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[小松美羽展 岡本太郎に挑む-霊性とマンダラ](川崎市岡本太郎美術館) -初志再び

小松美羽展 岡本太郎に挑む―霊性とマンダラ」(6月25日~8月28日)。初日に鑑賞してきた。

天窓から自然光が差し込むファサードの中央に岡本作品、取り囲むように小松作品。巨匠へのリスペクトにあふれた、素直に「いいなあ」と思える展示からスタート

■2019、ライブペインティングの思い出

 小松美羽氏のライブペインティングを観たのは3年前だ。場所は、一宮市三岸節子記念美術館(愛知県一宮市)。早朝、すでに長蛇の列ができており、目の前で予定人数に達して入場不可・・・と思いきや「せっかくですからあと10人!」という計らいで、先着順配布のチケットを入手できた。

 地域の神社で神様への挨拶も済ませ、白装束に身を包んで登場した小松氏。まず静寂の瞬間があり、その後、荘厳なBGM(タイムキーパーの役割もしているのだろうか)が鳴り響くなか、作品を描いていく。ときにキャンバスに絵の具を投げ、素手で描き・・・。全身全霊という言葉がぴったりの制作風景と、見入る観客。それは、静かなエネルギーが満ち、力強いパワーにあふれた空間だった。

ライブペインティングの様子(2019年)
制作直後、気さくに作品について語る小松氏。途切れることがないサインの列にも、会話を含めてていねいに対応されていた姿が印象に残っている(2019年)
自伝「世界のなかで自分の役割を見つけること」へのサイン。誕生日で、と伝えると、特別ヴァージョンのキャンドル付きのサインを描いてくださった。スタッフがスマホを預かってツーショット記念撮影をしてくださるなど、ホスピタリティにもあふれていた(2019年)

 私的には、その時期、人生で幾度目かの大転機を迎えていた。当日は誕生日でもあり(だから、「運試し」のつもりで行ってみたというのもある)、会場に滑り込めたこと、小松氏から大きなものを得たことで、「この道を進んでいい」というGoサインだと受け止めた(そして今に至っている)。

 ただその後、パンデミックとともに、わたし自身も大きく内省モードに振れることになる。2020年秋に無病息災を願って銀座で開催された「アマビエ様」の展示にも、(たまたま人のいない時間で、一人でじっくりと鑑賞できたのにもかかわらず)、どうも隔たりを感じてしまっていた。受け止める余裕がなかったのだと思う。

 内省モードから脱してコミュニケーションにも余裕が生まれ、なんとなく「らせん階段を1周して、少し高い位置から3年前(の決断のとき)を観ている」のを感じつつもある今、小松美羽展が「やってきた」ことは、「次の一周」のはじまりになるのでは・・・そんな予感もあった。

川崎市岡本太郎美術館。「年パス」を持っているのだが、年パスがあれば今回の企画展も追加料金なしで入れる(日時予約は必要)

■岡本太郎→小松美羽の作品世界へ

 わたしにとって岡本太郎作品は、「なんだか怒られている(叱咤激励されている)感じのする」ものだ。内省モードからの出口探しとして、昨年8月に年パスを作ってずいぶん通った。(また、岡本太郎の没後の作品管理、再評価には、氏のパートナーでのちに養女になる敏子氏の尽力があったことを知り、そこに好感をもっていたりもする)。

 今回の展示は、まず常設展で岡本太郎の原色と原始の爆発を堪能し、そのあと、小松美羽の世界に入ることになる。

よくわからないけれど、とてつもない力、(太古のエネルギーのようなもの?)を感じて、なぜかまた観たくなる、それが岡本太郎作品の魅力だとわたしは感じている
ゴールドのカーテンの向こうは、小松美羽展の入口

■「見えないもの」を描き、その姿を伝える

 幼少の頃から、人には見えないものが見えてしまう、という点においては、小松美羽は(同じ長野県出身の)草間彌生と共通点があるかもしれない。

 ただ、草間氏が水玉や消滅に恐れを抱き、それが芸術活動のモチベーションとなったのに対し、小松氏は、「見えないもの」を敬いつつも慣れ親しんで過ごした。自伝のなかでは、幼少の頃、どこからか現れるふしぎな犬たちを「山犬さま」と呼び、彼らに護られるようにして育ったというエピソードがある。あるとき、雪に、その犬たちの足跡がついていないことに気が付く。そして生理がはじまると、山犬さまは二度と現れなかった(「世界のなかで自分の役割を見つけること」p57)。

 展示は、「1章 線描との出会い」まるでルドンのようなモノクロの目玉、が印象的な作品群から。「2章 極彩色の祈り 自己否定と、大いなる目との邂逅」「3章 第三の目とホールアース」「4章 霊性とマンダラ」「5章 未来形の神話たち」の順で展示され、小松氏の仕事の変遷をたどれる構成だ。

銅版画「ちょんこづいていた頃」 自伝によると、本作品で女子美術大学優秀作品賞。長野の方言、ちょんこづく(調子に乗る)は、そういえばわたしも子どもの頃、年配者からよく聞いた(主に否定形で使われる)

 自伝には「私は、自分の内側から神獣たちのイメージを作り出しているわけではない。第三の目と魂で感じる神獣を、ありのままに表現している」(p135)とある。

「天地の守護獣~天地」 小松氏の「狛犬」は2015年、大英博物館に永久展示されている。

 同じく自伝には、伊勢神宮の正式参拝とかがり火を観たあとで、かがり火の中に見たものを言葉では表現しきれなくて絵で描いた、というエピソードが。そのときの貴重なスケッチも展示されていた。

展示れているスケッチ。「私が篝火の向こうの闇に見たものは、大きく輝く一対の目だった」(p140)

■見どころ① 出雲大社奉納画《新・風土記》を特別公開

 展覧会ウェブサイトによる本展の見どころのひとつとして、2014年に出雲大社へ奉納した「新・風土記」の特別公開がある。「通常、奉納作品は 一般公開されることはありませんが、作家たっての希望により、今回特別に借用・公開が実現」した。

「新・風土記」(出雲大社 蔵)

■見どころ② 真言宗総本山「東寺」への奉納画を奉納前に特別公開

 表装後2023年に東寺に奉納される、真言宗立教開宗1200年を記念した奉納画「ネクストマンダラ―大調和」が展示。

奉納画「ネクストマンダラ―大調和」 掛軸として表装され来年奉納される。約4m×4mの大作は、会場に置かれたソファにかけてゆっくり鑑賞できる




■すいている時間に、また訪れたい

 結びに、作品と会場のスナップを、順不同で載せておきたい。

「岡本太郎×小松美羽」は、その順番で作品をたっぷりと鑑賞してみると、企画者の意図するところを、自分なりに受け止めることができた。まったく違うものの二本立てでなく、うっすらとつながっているし、受け継がれているもの、なにかプリミティブな、普遍的なもの、を感じることができた。

 そして個人的には、岡本太郎作品の「叱咤激励」モードと、小松美羽作品の、凛とした神聖な世界に浸って、たしかにこれは、新しいスタートを後押ししてくれるものだと納得した。

 川崎市岡本太郎美術館は生田緑地内に位置する。新宿からのアクセスは小田急線で「向ヶ丘遊園」下車、そのあと20分弱、歩くことになる。じつはこの不便さも気に入っていて、小さな旅の気分で通っていた。

 都内美術館のような混みようではなかったものの、初日はやはり少々人が多かった。閉館直前の閑散とした美術館の心地よさには、味を占めてしまっているところがある。開催期間中、時間を外しながら、ぜひともこの豪華なコラボを愉しみ尽くしたいと思う。




 


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