そこに女性の自由が生まれる スポーツがもたらすもの【作戦タイム】No.10
いつのまにか欧米中心の価値観に支配され、ビジネス化も手伝って、スポーツは「世界共通の言語」のように思われている。
でも、その戦術や集団の在り方は国や文化によって異なり、一人ひとりのアイデンティティを浮き彫りにする。
<スポーツ×人間社会>をつなげていくラジオ【作戦タイム】のシェア。日本学術振興会と大阪大学大学院の研究助成により、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構(ADCPA)がお届けしています。
MCは奥村武博(ADCPA代表理事)×岡田千あき(大阪大学大学院人間科学研究科・准教授)。
ゲストは、一般社団法人S.C.P.JAPANの代表理事・野口亜弥さん。
兄の影響で3歳からサッカーを始めたものの中学生になるとその環境が激減、この「中学で女性のあるある」問題に直面し、アメリカの大学、スウェーデンでのプロサッカー経験からジェンダーの問題に関心を持つように。
現在は、順天堂大学スポーツ健康科学部の助教を務める傍ら、スポーツをツールに共生社会づくりを掲げ、女性、障がい者、LGBTQそれぞれに特化した啓発啓蒙プログラムで開発と平和をテーマに国際協力や国際交流を行っている。
プロフィールなど詳細はhttps://www.adcpa.or.jp/sakusen-time
ダイジェスト⇩
そもそも「グローバル」や「個」って、欧米中心の価値観
野口さんは、スウェーデンでプロサッカーから引退後、サッカーで女子教育プログラムを行っているザンビアに赴き、自分が「先進国の世界観」で「欧米中心」だったことに気づく。
野口さん
「私はアジア、ジェンダー平等、ここにスポーツを活用できるのかを研究したいと考えました。
グローバルというのは、欧米中心の価値観。アメリカでは自分の意見を言わないとダメで、会議でも何か発言しないと私は”意見がない人”になる。日本だと、意見があっても言えないのかなって聞こうとしたり察しようとする。学校では意見があるなら言わないとグローバルでは生きていけないよ、と教わりますが、なんでそっちに合わせなきゃいけないの?って思うところもあって。
アジアと一括りにできないけど、私としてはアジアの発信をしたいんです」
岡田先生
「エビデンスも欧米基準だったりしますよね」
「個」が大事な欧米型の社会と 集団が大切なアジア社会では、女性の社会進出のプロセスが違う
野口さん
「個が大事にされる中で女性が社会進出していくことと、集団が大切にされる文化、社会の中で進出していくのはプロセスが違うと思うんです。ジェンダーという言葉も理論もヨーロッパ中心に生まれてますし。
じゃあアジアは集団の中でどう交渉してコミュニケーションして協調しながら自分の願いを叶えながら社会進出していくのか、それが語られていないので研究したい。
集団の中には女性の規範=例えば髪が長くて女性らしくしていなければいけないとかありますが、スポーツをすることで崩れる瞬間がある。スポーツをしていればそれがなくても許され、そこに女性の自由さが生まれるので、それを利用しながら、集団と協調しながら自分の目的意識を持ってやっていけるヒントがあるのかもしれない。
そこで私は、タイの大学の女子サッカー部を対象にジェンダーの活用を観察しようと思いました。タイも日本のように「察しようとする」傾向が強く、異性愛も規範ですが、性別表現が緩やかなので対象にしました。親にも集団にも認められながら、自分のやりたいことを叶えるプロセスの調査です」
岡田先生
「草の根から見つけて彼らがやっていることにこちらがアジャストしていくという研究ですね」
野口さん
「スポーツスポーツって言うけど、それぞれの国でのスポーツの価値をあまり調べていないこともあるので、ローカルの視点から見る必要があります」
女性スポーツの空間は、アイデンティティを確認しやすい
岡田先生
「同質集団は、同質に苦労する人もいるでしょうけど、多くのサッカー選手にとってサッカーの空間は表現しやすいと思っているのですか?」
野口さん
「チームの中でみんなとやりたい集団意識もある。グループにいたい自分と自分らしくいたい自分との使い分けですね。
私の時代とは少し違うけど、身近に同性カップルが多かったり、LGBTQの人は、自分らしくいられる場所が少ないと話してますけど、サッカーはロールモデルだらけで、女性スポーツの空間はアイデンティを確認しやすい空間でもあります」
