【遠い・果てしなく遠い】day2_2024/1/18

アキレス腱を断裂した翌日。。



朝飯がない

朝起きて、腫れも少し増していたし、左足は完全に体重を支えられない状態だったので、もうこれはアキレス腱断裂だと自認していました。
まずはベッドの上で、病院の目星をなんとかつけて、仕事のスケジュールをどうしようかと・・。
考えた末、今日は日中の仕事をテレワークに切り替えて、自宅で仕事をしたのち、夕方から整形外科に行くことにしました。
ただ、腹が減っている。。
昨日は最後にご飯を食べたのは、テニスを始める前で、プレー後何も食べていなかったので、相当お腹は空いていました。
残念ながら男の一人暮らし、さくっと食べれるような栄養価が高いものはなく、どうしたもんかと。
そこはさすが現代。Uberがあるじゃないかと!
金に物を言わせて、食事にありつきました。
普段なら、配達料や手数料がもったいないので、Uberは使いません。
ただ、今回は訳が違う。
ものすごく助かりました。
今の自分はこれまでの自分と違う人間になったようなものなので、
普段使わないサービスの有り難みを痛いほど感じました。
いつも、サービスを考えたりする際に、どれだけフレームワーク等を使ったとて、最後は自分の経験や感覚が思考の深さに影響します。
どこまで消費者やサービスの受け手のことを考えれるか?
それは自身のどこまでその対象とシンクロさせられるか?だと思っています。
経験や感覚の幅の広さが、視野・共感できる幅や深さにつながるとも自分は思っているので、改めてこういった経験や感覚は大切にしないといけないなと・・
『まあ、アキレス腱切っても気づきもあるからええやん』前向きに考えようとしております。

遠い・果てしなく

そんなこんなで、日中の仕事を終えて、夕方病院に向かいました。
徒歩10分の整形外科。
まあ30分以上かかりましたね。
Googleさんが嘘をついているわけではなく、私の歩みが遅いのです。
やって、左足まともにつけないから。
まあ、大変でした。
寒い中、足をひきづって、恐る恐る歩き、病院までたどり着くまでは。
割と根性はある方なので、特に心が折れることはなかったですが、
まあ遠いですね。
「10」分とか、「500」mとか、「5」kgとか、
数字って、世界共通の基準ではあります。
ただ、その数字の感じ方、いわゆる体感みたいなものって、こうも違うかと
結構びっくりしました。
同じ数字でも人によって感じ方が全然違う。
同じ1,000円も、人によって全然重み違いますもんね。
そういうのって、普段自分中心の生活してると気づかないもんですよね。
目の前の人にとって、この数字ってどう感じられるのだろうか?
この数字って、どんな意味を持つんだろうか?それをちゃんと考えるべきだなと、ちょっと自分を省みました。
同じ年齢だとしても、その年齢に感じる意味やその年齢に持たせている自分の人生設計も全然違いますもんね。
誰かを思いやることって、そういうことからちゃんとしないといけないなと、この文章書いてて、改めて感じますね。。


見えないよ。自分しか。

とは言ってもですね、なかなか見えないんですよね、こういう時は、
自分しか。
アキレス腱が切れた足をひきづって歩いてると、なかなか前が見えないんですわ。
前から来る人がいると、
『避けてくれ〜』
って心の中で叫びながら思ってる。
けど、みんなスマホ見ながら歩いてて、ギリギリまで歩いてくるんですわ。
まあ怖いですね。
ただ、普段の自分はどうかな?とも同時に思うわけですよね。
ちゃんと避けられてるかな?
歩くのが大変そうな人が見えているかな?
と。余裕がある時は、気づけてると思うけど、どうしても余裕がないと
そこに向かう気持ちがない自分もいるなと、ちょっと気づいてしまいました。
こういう状態なると、正直身体的な余裕がなくなるから、結構歩くのとかは厳しいし、道を譲ってもらう立場になっています。
ただ、普段はより一層、ちゃんと周りが見えるようにならんといけんなと、痛感する長い道のりでした。
そのためには、やっぱり心の余裕が大事よな。
早く治して、余裕のあるかっこいい人にならんと。
もちろん、怪我の治療をしながらも並行して成長します。

基準が違う

さて、病院につきました。
一言で言えば、「え!つめたっ」っていう感覚です。
めちゃくちゃ足引きずって、受付でアキレス腱断裂してると思いますと伝えても、
問診票やらなんやらで「あっち行って」「こっち行って」で歩かされたりと、キツかったです。
松葉杖とか車椅子とか貸して欲しいと思いつつも言い出せず、病院についてからも、なかなか厳しい状況でした。
結果、診察受けて、アキレス腱断裂してるから、大きな手術のできる病院へ!ということになって、帰ったわけですが。
その時は、なんて冷たいんだこの病院は!と思ったわけですよね。
ただ、それは基準が違うっていうことなんだと。
そもそも病院には、他にも患者さんがいて、確かに怪我の大小はあれどみんな何かしらの問題を抱えているから、皆に過大なサポートをすると負担が大きくなってしまいますもんね。
それに、自分たちがやっているようなサービス業とは違って、病院はあくまで病院。治療を行う場所であった、サービスを行う場所ではない。
もちろん今は、ホスピタリティとかを売りにしている病院もあるけど、全ての病院がそういうわけではない。
それに、病院で支払ってるのは、医療費であって、サービス料でもないですしね。
そこらへんを勘違いして、過剰なサービスを望むのはお門違いやと、
帰りの冷たい風にさらされ見直しました。
場所や状況、相手によって基準は違う。ビジネスでも、普段の生活でも
当たり前。ただ、あまりにも自分の基準に染まってしまうと、そういうことを忘れてしまうから、気づかせてもらえる機会を大切にしないといけませんね。
誰かにサービスを届ける時も、自分たちが目指す世界観は、どういった基準で成り立つのか、サービスを受ける人たちはどういった基準を求めるのか。
ちゃんと考えないといけませんね。
もし、お互いの基準がうまく噛み合わない時は、
無理せず受け手と与え手という関係を構築しないという選択も重要ですよね。
自分の基準ばかりを押し付ける人が多い社会だと、きっとみんな壊れちゃうので、自他を尊重する姿勢を大事にしたいもんですね。

ところで今日も、
5階までの階段は、鬼のようでした。

続く。


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