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パートナーのこと

付き合いはじめて今日(8月3日)でちょうど1年。

きっかけはなんであれ、当時はこんなご時世にこのような穏やかな日々が1年も続くとは全く思っていなかった。

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わたしのnoteではたびたび書いているが、この年齢になるとどんな人もある意味『癖が強い』ので、仕事や趣味といった何か共通のものを通じての人付き合いは問題ないが、恋愛のような淡いものを通じての人付き合いを新たに構築するのは非常に難しい。

この1年の間に、一通りの季節のイベントや個人のイベントも過ぎ去り、わたしの子宮全摘術という人生としては大きめの出来事(なのかな?)や3ヶ月に及ぶ静養生活もあり、いわゆる「カップルとして過ごす1年」の割には初年度からいろいろあった気がするけれども、マイペースかつ穏やかに過ごしていると感じる

これはひとえにパートナーのおかげだなと思うことが多い。そんなパートナーのことを書いてみる。

表裏がなくまっすぐ、何事にもブレない

ふと思い浮かんだのが日立の樹のイメージだ。言い表すならこういう人だ。

彼の本質なんだろうな、というものに初めて接したのは、LINE交換をした1年前の8月1日。プロフィールにあった「信汗不乱」という言葉。気になって調べたら、故・仰木監督の言葉だそうで。

一生懸命流した汗を信じれば、心乱れず道は開ける。
己の信じる道を一生懸命に汗を流せば迷うことはない。
一心不乱に汗をかくことで未来が開けることを信じる。(こちらのblogより)

彼が大事にしている信念のようなものなのだろうと思い、出てきたページに書いてあったこの意味をそのままコピペしてiPhoneのメモに貼りつけておいた。

彼は口に出しては言わないが、こういう思いで生きてきている人だと今ならとてもよくわかる。

もう一つは「凡事徹底」という言葉。これは彼がスマホ新調のタイミングで、LINEのプロフィールを更新したときがあり、今は消えてるけど一瞬現れてた言葉。

なんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと。または、当たり前のことを極めて他人の追随を許さない。 (weblioより)

例えばとてもつまらない話だが、先日わたしが「午前中ロング走をするつもりで走り始めたのに暑さで3kmしか無理だった」というのを伝えたら、なぜかその日、より暑い午後に3km以上走ったとのこと。理由はわたしが暑くても3kmは走ったから。

そういうところなのだ。

1年通じて接していて、この2つの言葉は彼を体現しているなぁとつくづく思うし、この2つの言葉があるから彼のことを信じている。

多くを語らず態度で示す

実は、好きだとか愛しているとかいうような言葉は一度も言ってもらったことがない。そして、わたしも彼がそんな言葉を発しないとわかっているので無理強いもしない。

多くの女性はこういう言葉を言ってもらいたい生き物だと思う。わたしもそうだった。だけどそんな言葉で何か約束されるものなどひとつもない。過去の経験上そうだなと思う。「言ってもらわないとわからない」というのは、そういう話ではなくて希望だったり願望だったり相手にしかわからないことだったりのことだ。事実は言わなくてもわかる。

彼がパートナーになって言葉よりも態度で感じることが多く、言ってもらわなくてもなんとも思わなくなった。むしろ態度で充分愛されていると感じる。

彼は基本的に仕事が忙しい。そして長らくの独身生活におけるルーチンも確立している。かつ1つ目に書いたようなスタンスの人。
そんな人が「わたしに会いたいから」と言う理由で時間を割いて会いに来てくれる。貴重なプライベートの時間をわたしと一緒に過ごしてくれている。

また、彼は一緒に眠るとき必ずバックハグの形でわたしを抱き枕のように抱きしめてくる。違う形で寝ようと思っても、最後は必ずその姿勢になる。そしてのび太並の早さで寝落ちする。照れ隠しなのか「こうじゃないとあっちゃんにイタズラできないから」と言うが、その直後にほぼスヤスヤ寝ている。心底安心してくれているのは言わずもがなである。

LINEのメッセージは絶やさない。別に実のある話をしているわけではないけれど、朝起きたときや仕事終わり等、何かしら送ってきてくれる。どんなに忙しい人でも、これができるというのは心の片隅にちゃんと存在があるということだと思う。

それ以外にも言い出すときりがないが態度に表してくれることが多い。なので、むしろ彼が「好きだ」とか言い出したら、逆にわたしは彼を疑うかもしれない。

現実主義

彼はそもそもあまり過去の自分のことを話さない。聞けば言ってくれるが自らしゃべらない。なので、わたしもあまり彼には自分の過去のことを話していない。

もちろん、お互いバツイチでいつ頃バツイチになったのかとか、どこに勤めてるとか、仕事が何なのかとか、故郷はどことか、親兄弟の話とかはすでにこの一年の間でタイミングや流れで話してはいるので、必要最低限のことは知っている。

ただ、過去がどうであれそれは過去。この歳になればその後その経験を生かしてどう生きてきたのか、人となりに現れてくるほうが大事になってくるので、今更掘り下げなくてもと思うようになったのもある。彼といると特にそう思える。過去は過去。今、どうあるか。

目の前の彼がどうなのか、彼の目の前にいるわたしがどうなのか。彼はいつもそこに焦点が当たっている。
今、居心地がいいのか。
今、気持ちよく過ごせているか。
今、楽しいのか。
でも、これって人生を楽しく過ごす基本だと思う。わからない未来を案じても仕方ない。未来はなってみないとわからない。今この現在どうなのか、それが生きていても大事だと思う。そこが心地よくないと、何をやっても楽しくないし幸せでもない。

「今、幸せである」がずっと続けば、おそらくずっと一緒にいるでしょう、ということなのだ。そりゃそうだ。

彼は「できない約束は絶対しない」と言っている。将来もずっと一緒にいよう、なんて正直できない約束に等しいのだ。人間の心は変わるのだから。
でも、こんな現実主義でも、1年経った今、彼は隣にいる。彼の今の幸せとわたしの今の幸せは合い続けているとしか言いようがない。おそらくこれを重ねていける自信がわたしにもある。彼の現実主義にとても救われている。

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なんてことを、スヤスヤとうたた寝する彼の横で書いているわたし。

「今週後半は難しそうだから、今日伺おうかな」という遅めのメッセージで1周年記念の日にうちにやってきた彼は、オリンピックのサッカー準決勝の延長戦を一緒に観てワーワー言い、心地よく隣でうたた寝している。

そんな何気ない1日の終わりが幸せだと感じるお付き合い、なかなか手に入るものでもないと思うのだ。いつも、本当にありがとう。

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