ここは地獄の3丁目
今、私は「地獄の3丁目」にいる。
なーんて、意味深に言ってみたけれど、
本当は『地獄の3丁目』と、夫が名付けたスターバックスでコーヒーを飲んでいるだけでありまして。
しかしながら、ここに座ってみると、
わが夫ながら、言い得て妙だと思うわけで。
なぜなら店内は、ほぼ男性のひとり客で、
本やPCを広げる人、スマホをみつめる人、
三者三様、年齢層も違うけれど、
共通項は『妻/彼女の買い物待ち』。
証拠に、紙袋をたくさん持った女性が、ひとり、またひとりと彼らを迎えにきては、一緒に帰っていく。
夫いわく、
地獄の1秒は人間界の1年。
そんな地獄のように、待ち時間の経過がアホほど長く感じる、男性陣の怨念あふれるこのスタバは『地獄の3丁目』ということらしい。
もちろん、買い物につきあう男性も多い。
私がイギリスに移住して、驚いたことは、
サングラスをかけてコーラを飲むイギリス人婆ちゃんと、
この『買い物につきあうイギリス人男性』だった。
なぜなら、私の子供のころ、
我が父はデパートの入口でまず本日の「目的と所要時間」を家族に問い、そのままソコで煙草を吸いながら時計をじっと見つめ待っていたような人だったからである。
母と息を切らし店内を走って買い物をしながら、私は「買い物を一緒に楽しんでくれる夫」と絶対に将来結婚するのだ、とギリギリと唇を噛んだものだった。
そんな私がこちらでみた、イギリス人年配ご夫婦の買い物はすごかった。
横目でチラチラ見ておりますと、
どうも一緒に服を選んでおられる奥様は、
『青い服』をお探しのよう。
ご主人に次々と服を差し見せるたびに、
「それは、君のための青!」
「君の魅力が映える青!」
と、ご主人はイエスorイエスで褒め称え、
「晴天の青」「地中海の青」「氷河の青」と、
軽やかに「青」語彙集を披露。
後半、最早これまで、ネタ切れかと思いきや、
「元気な青」と猪木かのようなワードを絞り出せた、熟練の褒めプロ夫の技をみたとき、3店舗ほどついて回った甲斐があったと心底満足した私だった。
まあ、これは極端にしても。
このような功績あってか、イギリス人は総じて体形や年齢に関係なく自分の着たい服を堂々と着る。
どんなに腹がでていても、ビキニを着る。
偽日焼けクリームを塗り、手足を不自然な黄土色にしつつ、ご年配マダムもミニをはく。
ご年配紳士もピンクの服も着る。
自分の道の中心には、必ず自分をおく。
この潔さは一体何なのさ
最近、思う。
この服を着たい・着たくない。
これをする・しない。
服に限らず、何かしらの選択を日々している訳だけど、私はちゃんと直感的な選択をしているだろうか、と。
直感やひらめきでの選択は軽視されがちで、
「軽く決めるな」などと言われるが、
直感こそ自分ではないか。
根拠などなし。
私が選んだんだから、これで良し、と
自分をイエスorイエスで肯定していけば、何かが変わる。
考えすぎなんだわ、日々。
そうか、そうか。
この調子なら、私は将来『鼻ピアス婆ちゃん』にもなれる。
紙袋を抱えてガンガン歩く人達をみて、
そんなことを考えた昼下がりのスタバであった。
ちなみに、
結婚前に、「買い物は大好きですよ、僕ぁ」
と調子よく言っていた夫は、この20年買い物につきあったことがない。
そして今日も買い物開始直後から
いそいそと『地獄の3丁目』に消えていった。
コレ、どうお思いか、閻魔様。
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