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外に出掛けよう!ノスタルジックな”ペナン島”に行ったお話し。サクッと知って、行ってみてほしい1。

こんにちは。aboveu(アバーヴ)
Akki(あっきぃ)です。

マレーシアのペナン島から、
クアラルンプールに戻ってきました〜!

と、私事で恐縮ですが
『Why マレーシア?』
疑問符が浮かんだ方も・・

「いつか海外で仕事をするだろう・・!」
という漠然とした感覚から、
10年くらい?(笑)

学生時代に半年のアメリカ留学から
中途半端な(とも言うことができないレベルの)
英語、イタリア語の勉強をしては・・辞め、

アメリカ行くの?
イタリアかな?と何度か
海外へ移住のきっかけを
つくろうとするも、行ってみては
『まだ、何かが違う』という感覚。

気づけば日本での事業に没頭し
忘れていた頃に、ご縁があり
マレーシアに片足を
突っ込み始めていました。

ありがたいご縁であり、
タイミング的に”マレーシア”という
シンガポールと隣接する国
昨年から4,5回ほど、訪れています。
海外あるある・失敗談が多すぎて、
そちらは別途、公開します。笑)

(ペナン島の中にあるハリ金アートは52体、ついつい探してしまう)

旅行のお話でいうと
最近は「日本旅行ばかり。」
と、このご時世に気を遣っていた方も
「そろそろ海外旅行に!」
思っている方も多いはず。

海外ではもしかしたら
当たり前の日常に
出会えるのかもしれない。

そうそう、観光地や空港
徐々に人が増え、日本も
中国からの入国の規制緩和と、

まだまだ日本入国・帰国は少し
まどろこしいものがあるものの、
早いもので令和も5年

観光都市を目指してほしい
日本と海外との関係性
客観的に深刻な気もしていて。
取り返していきたい
日本の国力”

真面目な話もしながら、
そんなこんなで話をもどして(笑)

今回はマレーシアの本島から出て
初めてのペナン島(Penang)に行ってきました。

昨年、最後のマレーシア訪問後から、
今年初めにありがたくも、素敵な方から
新しいご縁をいただだき、
ペナン出身の女性起業家さんと
お話しする機会をいただきました。

アジアの女性起業家を支援される
とっても素敵な方。

「次のマレーシアの際は、ペナンへ」
願っていた今回の旅、
そんな素敵な彼女ともお話しできました。

実は"878”もの島があるマレーシア。
(マレーシア最大の島はボルネオ島で、
世界で3番目に大きな島。)

魅力的な島々の中から、

一見、素朴なようで、

実はびっくりするくらい
"エキゾチック"

一言で表現すると
"ノスタルジック"!!!

そんなマレーシアのペナン島に訪れ、
感じた魅力や素敵な場所
お伝えしたいと思います。

マレーシアの首都は、マレーシア本島にある
KL(クアラルンプール)KLの空港から、
エアーアジア航空で約1時間


バスや車だと5,6時間くらい。

マレーシアの本島から
2つの橋がかかったペナン島へ。

マレー半島とペナン島を繋ぐ橋

飛行機を降り立った
ファーストインスピレーションは

Nyonya(ニョニャ)ーーー!!

(ちゃんと声に出して読んでみて。)

誰が読んでも、可愛くなっちゃう!
ニョニャ”。
(爆)

(ペナンの女性起業家さんとお会いできたお店「Nyonya Palazzo」美味しかったNyonya料理)

マレー・中国・インド、多様な文化の融合が、
街並み・ライフスタイル・食事にも反映され、

(Nyonya民族衣装)

Nyonya(ニョニャ)
=プラナカン文化
 とも呼ばれている。

(文化が融合した素敵なレストラン)

中国やインドの文化を
デザインに盛り込み、

東西文化を融合させた住居
"プラナカン建築"

コロニアル建築の建物は、18世紀後半、
ペナンがプリンス・オブ・ウェールズ島
呼ばれ、東西貿易の中継地だった頃を
物語っている。

華やかな色で塗られた建築物には、
ネオ・ゴシック様式やバロック様式などの
西洋建築のスタイルが取り込まれ、
特徴はPopなブライトカラーと、
”パステルカラー”
ひとつひとつが可愛い〜!

