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みそしる

味噌が切れたので、妻に
「スーパーで買ってきて」と
LINEしたところ、
「うちにあるよ」と
返ってきた。

私はすっかり忘れていた。


パントリーを探してみる。
すると、今年の2月に、
地域のイベントで
息子が仕込んだ味噌が、

その奥に、ちょこんと、
色を変えて、座っていた。

仕込んだときは
大豆と麹、そして塩が混じった
綺麗な乳白色だったものは、
およそ8ヶ月を過ぎて、
まるで赤土のように、
その姿を変えていた。


「うまく、できるかなぁ」
「みんな、食べてくれるかなぁ」


ちょっと不安の色が混じった、
まだ七歳の曇りなき眼と、
その表情を思い出す。

「だいじょぶだよ、
 ぜったいおいしくなる。
 だって、
 きもちがこもってるからね」

「おみそになったら、
 みんなでたべようね」

そう声をかけて、
「うん!」と元気よく言い、
パッとした表情になった息子の顔が
思い浮かんでくる。

私は口角を上げて、
ちょこんと鎮座していた
その味噌を取り上げた。



答えはないとわかっていても、
人は言葉にならない感情や、
決してわかることのない事柄に、
言葉をつけたがる。
答えを求めたがる。

人生に意味はあるのか。
未来はどうなるのか。
生きるとはなんなのか。
性とは、愛とはなんなのか。

それぞれに、
それぞれの意味づけをしながら、
または言葉で定義づけながら、
それとも自分がわかっていないうちに、
その感情に突き動かされながら、
または無視しながら、
日々を過ごしている。

どんな過ごし方をしても、
それでいいんじゃないかと、
私は思う。
それが、価値観とか、人生観とか、死生観と
呼ばれるものだろう。

知らず知らずのうちに
自問自答を繰り返しながら、
ひとはかたち作られていく。
それぞれの環境や、経験をもとに。

それでも、
ほとんどのことは、
私には、わからない。
なにが答えかも、
私には、わからない。



鍋に水を張って、火をかける。
顆粒の和風だしをそこに入れる。
乾燥わかめと、
大きめにちぎった豆腐を入れる。
だいたい、具はこれくらい。

いったん沸騰したら火を止める。
息子が作って、育てた味噌を
おたまですくって、その中で溶かす。

その味噌が、鍋にゆっくりと、
広がっていく。

その味噌の、香りもゆっくりと、
広がっていく。

また鍋に火をかける。
沸騰しないように、
そのみそしるを私は見つめ、
ふつふつと、泡が出てきたところで
火を止めた。



家族で食卓を囲む。
息子に、息子が作って育てた味噌で、
みそしるをつくったことを話す。

「ありがとう」
そう言って、息子が笑顔になる。
「ありがとう」
そう言って、私も笑顔になる。

妻も、娘も、そう言って、
笑顔になる。

「おいしいね」
「おいしいね」
「だって、
 きもちがこもってるからね」

あったかいみそしるは、
みんなのからだに、
やさしく、ひろがっていった。




ほとんどのことは、
私には、わからない。
なにが答えかも、
私には、わからない。

だけど、ひとつ。
いえるとしたら。

作って、育てていく、
味噌のようなものが
ひとと、ひとのあいだには
あるんじゃないかな、ということ。

それをみそしるみたいにして、
あったかく、
ひとと、ひとのあいだで
分け合うことが、
あるんじゃないかな、ということ。



それをなんというのかは、
まだ、わからないけれど。


寒くなる夜が、増えてきた。
今日も私は台所に立って、
息子のつくった
おいしいみそで、
みそしるをつくる。

家族って、味噌みたいだな。
なんて思いながら。
まだ作りたての、わたしたち。
ゆっくり、育っていこう。

そして、おたがいに、
あったかいものを、
わけあおう。

玄関のドアが開いて、

「ただいま!」
「たじゃいま!」
「ただいま」
という、
元気なこえがふたつ、
穏やかなこえがひとつ、きこえる。

「おかえり!」
「おかえり!」
「おかえり」
と、私も元気に、
また穏やかに返す。


そして、笑顔でこう言う。

「きょうもあったかい、
 みそしるができたよ」



ここまでお読みくださり、
ありがとうございます。

今後も、
あなたのちょっとした読み物に
私のnoteが加われば、
とても嬉しいです。

あったかくして、
お過ごしくださいね。

アイ

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