岡田先生
「昔はスポーツとジェンダーというと、女性のスポーツをどう男性と同等にしていくか、でしたけど、最近は、性の多様性の中でのスポーツですよね」
悪気のない抑圧構造にもっと関心を
昨今のスポーツ界では、トランスジェンダーの人がどのカテゴリーで出場できるのか、など競技規定の議論が高まっているものの、野口さんは、実は表面化していない構造的な部分を危惧する。
野口さん
「たとえばゲイ男性が男子スポーツの中で感じて直面している抑圧な構造だったり、女子サッカーの中でレズビアンとかバイとかトランスジェンダーとか受け入れられてても偏見や差別があったりとか、性的志向の多様性としての関心はなかなか上がりません。
異性愛が当たり前だと、恋愛話が行われるのは同性愛には抑圧になる。ここで自分が同性愛者と言っては仲間外れになるのではないかと思ってしまう抑圧構造。悪気はないけど構造的に差別がある」
岡田先生
「LGBTQの問題はスポーツ界で人権の問題ですね」
奥村
「そういう課題にも、ツールとしてスポーツをどう活用するかですよね」
野口さん
「日本にブライドハウスができて意識が持てるようになったのも、オリンピック・パラリンピックがあったからだと思います。スポーツをうまく活用しながらSCPジャパンとしては国際協力したいです」
ノーカット音声はSpotifyで⇩
タイの女子サッカーから探りたい 社会とジェンダー #5-3
スポーツがもたらすジェンダー観への意識 #5-4
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そのスポーツを選ぶ。その時点から始まる「その人らしさ」
【アディショナルタイム】 配信考記 byかしわぎ
やっぱりスポーツは「モノ」ではなくて、「人」というミクロな個性の集まりによって成り立つもの。
スポーツに身を置くから見えてくる「自分らしさ」があると改めて思う。
「なんとなく」では選ばない 強い志向性
私は、「そのスポーツを選んだ」時点で、「その人らしさ」があると思っている。
たとえば女性の場合。
特にボディコンタクトや奪い合いの激しいラグビーやサッカーをやる女性は少ない。
幼少期に"なりゆき"で始めたとしても、本格的になる思春期以降はやめてしまう傾向。
もちろん「環境が少ない」問題もあるけれど、その前に、それを選び続けようとする女性が男性ほど多くないのが現実ではないだろうか。
その理由は正確にはわからないけれど、誤解を恐れず私の感覚で言うなら、中学生くらいになると、女性は身体の変化が大きく、激しい動きを身軽にしづらくなったり、人を倒したり倒されたり、風雨にさらされて泥まみれになることに、物理的・生理的・心理的に抵抗感を持つ人が多くなるからでは、と思う。
それをいとわず、むしろ「あの競技性が好き」と選び続ける女性たちは、比べるものではないけれど、同じくサッカーやラグビーをやっている男子よりも、きっと「強烈に好き度」がハンパない。と想像する。
たぶん、「なんとなく」では選ばないし、続かないと思うから。
まずは、その強い志向性こそがアイデンティティの土台だと私は感じる。
「そこに女性の自由が生まれる」という言葉に目からウロコ
古い価値観だと、男子なら「カッコいい」と賞賛されることが、「女だてらに」「女の子のくせに」と言われてきた。
今でも残る、女らしさの規範。
同じスポーツなのに、女性でその道に進むには、そんな雑音とも闘わなければならないし、環境面や条件面でのハンディも少なくない。
それを乗り越えられるのは、そこに「自分らしい自由さ」があるからなのだろう。
単なる「好み」という次元ではない、窮屈なカタにハメられない「自由さ」。抑圧からの解放。
この感覚は、女性だからこそ感じる「自由さ」かもしれない。
“女性だからこそ”という言葉にも語弊があるのかもしれないけれど、この重い言葉に、私は目からウロコが落ちた。
スポーツに限らず、社会の中で痛感する「壁」は確実にある。
私も散々、感じてきた。
男性ならなんなく進むであろうことが、女性というだけで色々な交渉や努力を強いられたり、分が悪くなったり。
そして極めて日本的な集団組織の構造的な弊害や窮屈さを感じることも多い。
なるほど。タイの女子サッカーの生き様にヒントがあるのかもしれない。
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