脳の特性上、当時から ”二度目” を止めることはできませんでした。笑)


幼稚園に入園してからもそうです。

とにかく走ったり、駆け回ったり、登ったり、飛び降りたり・・・というように一人でも友達とも暴れまわっていた気がします。


小学校に入学してからもそうです。
1、2年生の頃には、幼稚園の頃とは違った友人も増えるので、とにかく走り回っていることが多かったですし、運動会でもそれなりに結果を残していました。
(※3年生くらいになると、特に算数、体育などの授業で、やることに複雑性が増してきて、授業内容についていけなくなってきたり、忘れ物が多くなったり、それまで超多動だったのに、周囲がおとなしくなり始めることから、(勉強に集中し出す子が多くなり)私はあまり活動的でなくなり(推測です)、太り始めたこともあり、だんだん私は周囲から浮き始めます。その後、いじめを受けた時期もあります・・・。)

中学に入ると、他の学区の人たちが集まるので、いろいろな人と知り合いになるなど、環境が変わり新鮮で、いろいろな人たちと話すようになりました。
ちょうど部活が始まったこともあり、多動になり、痩せたことで見た目が変わったりしたことから、周囲との関係も徐々に改善し、少し自信が出てきた(自我が芽生えた?)ということもあります。


ちなみに、この頃になぜか再度持ち前の多動性を発揮しだし、中学二年の頃には、教室内で5人くらいの友人と鬼ごっこをしてふざけていましたw


高校になってからもそうでした。
くだらないことを言って、気が合う友人とゲラゲラ・・・ヘラヘラ・・・している。というような、そんな毎日だった気がしています。


当時から、本当にくだらないことをいつまでも話していられるので、二十歳を過ぎて、友人やバイト先の先輩達と居酒屋などで朝まで語っても、まだ全然、いくらでも、ずーっと喋っていられるという感じでした。


大人になると、就職をしなければならないので、特に確固とした理由もなく、とりあえず、安定してそうな事務職に就きました。

・・・が、特に多動衝動性の強いADHD当事者が、お堅い職種の事務職などに就職すると、周囲からの「無駄なしゃべりは不要。」「お前、落ち着きがない。」「今は、うるさいから静かにしろ。」「あいつは、ちょっとおかしいから気を付けるように。」というような空気が徐々に増えることから、周囲に浮くことが多くなります。
(※これは、私の小学3年~中学1年くらいまでの状況と全く同じです。正直、同じ状況すぎて驚きました。)

余談ですが・・・
近頃、新卒者に求められる能力として、「コミュニケーション能力」が上位になることが多いようです。
私はこの、巷の(特に、就職転職のサイトやネット記事など多く取り上げられている)「コミュニケーション能力」という言葉に関して大いに違和感や嫌悪感があります。

主な理由は「コミュニケーション能力」という、言葉そのものに対して、個々人に差がありすぎる気がしてならないということです。

言い換えれば、「コミュニケーション能力」という ”わかりやすい” 言葉は、言う人、聞く人によって、いろいろな意味に受け取れるため、それぞれ違う意味で認識をしているということです。

私にとっての、『コミュニケーション能力』とは、誰とでも気軽に、くだらない話でさえもできる人、というイメージです。
私が、コミュ力があるね、と言われれば、『誰とでも(くだらない)話ができてスゴいね。』というように捉えます。

・・・一方で。

採用する企業側が求めている(いわゆる巷での)「コミュニケーション能力」というものは、「空気を読め。」だとか、「上司や先輩にどれだけ気を使えるか」、「職場でいかに周りと同じことが出来るか」、「周囲に溶け込めるか。」、「どれだけ社内ルールを遵守してそれ以外のことをしないか。」といったようなことに関して”いかに空気を読むことが出来るのか?”ということが「コミュニケーション能力」として問われている気がしています。

これ、もしそうだとすれば、
私が生理的に受け付けない、”義務教育の学校”となんら変わりません。
単刀直入に言えば、私にとっては、退屈でくだらない、どうでも良いこと。ということです。

それを”コミュニケーション能力”と言うんだったら、”コンプライアンス能力”とかに改名したらいい。


他に分かりやすい例では、口ではいかにも、

「我々は、現状を打破する、柔軟な考えを持った人材を求めています。」

「我々は、グローバル社会に生き残る企業として、斬新な発想力を求めています。」

などと、表向きは耳触りの良いきれいごとを並べ立て、フタを開けてみれば、「有名大学出身者から採用するように。(さすがに変な奴はいないだろうから)」とか、「上司の意見に逆らわなさそうな人を採用しろ。」、「変な考えがなさそうな人を取ってね。」などと言うことになるわけです。

仮にこういう発言を、
クローズで(会社に自身の発達障害を明かさずに)働いている、”発達障害当事者” が聞いたら、どう思うでしょう??


結局、そういう会社の内部では、

「そんなもん、”常識が分かっている範囲で” ということに決まっているだろう?」

「そんなことは、今どきの小学生でもわかるだろ!!!」

・・・などという、古い時代から脈々と受け継がれている、パワハラ発想の企業体質になるんでしょう。

私が言いたいのは、

『ま、あんたらよりは、よっぽど今どきの小学生の方が、”発達障害” について確かに正確に理解しているな・・・w 』

・・・と言うことです。。笑


話を戻します。


特に私のような、多動/衝動性の強いADHDがある人は、このような事務職では力を発揮できませんが、私自身は販売などで対人関係が重視される職場で勤めている時には、いわゆる ”雑談力” が発揮できたと思います。
(たとえば、店舗での、”健康食品” の販売実績で一位を取ったなど。)


反対に、先ほどのような事務職などによくある、会議や研修などの真面目な場、畏まった話はすぐに退屈して、話す気さえ失くします。
(「発言はあるか?」などと言っておきながら、発言したら即却下。これでは余計に会議に参加したくはなくなる。要するに私の考え、発言を否定して、採用しないほうがうまくいく会社や団体があるということです。)


私の場合、大きく分けるとこのような感じですが、
どんな場であれ、特に脈絡もない、ルールもないような雑談(フリートーク?)に関しては、いくらでもしていられますし、初対面の相手の話を聞くことは、非常に楽しいと思います。

(※なお、会議などの真面目な場でも、クリエイティブ系などで、突拍子もないアイデアが必要とされる場合には、ADHDの多動/衝動性が強みとなると言われています。)


今後も私は、”くだらないことを言える環境” というものを意識しながら、私自身がこれから働く仕事を選ぶ基準、参考などにしていきたいと思っています。

ちなみに画像は、私は日本的な職場についていけないから、海外の職場の方が向いてそう。(いずれにしてもコミュニケーションは大事。)的な画像。

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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