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My Story 3.中学校時代(1) ~バスケ部で流した汗と涙~

こんにちは!
阿部拓哉です。

半生を振り返るシリーズ第3弾は、中学生のときです。
ここから話の内容が詳しくなるため、トピックごとに記事を分けて書きます!


20年間で最弱のチーム!?

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中学生になり、部活はバスケットボール部に入りました。

小学校でもクラブ活動でミニバスを(ちょっと)やっていたのと、親友から『一緒にバスケやろうぜ!』と言われたので、特に迷いはなかったです。

ところが、私の代は部員が10名しか集まらず。
都大会まで進んだ2個上の先輩方とは人数も実力も比べ物にならず、顧問の先生から、
『20年近くバスケットの顧問をしてきたが、お前たちが1番弱い』
と言われてしまいました。

新人戦では市内12校中11位、文字通り前途多難なスタートでした。

ファイトを覚えた108周

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2年生の夏休みには練習試合が連日組まれましたが、いずれも惨敗。
あまりの不甲斐なさに、得失点差のぶんだけ、体育館の周りを走ってこいと顧問の先生から言われました。

得失点差の合計は-108。
つまり、疲れ切った身体で108周を走ることに…

友達は、さすがに108周までは走ってなかったと思います(手を抜いていたわけじゃないけど)。
ところが、私はどういうわけか先生の言葉を馬鹿正直に受け取り、本当に108周を走ったあと倒れ込んでしまいました。

(先生も、まさか本当に走るとは思ってなかったのでしょう。
そのあと、先生はコンビニでおにぎりを買ってきてくれました。)

ただ、その日を境に『阿部はファイトを覚えた』と先生から言われるようになり、私はルーズボールやディフェンスで力を発揮するようになりました。

他の友達もめちゃめちゃ上達していって、3年生の春の大会でようやく公式戦初勝利をあげました。

負けたから泣いたんじゃなくて…

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負けたら引退、3年生の夏の大会。

それまで1勝しかあげられなかった私たちは、薄氷を踏むような勝利を重ね、まさかの3勝。
勝てば都大会に進出する準々決勝まで進みました。

相手はこれまで何度も練習試合で私たちを苦しめてきた強豪校。
善戦したものの、やはり負けてしまいました。

試合後、応援に来てくれた保護者の前で、友達も、私もずっと泣いていました。

負けたことに対する悔しさが無かったわけではありません。
ただ、相手校の強さを考えれば、負けても仕方ないとは思っていました。

溢れてきた涙の理由は、負けたからじゃない。
3年間ずっと一緒に練習してきた大切な友達と、もうこのチームで一緒にバスケをすることができないんだ、と感じてさみしくなったからでした。

部活、遊びなど、多くの時間をバスケ部の友達と過ごしたことは、中学校時代の1番の思い出です。

おわりに

中学校のバスケ部で得た経験は、
・チームスポーツ(友達と一緒に何かをすること)の楽しさ
・ファイト、ガッツ(がむしゃらに努力すること)

でした。

あと、短距離よりも長距離のほうが向いてるなと感じたのも、バスケ部のときだったかもしれません。
運動的にも、ものごとに取り組む姿勢的にも。

今回は以上です!

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