(ペナンのジョージタウンの街並み)

ペナン島の中心にある
ジョージタウン(George Town)は、
植民地時代の街並みや、貿易港の特質とされる
多民族・多文化社会が色濃く残されていることが
評価され、2008年にマラッカとともに、
世界遺産の街として”ユネスコに登録”されている。

(コーンウォリス要塞(Fort Cornwallis)フォート コーンウォリスは、18 世紀後半にイギリス東インド会社によって建設された、マレーシア、ペナンのジョージ タウンにある砦)

中世の時代からマレー半島は海のシルクロードと呼ばれ、中国、インド、イスラムそしてヨーロッパからも貿易商人が訪れました。マラッカは東南アジア最大の貿易港として発展してきましたが、統治していたマラッカ王国がポルトガルに滅ぼされると、香辛料貿易をめぐってポルトガルとオランダ、イギリスとの争いが激化。
1786年にイギリスがペナン島に入植し、その後マラッカ、シンガポールを支配下に治めていくことになるのですが、最初にイギリス人がペナン島に築いた街がジョージタウンです。ジョージタウン、マラッカ、シンガポールなどの海峡植民地は関税が撤廃されたため各地から商人が集まり、多民族文化が形成されていきました。

(参照:JTBマレーシア)
("大砲"が物語る、当時の印象)

”多民族国家であるマレーシア”

ペナン島KLに比べて
中華系の方々が多いと感じたのが個人的な印象で、
街の看板は、英語よりも中国語が目立ちました。

そして、イメージしていたペナン島の印象とは異なる
多数のアートの街並み

2012年に開催された「ジョージタウンフェスティバル」の際、
リトアニア人アーティストがペナンの日常を描いたことで
一躍注目を集めたストリートアートが所々に。

(2012年「ジョージタウンフェスティバル」からのアートの街並み)

海外のアーティストとの
コラボレーション
が街をつくっていました。

(instagram @OSIRISRAINさんの作品)

ふと足を止めたくなる立体的なアートたち。

(ジョージタウン(George Town)の街並み)

次は、
ペナンならではの現存する水上集落
=クランジェッティー
(7つの内)の1つ、
"姓周橋(Chew Jetty)”に向かいました。

元々は中国の福建省から、
ペナン島に移り住んだ一族
水上集落を形成しクランジェッティーと呼ばれています。

(海の上に建てられた高床式の住居、現在もローカルの人々が住んでいる)

クランジェッティーの中でも
最大規模といわれる"姓周橋(Chew Jetty)”

動画が掲載できないのが、残念ですが、
日本の昭和を物語るような
お土産屋さんやゲームセンターが並び、

聞き覚えのある"電子音"が奏でる
ノスタルジックなお店
が印象的で、
どこか懐かしくて恋しい。

(クランジェッティー姓周橋(Chew Jetty))

この感覚を感じてほしい。
ぜひ訪れてほしい場所。

そして、次は少し離れた
海岸沿いにgrabで移動。

スタバフリークには堪らない
海岸直結のStarbucksがあり、

エモい場所”であることは
間違いない期待を込めて。

楽しみにしていた海岸沿いに見える
美しい夕日に会いに行きました。

( スターバックス バトゥフェリンギ 69, Jalan Batu Ferringhi, 11100 Batu Ferringhi, Pulau Pinang)

子供から大人まで、たくさんの人が訪れて、
みんな撮影に夢中。

マレーシア本島のKLからは
遠かったビーチも、
ペナン島北部には美しいビーチが広がり、
憧れのリゾートステイが楽しめる。

こんなに綺麗な夕日が観れるとは・・

(海岸には子供から大人まで、たくさんの人たちが)

天気の良さのおかげで、雲のない空を通る夕日
沈むまで見届けることができました。

こんなにボーーっと夕日を見たのは
何年ぶりなのか・・リゾートならではの
ゆったりとした幸せな時間(笑)

