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思春期に関連して(第二期:第5回②)

 そもそも、大人であることと子どもであることの違いは何でしょうか。生物として子どもを産み育てることができるようになることでしょうか。またはそれが法的に許される年齢のことでしょうか。では、子どもを産んで育てることができるとはどういうことでしょうか。ではなぜ虐待は起こるのでしょうか。

1.子どもでもなく、大人でもない存在

 思春期の身体的な変化は、メンタルにも影響するホルモンが関与しているため、心理的に不安定になるこの時期に精神疾患罹患のリスクが増すのは当然です。

 さらに、この時期は、子ども扱いされながらも大人としての自覚も求められ、対立する両極のメッセージを社会から押しつけられる期間でもあります。彼らに対する「もう大人」、「まだまだ子ども」というメッセージは、一貫性に欠け、また何らかの誘導に使われがちであることに私たち大人はまず気づく必要があります。そしてそれ以上に、こういった表現が「子ども」と「大人」、そしてその「個人」をも否定的に捉えていることを見逃してはいけません。
 思春期はアイデンティティつまり「自分とは何か」という問題において重要な時期でもあります。重要なのは、「子ども」というそれまでの自分を懐かしみ、「大人」というこれからの自分に憧れることです。落ち着いた状態で過去と未来を見つめることが「現在」と「自分」をより知ることに繋がります。

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2.「いじめ」と「虐待」

 「いじめ」は、ある環境においてストレスの流れが最終的に個人に至る状況で、それが学校(特に学級)で起こっている場合と理解できます(もちろん大人の場合にも起こり得ます)。それが家庭内で起こればDVあるいは虐待、職場での個人間の関係に注目すればパワハラをはじめとするハラスメントです。

 いじめは、加害と被害に関わらず虐待との関連が指摘されています。家庭におけるストレスのはけ口をクラスメイトとすることができれば加害者となり、虐待被害により能力的に不利であれば被害者になりやすいということです。不登校や非行の問題も同様にみる必要があります。(ストレスの流れは別記事)

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3.「不登校」や「非行」

 「不登校」は、それが本人の選択であると理解されるようになってきたことから分かるように、まず子どもの状況理解と意志として尊重されるべきです。
 また、どれだけ学校が苦痛でも家庭がそれ以上に危険なら不登校にはならないことと、親が登校を禁止している場合があることも覚えておく必要があります。

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 「非行」は、問題行動や犯罪と同様に、適切な行動が選べない状況下のストレス反応と考えられます。
 情緒的に満ち足りていて他の望ましい行動が選ぶことができれば、重い罰に繋がるハイリスクな選択はしません。飢餓や貧困がパンを盗ませるということです。関連事項である人格障害の記述で再度触れます。

3.大人は「無意識」でも「子ども」に関与する

 思春期の子どもたちと接するにあたり、「ピグマリオン効果」を知っておく必要があります。個人に対する否定的な認識が対応を無意識に変え、その傾向を強化するという効果のことです。
 子どもたちはすでにこの効果の影響を受けながら育ってきており、また、このデリケートな時期にも影響を受け続けます。

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