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イナズマ

序文


自分が中学生の頃…。

兄が格闘技好き(特にプロレス)だったこともあり、それに影響されて当時深夜に放送されていた新日本プロレスの中継を見るようになった。

1996年の事だ。

先日引退された武藤敬司や、大晦日にビンタする人のイメージが強い蝶野正洋(当時はバリバリの黒の総帥、いやカリスマ…ガッデム!!)や小川直也との激闘が印象に残る橋本真也などが現役バリバリの頃だ。

そして今ではYouTuberの長州力や、ドラゴンこと藤浪辰爾なども健在で、前年にUインターとの対抗戦で盛り上がっていたこともあり新日って面白いな~、と一時熱心に見ていたものだ。

特に武藤敬司が繰り出すフラッシング・エルボーやムーンサルト・プレスに、Uインターの高田延彦戦で繰り出したドラゴン・スクリューなどに一種の憧れみたいなものを抱いた事を今でも覚えている。

当時の武藤の技はダイナミックでキレキレだったのもあり、今でも鮮明に記憶に残っている。

華のあるレスラーだった…。

そしてこの時代に記憶に残っているものとして忘れられない技がある。

ケンコバの物真似のイメージが強い越中詩郎。

越中が作ったユニットに「平成維新軍」というチームがあった。

当時維新軍に木村健吾というレスラーが所属していた。

木村健吾の必殺技…「イナズマ・レッグ・ラリアット」。

通常ラリアットは腕で相手の喉元めがけて繰り出す技だが、木村健吾の場合は自ら飛んでこちらに向かってくる相手めがけて、足でラリアットの要領でぶつかっていく。

これが何でそんなに印象に残ったのか…。

「イナズマ」って響きが妙に印象に残ったんですよね~。

名前にイナズマとか入ると何か強そうに聞こえません?(俺だけ?)

技のインパクトも去ることながらこのイナズマって響きがどうも…気になって(笑)

蛇足で述べるが…

プロレスの技の名前のインパクトって凄く重要だと思う。

その人物のイメージを作る上でも…
シャイニング・ウィザード(武藤敬司)
エメラルド・フロウジョン(三沢光晴)
不知火(丸藤正道)
ボマイェ(中邑真輔)
ディスティーノ(内藤哲也)
レイン・メーカー(オカダカズチカ)
その人物の代名詞とも言える必殺技の名前の数々。

レイン・メーカーなんてまさにオカダカズチカそのものだと勝手に思ったりしている。

やはり名前は重要だ!

話をイナズマに戻して…

思えば…

ひと昔前のオリックスブルーウェーブスの「ブルーサンダー打線」や、コンビニやスーパーのお菓子売り場でよく見る黒い雷…「ブラック・サ〇ダー」に、滋賀県で開催される「イナズマ・ロックフェス」など、雷や稲妻の名を冠した事柄は意識するとそれなりに見かける気がする。

歌詞にも「イナズマ」など入った歌もあった。

記憶を掘り起こしてみれば確か…。

そう…

言葉のイメージやニュアンスが使いやすくて、伝わりやすいのだ。

きっと。

それは多分英語でも…。

自分のハンドルネームに使ってみるか…

カミナリ・ショウタ

うん

私にはどうやら荷が重いようだ…。


何かスミマセン(>_<)

話を本題に戻し…

サム・ジョン・ホプキンス


ライトニン・ホプキンス

レコーディング・キャリアスタート時にピアニストのウイルスン・¨サンダー¨・スミスとよくコンビを組んでいた。

相棒のサンダー(雷)にちなみ、ライトニング(稲妻)と自らを称し、レコードキャリアをスタートさせる…

『ライトニン・ホプキンス』

その人である。

少しばかりの概要


サングラスにハットを被り、ギター片手にライトニン印のブルースを奏でる稀有なブルースマン。

故郷で生まれ、故郷を愛し、故郷で生涯を歩んだ。

1912年テキサス州で生まれる。

ライトニンは幼少期に、ブラインド・レモン・ジェファーソンという人物からギターを教わる。

ジェファーソンも1890年代にテキサスで生まれた。


ブラインド・レモン・ジェファーソン

俗にいう「テキサス・ブルース」の先駆者とも言えるのかな?

