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西日本新聞の発達障害記事をシェアします。


ADHD_noteです。

今回は、発達障害のリアルな現状として、西日本新聞の記事をシェアします。

記事は今から2年前(2019年)のもので、『発達障害の疑い』があったにもかかわらず、社会の理解が足りずに命を絶ったという20歳の女性についての記事です。


私自身、今から二年前は、ちょうど体調を崩しはじめる(ADHDと診断されるきっかけとなる)半年くらい前のことです。


私が日頃noteに書き続けていることですが、この記事を見ても、まさに未だ『発達障害』についての正しい理解が社会全般に乏しいと言わざるを得ません。


記事の概要としては、
対人関係の難しさや感覚過敏などを抱え、短大卒業を前に社会に出る不安を深めていた女性。母親は発達障害を疑い相談機関を頼ったが支援にはつながらず、自ら命を絶ったという内容です。

記事に書かれている女性の特性として

・女性は生き物や植物が好きだった。

・暗黙の了解や言外の意味が分からない子どもだった。

・こだわりも強く、幼い頃は何時間でも「アリの巣」を眺めていた。

・味覚や聴覚過敏にも苦しめられ、学校給食は味付けが濃く感じ、ほとんど 
 食べられなかった。

・教室の話し声で頭痛がし、耳栓をして登校した。

・「読む」と「聞く」の理解にも差があった。

・「変わっている」と同級生から見られていた

・仲の良い友達や教師に支えられて何とか過ごしてきた。

・母親は発達障害を疑い、何度も相談していたが、乳幼児健診や就学前健診
 では「問題ない」とされた。

・小学校でいじめに遭ったときには児童相談所にも尋ねたが、「レッテルを
 貼るのはどうか」という意見だった。

・行政が設置する発達障害者支援センターでは「障害があるかもしれない  
 が、診断を受けてもらわないと支援はできない」と言い、県がリストアッ
 プした専門医療機関に行くよう促された。

・18歳以上を対象とする病院に電話をかけたが、
 「思春期は診断が難しい。20歳になったら来てください」
 「予約が殺到していて受けられない」と断られた。

これらは、どれも「明らかな発達障害(ASDの症状)」であることは間違いないこと、行政を含め、社会全体が「発達障害」について、理解していない状況が明らかです。

そして、彼女は20歳の誕生日を迎えた直後、自宅で命を絶ちました。

私は、今回この記事を見た時に『種類は違えど、同じ発達障害という障害を持つ当事者として、このことは広く社会に訴えなければならない』と、心から思いました。

記事では最後に、
「生きづらさを抱える人たちに、社会は向き合えているだろうか。」
と結んでありますが、答えはもちろん「NO」でしょう。

もしも、いま彼女が居たら、記事の文や画像にもある通り、得意な絵を活かした職業に就けていたと思います。
本当に絵が上手いと思いましたし、直筆の文字も社会生活を送るうえで、まったく問題ないと見受けられました。


発達障害者(または明らかにその疑いがある方)は、その名の通り、脳の発達に健常者との差がある人達です。

健常者(いわゆる普通の人)が、10代20代で身につけられることが、30代あるいは40代にならないと(あるいは、生涯)身につかない(部分もある)ということです。

逆に言えば、

健常者(普通の人)が、いつまでたっても身につけることはない、ある意味特殊な能力が備わっていたり、健常者(普通の人)が40代、50代でようやく身につくことを、既に10歳未満や10代、20代で身につけているという人たちです。

それを、わかりやすく表現して「発達の凸凹」などと言いますが、このことを正しく理解している(理解して「発達の凸凹」という言葉を使っている)人は少ないです。

それは当然で、特に日本社会は「多数の論理」で動くことが多いという事も影響しています。

政治やスポーツを見れば、明らかです。
(だから、特にビジネスの場では政治やスポーツの話はタブーとされます。)

日本では、多数派に属さない人は排除されます。


発達障害者は調査や発達障害の種別によっても異なりますが、およそ30~100人に1人いるかいないかという数です。

もしもあなたの周りに、30人、50人、100人の外国人が居ると想像してみてください。

あなたは、その中でたった一人の日本人です。


発達障害のある人は、このような感覚で毎日を生きています。


これをわかりやすく言うと「生きづらさ」と言いますが、このことを正しく理解している(理解して「生きづらさ」という言葉を使っている)人は少ないです。

いつになったら、「発達障害」について理解される日が来るのでしょうか?

記事では、次のように書かれています。

クラスに一人はいた「変わった子」が、「発達障害」として広く認知されるようになったのは、平成に入ってから。福祉の谷間に取り残されていた障害を早期発見し、療育につなげるため、2004年に発達障害者支援法が成立。学校や職場などが障害に対し「合理的配慮」を行うことを義務づける法律も16年に施行された。社会的資源の整備が進みつつあるが、残された課題も多い。

(中略)

福岡市発達障がい者支援協議会会長の野口幸弘・西南学院大元教授(特別支援教育)は、早期発見・早期療育の重要性を指摘した上で、「わずかな発達の遅れでも、発達障害を指摘する支援者が増えたように感じる。レッテル貼りだけが進み、支援が追いつかなければ本人や家族が孤立しかねない」と懸念する。
 野口氏は「多様性に目が向けられる社会にはなったが、違いを許容できる社会にはなっていない。支援に関わる者は、社会に適応しようと頑張ってきた本人や家族を褒めてあげて、地域の中で共生できる環境を整えることが求められている」と話した。


この記事を通じて、少しでも発達障害についての知識や理解が広まることを、「発達障害の凸凹」をもち、そして「生きづらさ」を抱える当事者として、心から望みます。


ちなみに画像は、あらゆる世代に『発達障害』について広く知ってほしい。的な画像。

Luis EstradaによるPixabayからの画像

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