「煩悩捕獲者」 ショートショート
俺は十二月に入ると横隔膜のあたりがピクピクしてくる。心拍数も上がってくるのだ。別に傷んだものを食べた訳でも卑猥なサイトを覗いた訳ではない。まぁ、言ってみれば武者震いのようなものだ。なんといっても年に一度の勝負の時がまもなく来るからな。この時を楽しみにしている奴らであれば俺のこの興奮は理解できるはずだ。
俺はカレンダーの下段を確認し、十二月三十一日の数字のところにグルグルと赤丸をつけ『WPC』の文字を殴り書きした。
おそらくnote利用者の皆さんはこの仕事について知らない人が多いだろうから、ちょっとだけ説明していく。あ、この仕事は完全ブラックの裏家業だから知らなくて当たり前。全然気にしなくてもいい。
まず『WPC』とはWorldly Passions Capturer(この世の情念を捕らえる人)の頭文字をとったものだ。一言で表現すると『煩悩捕獲者』ということになる。俺は毎年年末にこの副業で荒稼ぎしている訳だ。そう言われても想像がつかない人も多いだろう。しかしなんてことはない簡単なことだ。
大晦日の夜にアレが鳴るだろう?除夜の鐘ってやつさ。アレが鳴るたびに鐘の中からヌルッと出てくる奴がいるんだ。いや、通常は人間には見えない。だからこのスカウターを付けて専用のアプリを通じてその姿を確認するんだ。すると除夜の鐘の音とともにうじゃうじゃ出てくるのが見えるんだ、人間の煩悩たちが。初めてみた時はその異様な姿にちょっと気持ち悪くなったものだが、慣れるとなんてことはない。考えてみたら俺ら人間の中にもともといるものだからな。その煩悩たちを慎重に追いかけて捕まえるって訳さ。それがWPCの仕事だ。
捕まえた煩悩たちは仲介業者を通じて製薬会社行きだ。そのあとはよく分からんが、ワクチンなんかを作るらしい。煩悩で人生を踏み外す人を予防する薬を開発するとか言っていた。難しいことはよく分からん。とにかく俺ら煩悩捕獲者はこの煩悩たちを捕まえて売り飛ばすだけよ。相場は一匹五万円前後。レアな奴だと三十万円を超えてくる。超レアものなんか一千万円にもなる奴がいる。まぁそんなすごい奴に出会えて捕獲できるなんて、宝くじで十億当てるくらい難しいことだ。まずは地道に数をこなす事が稼ぐコツだな。ざっとこんなところだ。あとは年末まで体力作りをして待つだけだ。
大晦日。
この日は朝四時から起きて準備を始めた。走りやすい軽い安全靴、専用の網、マジックハンド、縄、スマートグラスの充電を満タンに。念のため持っていたいのがこれ、おびきよせる時に使うレンコンだ。レンコンは煩悩の大好物なのだ。このポッカリと空いた穴に吸い込まれるように引き寄せられてくるのだ。またたびにメロメロになる猫みたいなものだな。ま、雑魚の煩悩たちならこのレンコンで充分だ。できたらレンコンでは捕らえきれないような大物に会いたいものだがな。そんなことをホクホクしながら想像し、俺は筋トレやストレッチをしながら夜になるのを待った。
夜九時。
俺は自宅から車で二十分のところにある目的の寺にいた。うっそうとした林の中、恐ろしく古ぼけた造りだがそれなりに由緒がある人気の寺らしい。そのせいか集まる煩悩の質もいいという情報が入っている。
俺は鐘付近の手頃な待機場所を探した。ここの境内は案外狭い。周りは雑木林、地蔵が五体に神木が三、四か。俺は鐘から五メートルほど離れ、低木の脇を待機場所に決めた。近すぎると煩悩の動きが見えにくい。かと言って遠すぎると逃してしまう。このサジ加減が難しいのだ。
