ブルースと会う
その感情は出来れば会いたくない。
だが、世の中そんなに甘くはない。
なんせ生きてりゃ色々とあるわけで…。
つまらないことや、嫌なことや、切ないことや、世知辛いことなど…
そりゃあごまんとあるわけで。
浮世の嫌な面に出くわせば面白くもない感情が芽生え、その感情と付き合っていかなければならない。
グッと堪えたり、楽しいことして発散したり、お酒吞んだり、友達と遊んだり、愚痴ったり…などなど。
付き合い方は様々だ。
まぁそのブルーな感情がプラスの方向に行ったり、消費として向かう側面があったりするので、一概に全てが悪いとは言えないのかもしれない。
ただその感情は時には自分のみならず、人を傷つける可能性があるという事も忘れてはいけない。
うまく折り合っていかないといけないって事なんでしょね。
人として生きている以上は。
そんな「ブルーな感情」を、熱烈なトーンでムーディーな演奏の元、各小節の間にギターの印象的なフレーズを叩き込み、あたかも情熱的に恋人のようにブルーを迎え入れるかのようにして、とあるブルースマンが熱唱している好きな歌がある。
「FIRST TIME I MET THE BLUES」
「初めてブルースに会った時…。」
タイトルだけでも充分なインパクトだ。
そして、このインパクト大な曲を熱唱しているのは齢80を超えた現在でも音楽活動を続け、その存在感を示し続けるブルース・マン、バディ・ガイである。
バディ・ガイは1936年7月30日に米国ルイジアナ州レッツワースに生まれる。
2023年現在で何と87歳になるわけか!
ポール・マッカートニーや、ミック・ジャガ―、キース・リチャーズにボブ・ディランよりも年上という事になる。
凄いですね…。
幼き頃は網戸の網を切ってはギターの弦にしていたという環境からバトンルージュで地元のバンドに参加をして腕を磨き、1956年にシカゴに進出。
そこからコブラ・レコードでデビューを飾り、レーベル倒産後はブルースの名門チェス・レコードに移籍。
チェスには1967年まで在籍していた。
チェスに在籍している間に、自らの音楽活動に励んだり、後の音楽仲間になるジュニア・ウェルズに出会ったり、先輩大御所シンガー、マディ・ウォーターやハウリン・ウルフらと共演している。
そして件の「FIRST TIME…」はこのチェス時代に録音された曲であり、チェス時代の作品を集めたアルバム「I Was Warking Through The Woods」に収録されている。
このアルバム自体が若き日のバディが、チェスで奮闘していた頃の貴重な記録として聴き応え抜群なアルバムである。(特にバディの代表曲STONE CRAZYなどそのエネルギーの抽出量に圧倒される)
「FIRST TIME…」は4曲目に収録された曲。
元々、曲はリトル・ブラザー・モンゴメリーというブルースピアニストが1936年に録音した曲で、それをチェス所属ソングライターで音楽プロデューサーのウィリー・ディクソンのもと、バディがバディ流として命を吹き込んだものとして発表されることになる。
2分18秒という短い曲であるが、まあ自分的に聴き応えたっぷりな曲でありまして…。
感情を揺さぶる情報量が豊かな曲なんですかね。
スローテンポに、ブルースの常套句で貫禄たっぷりに、ムーディーに曲はスタートしバディの情熱のこもった歌声が始まっていく。
バックでピアノや、管楽器、そしてドラムサウンドが曲の骨格を組み立て、バディのこれでもかと情報量たっぷりに弾きまくる印象的なフレーズが耳に残る。
まるで、情熱的に恋人にアプローチか、その別れを嘆いているかのような凄まじいエモーションで演奏しているように聴こえるんですよ。
実際曲の終わりはバディの「オ~イエ~!」の声で終わっている。
とてもブルースに出会った事を唄っているように聴こえないわけで…(^^)/
まあ個人の感想なんで差はあると思いますが。
歌の序盤の出だしから、ブルースとの出会いを歌っている。
森の中を歩いていた…、まあそれだけでも印象的であるが森の中ってのがまた一つのミソなのかもしれませんね。
原曲はモンゴメリー氏の曲であり、録音されたのは1936年。
