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罵声も暴力も望んでしたことじゃない

夫のご機嫌取りの日々で、息子を公園に遊びに行かせることもできず、息子は家で遊んでいた。

近くの公園に、同い年の子が遊んでいて、夫の病気前には毎日のように遊びに行っていたのに、それも、夫の側を離れることが出来ないために、公園には行かなくなった。

公園に行って帰ってきた後に怒鳴られるのが怖かった。死んでいるのも怖かった。

夫は私がそばを離れると、また怒鳴るので、なるべく側を離れず、家事、育児が終わると、夫の隣でずっとくっついて座っていた。

そんなある日、息子のお気に入りの玩具で遊んでいた。

それは、時代劇をみて気に入った、布でできた刀。

おばあちゃん子だった私に似て、息子は実家にいるときは時代劇を見ていた。
お気に入りは、暴れん坊将軍。本当にそんなとこまで私にそっくりだ。

刀に見立てたおもちゃを振り回して、「しぇいばいっ!」(成敗)と言って脇に挟む息子の遊び。

その姿が可愛くて、病気になる前の夫が息子のために買ってきてくれたもの。

その刀に、違う玩具を巻き付けて振り回して遊んでいた。

「危ないから、やめなさい。怪我するよ」

声をかけたけど、楽しそうに遊んでいる姿と、疲労困憊な私は、まぁいいか。と思い、そのまま遊ばせていた。

その時玩具が、夫の足に当たった。

「いった!!」
「大丈夫?」

夫は息子から玩具を奪い取り、
そのおもちゃで息子を力いっぱい殴った

「うあああああ!!!」
「痛いからやめろって言っただろうが!!!」

あぁ、また始まった。
私はそう思うしかなかった。

これで、また息子が、ごめんなさいを沢山言わされて、夫が納得しなくて、私が子どもを慰めて、夫のご機嫌取りをして、子どもに謝らせて…この一連の動作をまたするんだ。

「本当に痛い!!」
「よしよし、痛かった痛かった。かわいそうにね」

吐き出せないため息を飲み込んで、夫の赤くなった足をなでた。
子どものように怒り、怒鳴る夫は子どものようにあやすしかなかった。

少しすると夫が落ち着いてきてた。
怒りすぎてから、いつも後悔をする。
後悔するまでは、子どもを優先することはできず、子どもはずっと泣いたまま。
今もこたつに頭を突っ込んで泣き続けている息子を、私は抱き寄せるこもできない。

子どもを優先すれば、それ以上に状態が悪化し、夫は家を飛び出していってしまう。

私は夫が飛び出していってしまうこと、もしかして、離婚になってしまうことがとても怖かった。

夫がコタツの中で泣いている息子を指さした。

泣き止ませていいよ

その合図だった。

私は、コタツの中に手を入れて泣き続ける息子を引っ張り出した。

「ほら、息子。パパにごめんなさいしなさい。」

コタツからでてきた息子の額からは血が流れていた。

「…!!!血がッ!!!」

慌てて傷を抑えて、息子を抱きしめた。

一気に血の気が引いた。

どうしよう!どうしよう!どうしよう!!

私は慌てながら確認できることを確認していった。
泣き声を上げてる。意識はある。
声をかけたら、反応もする。

「とりあえず、病院!!」

夫も顔を真っ青にしていた。
やってはいけないことをしてしまった。
そんな顔だった。

調べた病院に急いで向かった。外科は家の近くにはなかったので車でだいぶ走った。
移動時間と、待ち時間の間に、息子の血は止まり、機嫌も良くなって、元気に遊びだすほど回復していった。

私はほっと胸をなでおろした。

夫はずっと息子を抱っこしながら

「ごめんね…ごめんね…」

とずっと言っていた。

そんな二人を見ながら、私は全く違うことで心配していた。

(息子の傷が殴ってできた傷だと医者にバレたら、夫は捕まってしまう…。息子は児童相談所に連れて行かれ、夫の病気はもっと悪化する…)

どうしたらいい?これ以上病気が悪化するなんで耐えられない…どうしたらいい…

不安でいっぱいの待合室から、名前を呼ばれて、診察室に入った。

「今日はどうしましたか?」
「あの!遊んでいたら、転んで、頭をおもちゃにぶつけてしまって…」
「そうですか。見てみましょうね」

私の言葉に、一番驚いていたのは夫だった。

無事診察も終わり、息子の傷はほぼ塞がっているということで、消毒して終わった。

「……よかったの…?嘘ついて…」
「…後悔してるんでしょ?もうしないでしょ?」
「……もう、しない!」
「なら、大丈夫だよ」

息子を抱きしめる夫に、ほっとした。
もう2度とこんなことが起きないように。
気をつけよう。

私は、また吐き出せないため息を飲み込んだ。



あとがき
どうもaatikaです。
この時期が一番ひどい時期でしたね。
夫の病気が?いいえ、私の異常なまでの夫への依存です。

自分で書いて読んでて「気持ち悪い!」と思うほどにはおかしかったですね😅
もともと高校時代から、夫に依存して生きてきて、そのつけが息子にいってしまった。

この時期の3年間。私は子どもを守ることが出来なかったことを今でも悔やみ、考えるだけでパニック発作が出てきそうになります😓

この記事を書いている時に、あまりに苦しくなって息子に、
「ママとパパの子になったせいで辛いこと、いっぱい合ったよね…」
「何突然、ないよ辛いことなんて」
「でも、昔は苦しいことばっかだったじゃん…?」
「本当?楽しいことしか覚えてないけど??」
「息子ぉおおおおおおおお!!!」

ってなりました。
本当に私は幸せものです。
息子は覚えて居なくても、私はあのときの息子の顔を忘れません。
それが、今やっと母として子どもたちを守れる私にできる贖罪です。

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