忘れてはならないのは同業者たちの存在だ。今日も独特の輩が集まってきている。全身迷彩柄のコマンドー男。スケートスーツの女性。ドカジャンに長靴の野暮ったい中年男性。学生服にワッフルコートの中学生風の少年。なぜかこの仕事をする奴は奇妙なのが多い。そういう私も工事現場の足場を飛び回っているべき男の姿だ。それぞれのものたちがこの煩悩たちを効果的に捕獲できるよう研究と開発を行なってきた末の装備なのだ。
そうこうしていると住職が背筋を伸ばして鐘に近づいてきた。一礼したあと撞木の紐を握った。夜十一時ついに鐘を鳴らし始めた。
俺は息を潜めて鐘の下部分にスカウターのピントを合わせて注意深く観た。あぁ、自分の白い息が時に邪魔になる。煩悩はひと鐘程度ではまだ出てこないことが多い。二鐘、三鐘と続いた。その時影がチラッと見えた。テカリのある黒い小さな背中が鐘の底にいくつか動いて見えた。そのうちの一匹がポトンと下へ落ちた。背中から落ちたため両手両足をバタつかせてしばらくもがいていたが、クルリと体勢を整え右方向へ走り出す。まるで小猿のようにチョコマカと動く奴だ。ちょうど近くにいたスケートスーツの女性はレンコンでおびき寄せ、網を振り下ろしあっけなく捕らえた。スカウターには『煩悩No.2。苦締瞋(くたいしん)怒り。八千五百円』と表示されている。雑魚だ。
もう一匹こぼれ落ちてきた。細長い蛇状の奴、すばしっこいぞ。一度こっちへきたがすぐに左側へ方向転換しやがった。チクショウ!今度は中学生風の少年が足で踏んで捕まえた。あいつなかなかやるな!『煩悩No.5。苦締疑(くたいぎ) 正しい事を疑う。一万二千円』か。ちっ、雑魚だができれば取っておきたかった。
こんな地道な捕獲戦を繰り広げていくのだ。一時間近く取り組んでると捕獲カゴにはある程度の煩悩たちが溜まってくる。しかし今回は数が少ない。このまま終わると合計百八個には全然届かないぞ、おかしいな。スカウターの下段には累計七十六万円と獲得金額の進捗状況が表示されている。昨年が百万円を超えたことを考えるとかなり足りない。どうしたというのだ。時間はもう深夜零時近い。リミットが迫っている。こうなったらなんでもかんでも捕獲してやる。数で補填するしかない。私はスカウターのピントを合わせ直し近くに寄って網を構えた。
その時、煩悩が少なかった理由がスカウター越しにはっきりと見えた。俺はその瞬間、鐘のところまで一気に駆け上がり大きくジャンプし、網を振りかぶり住職の頭めがけ振り下ろした。最後の鐘を鳴らし終わった住職全身をスッポリと網で捕らえた。
その場に崩れた住職は放心状態で網の中で目を閉じてじっとしている。見間違えではなかった、袈裟の脇は大きく膨らみムニュムニュとうごめいている。横取りされた煩悩たちだ。この住職、金になる煩悩たちを大量にかすめ取っていたのだ。権威ある立場を利用した許し難い卑劣な行為。それによってこの住職は煩悩そのものに変容して存在していたのだ。さも高僧のようなたたずまいでな。スカウターのピントをこの落ちぶれた住職に合わせてみた。
『煩悩No.109。職権濫用(しょくけんらんよう)職務上の権限を悪用する行為。二千三百八十万円』と表示された。
新種であり超大物とはな。
こりゃ煩悩捕獲者冥利に尽きるぜ。
俺は捕まえた煩悩たちを詰め込んだ大きな捕獲カゴを、勢いをつけて車の荷台に投げ入れた。見上げれば真っ黒い空から白いものがチラチラと降りている。俺は俺らしくもないが振り向いて寺に一礼した。ほう、これが感謝の心ってやつか。そんな独りごとを言いながら車のアクセルを派手に踏みつけ、鼻歌まじりで仲介業者のところへ飛んだ。
おわり
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