実際にモンゴメリー氏は南部のバレルハウス(安酒場)や、木材切り出しの飯盛り場等を回ってピアノを弾き生計を立てていたそう。
きっとその時の情景はあくまでも想像で書かせて頂くが、木々や森がうっそうと茂っていてそのような場所でブルースを演奏していたという経験が、きっと歌詞に森の中で…、っと綴る一つのフィーリングになったのではなかろうか。
そして木材切り出しなどの現場は木々の多い近くで…、多分森が現場になると思われる。
そこで働く労働者(黒人労働者)のブルースは、森の中(労働や境遇に対する世知辛さ)から生まれるわけであって、何となくではあるが、モンゴメリーはそのブルーを、労働者の憩いの場で演奏をすることによってヒシヒシと感じていたのではなかろうか。
そう考察してみると奥深いものを感じてしまう。
さらに言うならば、「森の中…」は現代的に解釈してみると人の世の中といったところか。
まあ、今も昔もブルーな奴と遭遇する場面ってのは変わらないのであろう。
歌は徐々に「ブルース」に追いたてられたり、家にまで来たことや、痛めつけられたりすることを歌っている。
ここまでくると一種の強烈に追い立てられるような脅迫めいた感情さえも伺える。
日常に潜むブルースはまさしく限界まで飲み込まれると、ここまで逼迫した思いになるのではなかろうか。
バディの歌う声にも、どこか上記のフレーズには熱を帯びながらも諦めや、懇願にも似たトーンで歌っているように自分は感じる。
きっとバディの感情のこもりようは歌詞のフィーリングにも反映されたんじゃなかろうか。
そんな酷い目に合されながらもバディ版の最後にあたる3番の歌詞では、いよいよと熱を帯びてくる。
ブルースは毎朝そばにいるらしい。
そしてブルースに対して親しげに話しこむかのような状態だ。
これは一体どういうことか。
追い立てられていたかのような「ブルース」に対して朝も早くからご苦労さんと言わんばかりの状態だ。
あまりにも酷い状態を逸したのか、諦めの境地に達したのか、はたまた「ブルース」を飼いならす事に成功したのか、まあ色々な考察ができるような3番のバディの「YES…」の歌いだしの始まり方。
マジ力が入ってるんです。
そんな状態で歌の最終盤はこう締めくくられている。
そう、人によって解釈は異なれど歌の主人公なりに「ブルース」に対して、そしてブルーなフィーリングに向き合う何かがここに生まれたのでなかろうか。
森の中=人の世にいれば必ずと言って良いほどに大小あれど、「ブルース」は必ず訪れる。
その何事かに追い立られ、嫌な目にあい、憂いを帯びてしまった一人の人間の感情が最終的には、日々常に横に寄り添っているもんだと達観の境地に達し、ラストの「Oh、yeah!」っとなるわけだ。
自分を元気つけるための掛け声なのか、諦めの境地に達した掛け声なのか、それとも逃れようのないものなんだから、真正面から向き合う覚悟を示した掛け声なのか…
分かりはしないが、偉大なブルース・マン、バディ・ガイの矜持を示されたような気がしてならない。
それ程に曲に対しての熱量は伝わってくるのである。
そしてこの歌に込められた本質のようなものは人それぞれ解釈は違えど、「ブルース」というものを本質的に捉え、それをいかに昇華しているかが分かるような、この先ずっと残ってほしい曲のようにも思える。
日常に潜む折り合いをつけていかなければならない自らの感情…。
ここは一つバディの熱のこもった名演と共にその「ブルース」を熱烈に歓迎してみてはいかが?
ひょっとしたら歌を通して自らの「ブルース」に新たな解釈が加わったり、そして悪い事ばかりでもないな、なんて思ったりするかも…。
なんちゃって。
この寒くなっていき、何となく物悲しい季節にピッタリな曲とも思っています。
動画にモンゴメリーの原曲と、バディ・ガイバージョンを。
雰囲気はガラッと変わって両方とも味わい深いです。
記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!
・本文の内容や、途中の引用において中河伸俊氏が著された「黒い蛇はどこへ 名曲の歌詞から入るブルースの世界」を一部参考にしながら書かせて頂いております。
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