見果てぬ夢がよい場合
「バレエを習ってるの」
そんなセリフを言ってみたかったけど、
わたしの田舎で、小学生時代の習い事といえば、パンチパーマの婆ちゃん先生が教える、近所の習字教室ぐらいしかなかった。
習字は好きだったが、
墨をゴリゴリすりながら、ピンクのバレエの世界に、思いを馳せては手も疎かに、「あびちゃん、こんな薄墨は香典やわ」と毎回怒られたが、バレエへの憧れは色濃いものだった。
結局、バレエに交わらず大人になった。
しかし、
わたしが越してきたイギリスは、世界で評されるロイヤルバレエ団があり、ロイヤルオペラハウス歌劇場があった。
そして、
かの「バレエ」教室がそこら中にあるのだ。
ついに。
ついにピンクの世界がそこに。
はやる気持を抑えて、娘の成長を4年待った。
娘が4歳になり、プリンセスやらピンクやら言いだした頃合いで、近所のバレエ教室に見学へ行くと、もくろ見通り、本人もたいそう気に入って、
トントン拍子でめでたく入会となった。
とうとう。
とうとう、憧れのバレエを我が娘が。
「バレエを習っているの(娘が)」
と言える日が来た。
感極まりながら、入会の説明をきいていると、先生が「4歳クラスは、テディベアと踊ります。お気に入りのぬいぐるみを持ってきてください」と言う。
テディベア。
愛らしい女の子、
ピンクのレオタード、
テディベア。
これこそ私が恋い焦がれた世界ですと、
これこそ私が長年夢見た世界ですと、先生を抱きしめたくなった。
そして、とうとうレッスンの初日。
ピンクのレオタードに、
ピンクのバレエシューズをはき、
髪をお団子にまとめた娘をみて、
感激で手が震えながらも、娘の手をひき玄関を出た。
さあ、行こう。夢の世界へ。
と、ここで、
娘の反対の手のぬいぐるみに気がつく。
「え? わたしはライちゃんと踊るけど?」
ライちゃんとは、娘が大事にしている、
特別天然記念物および希少野生動植物種
『雷鳥』のぬいぐるみのことである。
旅行のお土産だとかで、わざわざ義母がイギリスまで送ってきた、やたら足がゴツい大きな鳥のぬいぐるみである。
リアル過ぎて、剥製に近い。
30センチはあり、ずっしり重いのに、どこにくっつける用なのか、頭に吸盤がついている。
わたしはギロンとした目が、特に苦手だったが、なぜか娘がたいそう気に入っていたのは知っていた。
知っていたよ、
知っていたけども。
えー…
どうだろ、それ
えー…
違うんじゃないかなぁ?
とか言ってみたが、頑として聞かない。
人生最大の舌打ちをした。
レッスンでは、ピンクな女の子たちが、愛らしいクマのぬいぐるみを抱いているなかで、娘だけが雷鳥の太い足や吸盤を持ち、振り回して踊っていた。
「お座りテディちゃん。私のダンスを見ていてね」のコーナーでは、他のくまちゃん達は微笑みさえ浮かべて、ちゃんと座っているのに、
うちの雷鳥だけ、目をカッと見開いたまま横になって転がっていた。
道で車に轢かれ、こころざし半ばで息絶えた鳥にしかみえない。
なんか違う。
思っていたのと違う。
何かがスっと引いて行く。
夢の幕引きである。
事実は真実の敵なり、な夢の終わり。
わたしのバレエ熱は初日で終わった。
(一方、娘のバレエ熱はここから14年続く)
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