宮崎駿さんの「ナウシカ」から「千と千尋の神隠し」に至るまでのインタビュー記録です。
一気に読了しました。言葉のそこかしこに、ものを創り出す人間という生き物のエネルギーが迸っていました。最初は乱暴ともとれるような宮崎氏の粗いものの言い様に躊躇してしまいましたが、そこには強い信念が頑として存在することの証でもあることが腑に落ち始めると、氏には愛しか感じなくなりました。天才という言葉があるのなら、天才的クリエイターだと思います。
さて、宮崎氏は数多くの作品を手掛けていますが、基本的には「子どもに見せるものを創る」ということを念頭に置いて映画を製作してきたのだそうです。(作品によります)そこが、宮崎氏の手掛けるジブリ作品の軸を貫いているのだということが改めて浮き彫りになりました。もう一度、ナウシカ、ラピュタ、魔女の宅急便、トトロ、もののけ、千と千尋と、映画を観ていきたいと思いました。
インタビューの中で個人的に印象的だったものをご紹介します。
次に、各映画のエピソードの中から心に残ったところを記録してみます。
宮崎氏の設定する主人公に私が惹かれてしまうのは、その人自身も闇を抱えていたり影を背負っていくからなのだと気づきました。完璧な存在なんてあるもんかという言葉が聞こえてきそうです。また、映画のストーリーというものは、企画が出た段階で決めてしまうのではなく、製作しながら形が出来上がっていくのだということにも驚きました。
また、ナウシカの製作が終了した時に、やりきった!という清々しい達成感ではなく、やっと終わった!という安堵が出たというのも意外でした。
その他にも、「ナウシカ」のコミック版とアニメーション版での葛藤や、コミック版を生み出す氏の苦しみも吐露されていて、「ものを生み出す」ということは斯くも過酷なことなのかと驚きました。
逆上すると腕から黒いものが噴き出すのは、出したものが止まらなくなってしまう様を表現していたのですね。
また、アシタカに言わせた「君は森で、ぼくはタタラ場で」という言葉も、今の時代においてもその通りであり、この観念は時間を超えたところにある永遠の価値観だと感じました。
「子どもに見せるため」にアニメーションを創っている宮崎氏の深い愛を感じるエピソードでした。
さて、宮崎氏の中にある価値観の一つがコミュニズムだそうですが、そのコミュニズムの氏なりの解釈は次のように語られていました。
また、ナウシカから千尋に至るまでの経緯で、大きく変わってきた舞台設定について、次のように語られていました。
宮崎氏のクリエイションの足跡は次のように語られています。最初にストーリーが浮かぶのかと思ったのですが、そうではないのですね。
製作の過程で、ストーリーや「どこまで説明するか」などのせめぎ合いがなされるそうです。例えば、王蟲を殺すか殺さないか、ナウシカを殺すか殺さないか、商業と啓蒙と手管(たくみにだます技術)と、子供に見せたい映画であることのせめぎ合いの中での製作になっていると知って、クリエイションの現場のすさまじさが私の胸の中に渦巻きました。本気のぶつかり合い、本気と本気と本気がすさまじい攻防を繰り返した挙句の果てに、ようやくああしたアニメーションが出来上がってくるのかということに、改めて畏敬の念を感じざるを得ませんでした。私がイメージしていたような、ふわふわとやさしくて楽しくてゆるやかなクリエイティブな現場、、、とは真逆でした。もうこれは戦場と言っていいような。
さて、宮崎氏の映画は「子どもに見せるため」という軸が通っていることは冒頭でご説明申し上げたのですが、それについて氏が語る場面がとても心打つものだったので、こちらの部分をご紹介して終わりにします。
宮崎氏の深い愛とクリエイターの情熱・葛藤・苦悶・信念が浮き彫りにされるインタビュー本です。薄っぺらい表現にしかなりませんが、胸が熱くなって夢中で一気に読みました。