なぜゼットンの顔は不気味なのか? –ゼットンのデザインに関する論考–
「ゼットン」(図1)は、特撮テレビドラマ『ウルトラマン』(1967)の最終回に登場する怪獣であり、私が愛してやまない怪獣デザインの金字塔である。
そこで本記事では、「なぜゼットンの顔は不気味なのか?」をテーマとし、ゼットンを立体造形物として論考する。
ゼットンの衝撃
私がゼットンに惹かれる理由は、幼少期の原体験に起因する。
5歳ごろに初めてゼットンの顔(図2)を見た際、私は「目・鼻・口が定義できない生命」がテレビの向こうに存在するという事実に、それまでの世界認識が揺らぐような衝撃を受けた。
「顔があるはずの場所に、既存のあらゆる種類の顔を認められない」という謎は、こちらの理解や対話を拒むかのような威圧を孕んでいて、そこにえも言われぬ恐怖を覚えたのだ。
よって本記事では、なぜゼットンの顔貌が私の心をここまで揺さぶるのかを解き明かしていく。
目・鼻・口のない顔
前述の通り、ゼットンのデザインの特徴は「目・鼻・口の消去」である。ゼットンの顔には明確な目・鼻・口が存在せず、左右一対の黒い五角柱や、中央に伸びる縦長の発光帯といったそれらしき部位が存在するのみである。
ゼットンのデザイナーである芸術家 成田亨はその顔について、
と述べている。
成田氏が具体的にどの中世ヨーロッパの鎧を参考にしたかは不明だが、顔の中央を一筋のラインが縦に走っているという点では、十字軍のヘルム(図3)がゼットンと類似している。
最も人間に近い怪獣
以下は『ウルトラマン』に登場する全怪獣のシルエットを、人間のシルエットに近い順にパターン1から4まで分類したものである。
これを見ると、パターン1に属するゼットンは、作中で最も人型に近いプロポーションを持った怪獣の一体であるとわかる。
このように「数ある怪獣の中でも人間に近いシルエットを持っている一方で、人間では顔に相当する部分に人間的な目・鼻・口を認められない」という矛盾が、ゼットンのデザインの特異性だといえる。
カオスとしてのゼットン
成田氏は怪獣デザインの前提として、ギリシャ哲学におけるコスモス/カオスの対立構図を援用し、ウルトラマンのデザインでは前者を、怪獣のデザインでは後者をそれぞれ主軸とした(※1)。
その具体例として、ウルトラマンの顔とゼットンの顔とを比較する(図4)。
ウルトラマンの顔は、人面から鼻や髪といった要素を引きつつ、目・鼻・口を「大きな2つの目」「鼻に代わる一筋の線」「微笑をたたえた口」などで表現することによって、人面としての自然な均衡を守っている点がコスモス的だといえる。
一方ゼットンの顔は、人面に節足動物の脚のようなツノや幾何学的な多角柱といった要素を足しつつ、目・鼻・口を五角柱と発光帯によって塗りつぶすことによって、人面としての自然な均衡を破壊し、混沌とした理解不能性をもたらしている点がカオス的だといえる。
すなわち、最も人間のプロポーションに近い怪獣でありながら、最も人間からかけ離れた顔を持つゼットンのデザインは、人体のカノンというコスモス性を部分的に踏襲しながらも、あるいは踏襲しているが故に、コスモスたるウルトラマンに対置されるカオス的な悪がより際立っているのだといえる。
※1: 成田亨(2021). 『特撮と怪獣 わが造形美術 増補改訂版』. リットーミュージック, p.15-17.
