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【MMT】【現代貨幣理論】大きな政府は自由を奪っていたのか?〜新自由主義に対する疑問、彼らの世界は幻想郷でしかない!〜

やまとの会 八中津充祐 様の記事を読んで「おーこの視点は無かった」と感銘を受けました。以下はその記事のリンクになります。詳細は読んで頂けると分かります。※掲載許可は頂いております。

https://note.com/yamatomahoroba/n/ncf2d3a1582a6

詳細は記事を読んで頂けると幸いですが、超ザックリ内容を紹介すると、大きな政府は政府が多くの事柄に介入するので、皆が政府に隷属してしまい自由が無くなる!と一般的に言われるが、逆に小さな政府なら介入が減るから自由になるかと言うと、そんな事は無く、少ないとは言え何か支出はするので、その小さなパイを巡って余計に隷属してしまうという記事になってます。

その視点から考えた事があまり無かったので、「おー!なるほど!」となりました。上記の記事には賛成します。

で、私もこれを元にちょっと考えました…

大きな政府は果たして自由を奪うのか?

という事です。要は札束で頬を叩かれるから、つい尻尾を振ってしまい気付けば自由が無くなってるという事になりますが、結論から申し上げますと…

全然自由を奪ってない!

と考えます。例えばですが、新幹線に代表されるような大型公共事業をやった高度経済成期は自由の無い社会だったでしょうか?むしろ安保闘争のような大規模なデモ活動すら行えています。また北欧諸国のような一般的に大きな政府と呼ばれている国は自由は無いのでしょうか?自由の無い、抑圧された国だ!と思ってる方はほとんどいないと思います。

旧ソ連や北朝鮮のような社会主義国はどうなんだ?あれはどう見ても自由が無いぞ!と考えると思います。しかしです。そういった国々は…

そもそもが独裁国家で言論の自由が無いです!

また旧ソ連や北朝鮮は本当に…

大きな国家と言えるのでしょうか?

実際は供給能力不足で社会主義を標榜しながら実際は小さな政府で言論の自由が無い。近代国家というよりかは…

中世の領主の支配

に近いと考えます。なので、大きな政府として同じ土俵に立たせて議論する事が間違ってると考えます。

では、なぜ大きな政府であっても自由を縛られないか?いくつかの例えを元に考えたいと思います。例えば会社の経営者が「毎月給料を払ってるのに従業員が言う事を聞かないし、働かない」なんて愚痴を言う事があると思います。新自由主義の観点から言えば、毎月お金を支出しているのならば、こんな愚痴は出てこないはずです。なのに、実際はこういう言葉が出てくる。しかも従業員からは「偉そうにして、俺らがいなきゃ成り立たないのに!」という不満すら出てくる事もあります。

さらに言えば、お金を出す側が下手に出る場合すらあります。例えばバブル期のサラリーマンは夜、タクシーを捕まえるために札束を振って止めようとしました。明らかに出す側が下の状態です。

こういう事例はいくらでもあると思います。謝罪や賠償が理由で無ければ下手に出る必要は無い!金を出す方が上!となってもおかしく無いはずです。ではなぜか?まず一つ目の経営者と従業員の関係は…

受け取る側が慣れることで、もらう事が当然の権利だと認識が醸成されるから!

と言えると思います。新入社員で初めての賃金をもらえば、その時は有り難みを感じたりしますが、仕事も覚え色々やるようになっていけば、その対価としてもらうのは当然と考えるようになります。こちらも業務を提供しているからです。

あまり良くない例ですが、昨今話題になったデート代は男性が出すべきか論争があります。奢られる側の女性が出すべきと言って論争を巻き起こしました。これも慣れによって自分には奢られるだけの魅力、能力があると感じたためだと思います。

タクシーの場合はそういう現象が続く事で慣れもあると思いますが、もう一つ大きな事象が隠れています。それは…

需要牽引型インフレにより、モノやサービスに対して通貨の価値が下がっている!

事も挙げられます。要は通貨を持っている人よりモノやサービスの提供者の方が価値が高い状態になります。

これは大きな政府にも言えます。公共事業の発注や社会保障の給付なども全く無い状態から行えば最初は有難いと思うかもしれませんが、続けばむしろ、公共事業ならば「社会を作ってるのは自分達だ!」という自負が生まれたりします。社会保障の給付だって「法律で決まってるし、生存権があるから当然の権利」となっていきます。さらに大きな政府によって、市中の通貨が潤沢になれば民間同士のビジネスも活発になります。政府がやって欲しい事も場合によっては、なかなかやってもらえないかもしれません。そうなれば政府もタクシーを札束で止めたサラリーマンのようにしていく他ありません。このように…

大きな政府で国民の自由を縛る事は無く、逆に国民は自由を謳歌し、政府の方がやりたい事がスムーズにやれず、不自由となっていきます。

それでも札束で相手を言う事を聞かせる事があるじゃないか!と言われると思います。確かにそれはありますが、それを成り立たせるにはいくつかの諸条件が必要です。

①相手が貧困状態もしかは相対的に貧困である
まずはお金に困ってないといけません。
②低頻度ながら支出する
要は生かさず殺さずです。
③依存させる
他に選択肢がないと思わせる。

こうすれば、相手は言う事を聞かざるを得ません。どんどん出す方に束縛されます。ちなみにもう一つのパターンとしては金額をドンドン上げていくパターンがあります。ただ、このパターンで束縛するには、上げていく度に何かしらの束縛される条件が、付与されるという事が必要になります。

どうでしょうか?ただ単にお金を出し続けるだけでは相手の自由は奪えない事が分かります。特に③は重要です。逃げ場を無くせば札束が無くとも束縛させる事すら可能です。逆にそうで無ければ他へ逃げてしまいます。

そして、上記の条件は政府にも同じ事が言えます。ここまで示した通り、どう見ても…

小さな政府の方が人を束縛出来る!

というのが分かると思います。むしろ、大きな政府では…

人はより自由になれる!

可能性があると言えます。

結局は池の水と同じです。新しい水を入れなければ水はドンドン腐っていきます。魚も動きが鈍くなる。そこへ新鮮な水がチョロチョロと入って来たらそこへ魚は集中します。もしこれが常時新鮮な水が供給されている状態なら、水は腐らず魚は動き回る事が出来ます。

ここまで書いて思ったことですが、新自由主義者や小さな政府論者の考える世界というのは…

幻想郷でしか無い!

と感じました。

いかがだったでしょうか?最後まで読んで頂きありがとうございます😊

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