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「生まれつき」という言葉 (第二期:第4回②)

 発達障害や愛着障害にどのようにアプローチするか以前の問題として、発達障害に関連する「生まれつき」というキーワードについて考えていきます。生命観あるいは人間観というテーマに行き着く答えの出ないデリケートな内容かもしれませんが、人(特に子ども)に関わる以上、向き合うべきテーマです。

1.「命が生まれる」のはいつか?

 「命が生まれる」のはいつでしょうか?
 誕生日と考えるのが一般的かもしれませんが、もちろん胎児は生命ですし、受精卵もそう考えることができます。妊娠を経験した女性であれば、その頃にその存在を感じるかもしれません。

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 法的に定められる妊娠週数もありますが、法的手続きに関わるものに過ぎません。

2.「先天的」という言葉

 「先天的」という言葉は、出生以前に受けた影響によるという意味で使われ、遺伝あるいは遺伝子の問題と胎児期に受けた影響が含まれます。
 母体の疾患や生活習慣、つまり胎内環境の影響を受けた場合も先天的ということになります。母体の飲酒や喫煙の習慣、糖尿病等が発達障害のリスクと知られています。

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 胎児にとって母胎内は、逃げ場のない環境です。簡単ではないにしても改善可能な「生活習慣」によってその環境が汚染されてしまうことは、ある種の「虐待」と言えます。子どもは親も生育環境も選べませんが、大人は子どもを迎える環境を整えるために様々な選択ができます。このうち避妊は最も簡単です。

3.妊娠や出産をする「自由」と「責任」

 すべてのハイリスク妊婦に親になる権利がないという意味ではありません。権利や自由は、相応の「責任」と表裏一体です。
 親になる責任やどんな子どもでも育てるという「応じる力」が親になるために必要ということです。並大抵のことではありませんが、それは母親や家族を中心に社会全体で負うものです。

 少し前に旧優生保護法下での知的障害者への合意のない不妊手術が話題になりました。自由や権利の問題ばかりが書かれた報道で、その環境で子どもが生育することまでは言及されていなかったと記憶しています。

 次世代を育むという社会全体の責任まで考慮しなくては、子どもの権利を守ることはできません。

4.「生命の選定」というテーマ
 ダウン症などの染色体異常が出生前の時点で分かるようになり、中絶を選択する場合もあるそうです。障害児の権利や生命倫理といった観点からも賛否両論ある問題ではありますが、当事者の心情は当然尊重されるべきですし、熟慮と苦悩の末に決断をするという責任のひとつの表れであるとも言えるはずです。

 この話題は「優生学」という発想に繋がるかもしれません。ナチスのユダヤ人迫害は、生命を選定して優良な種を残すというこの発想からです。

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 そして障害者を含むマイノリティが現在もそれぞれ様々に苦難に晒されています。彼らの生きづらさが解消されない限り「選定」は形を変えて残っていると言えます。

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