ゼットンの顔に対する認知心理学的アプローチ
ここからは、ゼットンの顔を認知心理学の観点から考察し、その不気味さの正体に迫る。
ゼットンの顔は、左右一対の黒い五角柱と、その間を走る中央の発光帯から構成される。そしてこの2種類のパーツこそが、ゼットンの顔認識を混乱させる原因だと考える。その理由を以下3点に分けて説明する。
1. 目・鼻・口の配置
山口(2013)によれば、人間がある物体を「顔」として認識する基準は、目・鼻・口が人面として“正しい”配置にあることだという。
加えてTodorov(2019) は、「顔のように見える刺激は“上部が重い”パターンであることに加え、自然の状態で目にする陰影パターンを持つ必要がある」と述べている。
ここでいう「正しい」「上部が重い」配置とは、目・鼻・口の3点が逆三角形の頂点として並ぶ「∵」のような配置を指す。そして「自然の状態で目にする陰影パターン」とは、その3点の色が周辺の色よりも濃く、故に凹面の穴として立体的に知覚できるような陰影のコントラストを指す。
ゼットンの顔のデザインは、これらの諸条件に反している。口が存在するべき部分を塗りつぶすように据え付けられた中央の発光帯によって「∵」型の3点配置は乱され、さらに目の位置に配された五角柱が凹面ではなく凸面として前方に飛び出しているため、顔としての自然な陰影パターンが損なわれている。これによって、顔があるはずの場所に顔がないという認知的混乱が発生するのだと考える。
2. 白目と黒目の別
Todorov(2019)によれば、ヒトの目はコミュニケーション円滑化のために視線の検出が容易な形に進化し、ゆえに霊長類の中で唯一周囲の皮膚よりも薄い色の強膜(白目)を持つに至った可能性があるという。つまり、ヒトの白目と黒目の別はヒト特有のものであり、相手の視線が読めることがヒトの相互理解や社会活動を促進していると考えられる。
その点で、ゼットンの五角柱は周辺と全く同じ濃淡の黒色であり、白目と黒目の別が無いために視線の検出ができない。
また人間の目は顔の正面に付いているのに対し、ゼットンの五角柱は正面ではなくやや左右に開いた形で飛び出しているため、どんな角度から見ても絶対に2つの五角柱と“目”が合わない。
これが、ゼットンの顔からある種の理解不能性、対話不能性を感じる理由であると考える。
3. 目元の陰影コントラスト
さらにTodorov(2019)は、顔を顔以外の物体と区別する要素として〈目と頬骨のコントラスト〉および〈両目のコントラスト〉(図5)を挙げている。
ゼットンは、このうち〈目と頬骨のコントラスト〉は満たしていないものの、〈両目のコントラスト〉は部分的に満たしている。
このことから、ゼットンの顔は「完全な顔とは認識できないが、全く顔に見えないわけでもない」という非常に繊細なバランスの上に成立しているデザインだといえる。
参考文献
・山口真美, 柿木隆介(2013). 『顔を科学する 適応と障害の脳科学』. 東京大学出版会, 343p.
・Todorov, Alexander (2019). 『第一印象の科学 なぜヒトは顔に惑わされてしまうのか』. みすず書房, 334p.
なぜゼットンの顔は不気味なのか?
ゼットンは顔の正しい陰影パターンを部分的には守っているため、目らしき部分(一対の五角柱)は認められるものの、確固たる目(周辺と比べて明暗と色が異なる2つの点)は認められない。この認知的な違和感によって、ゼットンの顔は不気味に感じられる。
すなわちゼットンのデザインとは、「最も人型に近く、最も人面から遠い」という矛盾したカオス系を内包するものだと考える。
それは「人間の認知世界に挑戦する」という点で、現実と非現実の垣根を超えて鑑賞者に干渉してくる極めて特異な怪獣デザインだといえる。
本記事ではゼットンのデザインという視覚的側面に的を絞って論じたが、ゼットンが鑑賞者に与える影響はデザインによるものだけではなく、無機質な電子音から成る独特の鳴き声や、ウルトラマンを倒した最強の敵としての活躍、そしてそれに起因するパブリックイメージなどといった諸要素を鑑賞者が統合した上で生まれるものだと推測する。
よって今後の課題としては、ゼットンのデザインという視覚的側面と、ゼットンに関する音響面・文脈面との間の双方向的な影響を検証する必要があると考える。
おまけ:筆者によるゼットンのファンアート
ここまで読んでいただきありがとうございました。