そしてライトニンと同じテキサス生まれの先輩シンガーとも言える。

ちなみにジェファーソンは盲目だったらしい…。

昔から伝わるバラード(民謡)、リール(ダンス・チューン)などブルースに限らず幅広いレパートリーを持った歌い手を「ソングスター」と呼んでいた。

そのソングスターの歌い手の一人にハディー・レッドベター、またの名を「レッドベリー」と称す人がいた。

色々なレパートリーを歌い、そして弾いてみせたレッドベリー。

彼にブルースを教えたのもまたブラインド・レモン・ジェファーソン。

なので聴き手によっては感想は異なるが、ジェファーソンの楽曲はブルースに限らず昔ながらのバラードや、リール、土着の流行歌の影響もあると伺える。

そしてフィールド・ハラ―や、ワーク・ソングの影響を受けたと言われる歌唱もブルースの伝統を受け継ぐ一つの魅力であり、ジェファーソンの魅力とも言えるのではなかろうか。

デルタ・ブルースとも違う当時のジェファーソンのブルース…

そこまで聴いてはいないが、当時の歌とギターの音色、そしてまさしくその当時の空気感や現地をイメージするのに聴いてみるのも良いんじゃないかとも思っている。

そして戦前ブルースとも言われるジャンルの醍醐味でもある、ギターと歌のシンプルなアンサンブル、そして昔ながらの録音機器の音具合、たまには聴いてみるのも良いかも。

さて、ライトニン・ホプキンス。

幼少期に偉大な先輩ブラインド・レモン・ジェファーソンからギターを教わったライトニン。

ソングスターとしての民衆に根付いたシンガーとしての在り方もジェファ―ソンから学んだのかな?

ライトニンも畑仕事を少しばかりやったりしながら、各地に出向いて演奏を披露する生活を送っている。

綿摘みや畑仕事が一段落する週末の金曜日の晩や、土曜日の晩には各地の農場などでは皆踊って騒ぐダンス・パーティーが催されたそう。

日頃の仕事の疲れや憂いを吹き飛ばすかの如く、踊り騒ぐ…。

現在に通ずるクラブやディスコなどと娯楽のニュアンスが通ずるところがあると言っても良いのかな。

ちょっと違うかもしれないが…。

そしてそういう場では演奏するシンガーや、奏者もいたわけで…

その中にライトニンも混じって演奏していたそうだ。

ダンスの場で好まれるのは、一概に言えないが早急なリズムの演奏や音楽が好まれる。

ライトニンのアルバムを聴いていると、彼の演奏の特徴の一つでもある「ライトニン印」なバッキング、ブギーのご機嫌なリズムでバック・ビートを刻む事があると思っている。

ダンスの場で演奏をする機会などもあったことから、推測で書くがこのブギのリズムは培われたのではなかろうか。

そして他にも小さなお店などで演奏したりしていたライトニン。

ライトニンの話によると昔は貨物列車に飛び乗ったりして移動していた時もあったそう(!!)

そしてバスに飛び乗ったりしながら出向いた先で演奏をしてお金を稼いで、また移動して…といったような放浪生活を送った時期もあったそうだ。

またトラブルに巻き込まれ、囚人として道路仕事の従事などにもついていた時期があった。

労働の後には鎖に繋がれ…再び朝には労働に出向いて、といった生活を送った。

そういった数々の人生経験をしたライトニン。

よく言われる吟遊詩人としての面などは、こういった数々の自らの人生経験を経ての面も影響したのであろう。

更には時代は1940年代から1950年代に。

楽器の生音から電子の増強された音に代わろうとする時代。

ミシシッピからシカゴに移住し、都会の喧騒に負けないがためにアコギからエレキに持ち替えたマディ・ウオーターズのような時代の先駆者もいた。

その一方でライトニンはエレキを持つこともあったが、アコギでの演奏が,割合的に多いのも特徴の一つなんじゃないかと思っている。(違うかな?)