すっかり夕日が沈み、
お腹が空いてきたところで、

ペナンの締めくくりにぴったりな
高級感のあるノスタルジックな噂のレストランへ。

(チョンファッツィ・マンション(Cheong Fatt Tze Mansion)
2000年にはユネスコ文化遺産建築保存賞を受賞)

青色の壁を持つ建物であることから、
“ブルー・マンション”という
愛称で呼ばれている、
”チョンファッツィ・マンション
(Cheong Fatt Tze Mansion)”
は、
マレーシアのペナン島の中心部に位置する
ジョージタウンに佇むプラナカン建築の館。

鮮やかなインディゴ・ブルーの外観が特徴的で、
“東洋のロックフェラー”と呼ばれた
中国系の富豪チョンファッツィの屋敷として
19世紀末に建てられた。

(インディゴ・ブルーの内観)

ブルー✖️レッド、差し込むゴールド
光のコントラストが堪らなく美しい
神秘的な空間。

そんな素敵な場所で
美味しい贅沢な時間を〜♡

(一皿一皿が玉手箱のような、想像できない味はペナンだからこそ。 )

フレンチなのか?
Nyanyo料理なのか?
一皿一皿が未知の味。間違いなく
日本では食べることができない
素材とスパイスのコラボレーション
新しい味覚として刺激的で楽しい!

夢のようでリアルな
幸せな時間はあっという間。

美しい場所で、新しい感覚に出会い、
どこか魅惑的な美味しい時間をいただきました。

(チョンファッツィ・マンション(Cheong Fatt Tze Mansion)入口)

というところで。

『外に出掛けよう!ノスタルジックな
”ペナン島”に行ったお話し。
サクッと知って、行ってみてほしい1』は、
ここまで。

続く2はペナンを一望できる
ペナン・ヒルPenang Hill
(Bukit Bendera)
をメインに
ご紹介したいと思います。

行ったことのない場所には
多くの刺激があって、
慣れるまでに時間がかかるけれど、

肩の力を抜いて、
その場を感覚的に感じること
で、
新しい価値観に出会うことができる。

そんな中で感じたことは、
"現状の当たり前が
決して当たり前ではないこと"

未知の世界には、
新しい場所での出会いと
未知の文化があり、

一人の人間として、
自分自身が何者でもなくて、
そして”何者でありたいか”
ということに気付くことができ

自分自身を振り返る
きっかけがある。

何を大切に、
何ができるのか”


あなた自身の当たり前は
当たり前ではなくて、

一方向の感情が湧き出る前に
自分自身を疑い、
相手の言葉の意図を読み解くこと
相手を理解できることもある。

そして、それができれば
器のひろい心”をGETし、
相手とのより『強固な絆』
なることもあって。

日本から海外・アジアに出て
気づくことの多い
1つ1つの経験

この経験は、わたしにとって
1つのきっかけとなっていて。

また落ち着いたら
私の創りたい世界
お話しさせていただきますね。

次の『2』も、お楽しみに〜

Nyanyo=プラナカン (マレー語: peranakan)
欧米列強による統治下にあった(現在のマレーシアを中心とする)東南アジアの各地域(ヌサンタラ)に、15世紀後半から数世紀にわたって移住してきたマレーシアに根付いた主に中華系移民の末裔を指す。
別の言葉として、中国人と他の民族との混血を指すババ・ニョニャ(インドネシア語: Peranakan, 普通話: 峇峇娘惹, 福建語: Bā-bā Niû-liá)がある。

プラナカン(Peranakan)=マレー語で「ここで生まれた」という意味で、英語では"Born here"と訳されます。19世紀末頃までに各国からマレーシアに移住してきた男性(中華系移民、インド系移民、ポルトガル人の子孫もいます)が、現地のマレー人女性と国際結婚し、生まれてきた混血の子孫を総称して「プラナカン」と呼ぶ。

(参照:wikipedia)

たまには右脳でも、感じとってくださいね。
明日も素敵な一日でありますように。

by Akki


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