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#真のアイデンティティー
ワンネスをこの世界に反映した知覚の仕方を修得していくために
誰かを裁くとき、誰かを攻撃したくなるとき誰かを裁いているとき、あるいは、誰かを攻撃したくなるとき、私たちは、その相手に向かってこのように言っていることになります。
「私とあなたは別々の存在です。私はあなたとは違うのです。あなたは間違っていて、私が正しいのです。あなたが処罰されることで、私は処罰されずに済むのです」と。
非二元の真理から見るならば、私たちは一つ(ワンネス)なはずであるにもかかわ
コースを学んでいる自分とは誰なのか?~神の教師としての在り方
「自分は心である」という自己認識コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は一元論(非二元)のスピリチュアリティであることはすでに周知の通りです。
その中心的な概念は、「この世界は幻想であり、実在しない」というものであるわけです。
それが意味するのは、つまり、「自分はこの世界の中に居る」と思っているその自分も実在していないのだということです。
世界はない。
他者はいない。
自分と思って
私たちが「人生」と呼んでいるものとは?
観察者となれワプニック博士は次のように語っています。
「いわゆる私たちは、スクリーンの前に座って、それがはじめて起こったように、すでに起こっていることを観察している観察者です。 しかしながら、私たちの経験では、私たちは実際に観察しているその一部に参加してしまっています」と。
それが意味しているのは、私たちがこの世界で経験していることのすべてが撮り終えたドラマなのだということです。
本当の私た
それの何が問題なの?と、そう言えるようになるために
自我が問題なのではありませんコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践において私たちがしなければならないのは、自我を直視するということです。
それはどのような実践をしていけばいいのか?
そして、何のためにそういう実践をしていくのか?
ワプニックさんは、コースの実践について、以下のように云っています。
このコースは、自我を否定していく道ではなく、自我を咎めずに見ていく道なのだというこ
アイデンティティーのシフト、そして真の知覚の修得を目指して
「肉体の自分」から「心の自分」へ通常、私たちは、「自分は肉体である、自分は人間である」と当たり前のように信じています。
つまり、私たちはこの肉体の自分を「自分」だと自己認識しているわけです。
でも、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくにつれて、コースを学んでいるのは「肉体の(個人の)自分」ではないということが分かってきます。
それと同時に、それまですっかり見落とされ