そしてバンドを率いるのもあまり好まず、シンプルなサウンドが耳に残る。

シカゴブルースのようなバンドサウンドが隆盛を迎え、後のロックの礎を築く中、ライトニンのようにカントリーブルースの音色を主体としたサウンドも脈々と受け継がれていくのもまた事実。

どちらが良い…、とかではない。

どちらも素晴らしく、違った魅力を放ち支持されているのもまた一つの事実だ。

ライトニンの初録音は1946年。

そこからブルース・シンガーとしてのキャリアをスタートさせる。

時代はまさにR&Bのシンガーの勃興期。

ライトニンもR&Bのスターであった時もある。

そして人気が下火になった50年代末…。

ブルースなどが黒人以外にも聴かれるようになり始めていた。

フォーク・ソングとして白人社会から注目を集め始めた頃。

そんな世相を反映してライトニンは再び表舞台に立つことになる。

そして自分がよく聴いているアルバム。

アルバムについて

「MOJO HAND」

① MOJO HAND
② Ⅽoffee  For  Mama
③ Awful  Dream
④ Black  Mare  Trot
⑤ Have  You  Ever  Loved  A  Woman
⑥ Grory  Bee
⑦ Sometimes  She  Will
⑧ Shine  On, Moon!
⑨ Santa
ボーナストラック
⑩ How Long  Has Train Been Gone
⑪ Bring Me My Shotgun
⑫ Shake That  Thing
⑬ Last Night
⑭ Walk  A  Long  Time
⑮ I'm  Leaving With You Now
⑯ Houston  Bound
⑰ Just  Pickin'
⑱ Baby I  Don't  Care

突き出た拳が印象的なジャケット。

1960年11月にニューヨークでレコーディングされた。

基本ベースとドラムをバックに(時折ピアノや女性ヴォーカル!)、ギターと自らが唄う歌声を前面に出したブルースの名盤とも言われるアルバム。

拳の印象が素晴らしい(^^)/

ライトニンの魅力をこれでもかと凝縮し、抽出して醸されたアルバムともいえようか。

例えていうなら…

日本酒は時間を置き、熟成させて一定の期間を経たら黄金色に輝く「古酒」となる。

それはひとたび呑めば、若い日本酒とはまた違った味わいを生む。

「熟酒」としての佇まいと言ったところか。

このアルバムのライトニンの歌声や、ギターのブギのリズムやフレーズには、人生という名の時間を噛みしめた者だからこそ放てる黄金色に輝く色合いを生み出だしている。

そして抽出されたブルースはエスプレッソにも似た濃厚さを感じ、コクや苦み、若干の甘さをも感じさせ、ひとたび口にし、呑めば呑む程(聴けば聴くほど)に様々な味わいを感じさせてくれる。

五味(甘味1、旨味3、酸味2、苦味2、塩味2)位の割合か…。

まあ、要するに良いんです(*'ω'*)

っとまあ訳の分からない例えをしてしまいましたが、それだけ熟成された魅力を放っているアルバムなんじゃないかと思っている。

タイトルにもなっている①。

「I’m goin to Louisiana,get me a mojo hand…」

Mojo Hand 一部歌詞より

ルイジアナに行く、モジョハンドを手に入れて…

そんなニュアンスになるのかな。

違ってたらごめんなさい!!

マディ・ウオーターズの歌や歌詞の中にもこの「Mojo」という言葉が出てくることがある。

そもそもこの「Mojo」という言葉…。

元はブードゥー教で、様々な運気をアップさせる呪術だったとの事。やがて、魔術、お守り、麻薬中毒者、といろいろな意味として使われるようになったとか。現在では、不思議な力、生命力、パワー、といったニュアンスで使われる事が多いとの事。

WEBサイト yaolog.comより

なるほど、言葉のニュアンスは何となく伝わってきた。

そして曲はライトニンの軽快なブギーのリズムで、ドスの効いた特徴的な歌声で進行してゆく。(時折笑い声も入っている。)

