活字文化と,郷愁と -「市谷の杜 本と活字館」(大日本印刷市谷工場跡地)
友人たちに誘われ「市谷の杜 本と活字館」(大日本印刷市谷工場跡地)へ。
活版印刷の工程を再現・展示
2階建てで、1階はこのように、活版印刷のプロセスが、かつて使用されていた機械とともに展示され、
2階では企画展と、ワークショップが体験できる。
活字愛に満ちた空間
隅々まで活字愛に満ちている空間に癒される。
活版印刷のプロセス
約30分の館内ツアー(要予約)で見学をしたのだけど、
大日本印刷の場合、写植が中心になったあとも、2003年まで活字印刷を請け負っていたそうだ。
活字を拾って一枚の版を作って印刷となる。文字の大きさの修正ひとつでも活字を拾いなおさなければならないし、活字が足りなくなる場合もある。そのため、活字製造機も必須だ。
吊り下げられている棒状の鉛合金。
「万年自動製造機」というネーミングが、時代を感じてとてもよい。
赤字修正の入った初校。
こちらは入稿原稿。夏目漱石先生の直筆原稿(レプリカ)だ。
こみあげる懐かしさ
見学していて、懐かしさがこみあげてきた。
かつては出版社で編集者をしていた。
すでに写植印刷の時代だったけれど、新卒で配属された編集部の媒体は、活版だった。編集者の無自覚な修正によって、印刷の現場がいかに迷惑するかということを、編集長が何度も語っていたーープロたるもの、再校で大幅修正を入れるべからず。
活字を拾うゲームなどもあって、やってみると結果は散々たるもので、
新人の頃にやらかした、多くの失敗を反省しつつ。
この場所だったんだ
編集の作業は、今に比べるとおそろしく手がかかり、会社に住んでいるような毎日を過ごしていた。
たいていは、明け方に大日本印刷市谷工場までタクシーを飛ばした。こんな巨大なサイズが存在するのか?というくらいの巨大な茶封筒(しかも中身は紙でいっぱいで、重量はかなりある)を、いくつも抱えて。
きれいに復元された、おしゃれレトロな建物と、自分の知っている「DNP市谷工場」の姿がなかなか重ならなかったのだけど、
note記事を書こうと思い、ウェブサイトを見ていて気付いた。
ページ内に掲載されている「再開発工事直前の時計台。3階部分が増築されていることがよくわかる/2015(平成27)年」の写真……ここなら、知っている。
この守衛室(写真左下、水色の屋根の下)に、明け方駆け込んでいた。桜の時期には、お堀の桜をタクシーの車窓から見物した。「春かあ……」という感じで。
そうか、ここだったんだ。
名前の残らない職人へのリスペクト
個人的な懐かしさ、ばかりではなくて。
2階の展示では、活字の「元」となる「種字(たねじ)」を作る職人たちの足跡が展示されていた。
見聞きした固有名詞も登場するが、人物名は初めて見る方々ばかりだ。
なかには、写真がなかったり、詳しい経歴が不明の方々もいる。
媒体を作る側であれば、通常、奥付に氏名がクレジットされる。しかし、活字を作った人にまで想像は及ばない。
名前の残っている「名人」にも、残っていない方にも敬意を。そう、この場所は、職人たちへのリスペクトに満ちている。
合理化ってなんだっけ
社史のアーカイブと資産・資料の保存、新人教育、活字文化の保存、SDGs的な視点から--。都内のこれだけ広い敷地に、こうした施設を作るのには、こうして軽く思いつくようなものを含めて、非常に多くの理由と覚悟があると思う。
出版印刷業の衰退、は、わたしが新人の頃から叫ばれていた。単なる媒体ということを考えれば、電子化一択だろう。
昨年、お試しでkindle本を作ってみて、「これは、出版印刷業は衰退するよね……」と痛感した(※その後、どうも気乗りしなくなって、制作はストップ)。
数字だけたたいていると、「はい、ここ合理化ね」と、いともたやすくカットすることができてしまう。小さなことから、きっと大きなことまで。
ただ、何にでもそれを適用すると(例:いわゆる「断捨離」のしすぎ)、結果、病むよね、ということは、多くの人が昨今、気づいているのではないかという気がしている。
多くの人が今そのバランスを取ろうとしていて、例えば冬の雨降りの休日にもかかわらず、この場所で時間を過ごす人たちも、そうなのかもしれないなと感じたりした。
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