軽快なブギーのリズムでご機嫌に歌っているライトニンの声が「モジョ ハンド」の世界感を作り出す。

曲間に入るライトニンのギターソロも何とも味わい深い。

一人ベース音を鳴らしながら弾くフレーズも耳に入ってくる。

ノリの良さを感じながらも、どこかやさぐれた魅力を放っているように感じる。

ライトニンのキャリアを通して代表曲とも言える一曲だ。

そんなブギーのリズムを前に出しつつも③のようにギターと歌声をスローに、余裕たっぷりに貫禄を効かせて歌いあげるナンバーもある。

エモーショナルに歌いあげる場面もあるが、このエモーショナル感が丁度良い塩梅でその世界感を崩さない。

あまり力み過ぎず、かといって力が抜けすぎているわけではない。モーン(叫び声)は古くからのフィールド・ハラ―(農園歌)や、ワーク・ソングからの伝統を受け継いできたブルースの技法の一つとも言われる。

関係があるかは分からないが、ライトニンの中にもそういった先人達の伝統が受け継がれていたのではなかろうか。

それほどに③のライトニンの歌い方は味わい深い。

深い部分にいるような…。

好きなナンバーだ。

アルバムではこなれたインストのみのナンバーもある。

これがまた渋くて、少しこなれた都会的な印象をアルバムにもたらしている。

そしてこの都会的な印象を与えてくれるのに、一役買っているのが⑤でも聴けるピアノの音色が入ったナンバーだ。

ピアノとベースの音色をバックに、これまた絶妙的な力加減で歌うライトニンの歌声も相まって曲はいぶし銀の魅力を放っている。

おすすめの一曲だ。

そしてブギーのリズムに乗せて、ライトニン印なフレーズやバッキングを挟みながら「That’s Alrght」と繰り返す⑦も①と違った魅力を放っている。

軽やかな渋みを湛えたナンバーともいえようか。

そして⑧もまた情景が浮かんできそうな激渋ナンバー。

一つ一つの音が選び抜かれて無駄がない。

熟成感がいよいよと極みの境地に達したような素敵なナンバーだ。

他にも素敵なナンバーは数ある。

っというか全部がよろしいですが…。

アルバム全体を通したディープな世界感と熟成感は中々味わえるものではない。

シンプルに研ぎ澄まされたサウンドに絡みつくライトニンのギターの音色に、歌声。

ライトニン・ホプキンスが醸すブルースの世界を味わう上でも、アルバム「Mojo Hand」は最適な入門編なのではなかろうか。

最後に


ライトニン・ホプキンスは1982年に70歳を迎えようとする1月の終わりに生涯を閉じている。

その生涯の多くを地元テキサスで過ごしている。

「[ヒューストンの街の人はみんな]おれによくしてくれる。みんな、おれを知っていて、たくさんの人と知り合いにならなくてもいい。ここにいるのは、よく知っているやつばかりだからな。だから、自分のうちにいるって気分になれる。そんなふうによくしてもらっているのに、なんで立ちあがって、旅に出かけなきゃならないんだい。」

黒い蛇はどこへ 名曲の歌詞から入るブルースの世界 184ページより


ライトニン・ホプキンスの人生観や、歌の世界感を構築する上でも引用させて頂いた。

何となくライトニンの生き様のような言葉なのかもしれない。

そして、何となく…何となくではあるが現代人の我々達にも必要そうなニュアンスのあるフレーズが入った言葉なのかもしれない。

いずれにせよ、ライトニン・ホプキンス…

稀有なブルースマンだと思っている。

① Mojo Hand〈ライブバージョン〉

ギターを自らの体の一部のように操るライトニンの魅力あふれる動画です。

③ Awful Dream

⑤Have You Ever Loved A Woman

⑦Sometimes She Will

⑧Shine On Moon

動画最後はライトニンの魅力でもある生演奏の動画を。
アルバム曲ではないです。
いぶし銀の魅力を放ってます!!

もしよろしければご視聴下さい!

そして記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます! 


*参考文献として…
・ブルースと話し込む ポール・オリヴァー著
・ザ・ストーリー・オブ・ザ・ブルース ポール・オリヴァー著
・黒い蛇はどこへ 名曲の歌詞から入るブルースの世界 中河信俊著
・WEBサイト Wikipedia
を主に参照しました。







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