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弱さと強さのリバーシブル

私は中学2年生からやりたいことがあった。
今は「やりたいことがわからない」という若者の話を聞くことが多いからか、昔から変わらずやりたいことがあるというのは珍しいタイプの学生だったと大人になってから思う。

それもあり、私は就職活動をほとんどしなかった。大学卒業後は、ベトナムに行って仕事をするんだと張り切っていて、卒業後はすぐに渡越した。やりたいことがあったので、迷うこともほとんどなかったが、就職活動の大変さは周りから幾度なく聞かされていたので、就活をしたところでやり切れる自信もなかったというのが正直なところだ。

幸いにも私がいた外語大には、そういう「ま、海外好きだし向こう行ってテキトーに仕事さがそっかな」くらいの軽い気持ちで海外へ行く学生は少なくなかった。就活せずに卒業して、ふらっとどっか行っちゃう学生は毎年必ず一定数いて、そういう環境だったからこそ私も悩まずに日本を出れた。

サボらずきちんと勉強して単位をとり、就活して、有名企業に内定をもらう友人たちを、当時の私はとても尊敬していた。私には無理だと悟っていたから。

就活は、エントリーシートと履歴書を何百社にも送って面接を何十回も受け、業界研究や分析などあらゆる対策を講じて内定を獲得する。これは戦である。内定までに数々の「お祈りメール」を受けながらも、泣きたい気持ち、止めたい気持ちを抑え、戦い抜き、期限までに勝利を勝ち取る戦い。

そんな周りのみんなのことを、私は「強い」と思っていたし、私には無理だと思ってしまう自分自身を「弱い」と思っていた。もちろん、やりたいことをやりに行くのだから、弱いなんてこともないのかもしれないが、心のどこかで「就活をしないこと」「海外へ行くこと」は、逃げであると引け目を感じていたのは間違いない。

大学を卒業して、就職する。そんな日本中の学生にとっては「当たり前の進路」ですら全うできない自分には、周りのみんなは強くてカッコよかった。輝いていた。そんな20代前半だった。

30歳くらいになったあたりから、「就活自殺」がニュースになるようになった。

就活は辛い。でも、就活に失敗して生きることを止めてしまうくらいなら、「逃げたらいいのに。海外に出て行った私のように」と思っていた。

もちろん、特に優秀な学生は、家族や周りからの期待値が相当に高く、就活をやり遂げることに命を懸けていることは理解している。彼らの背中を押してくれている期待は、どんな時も背中しか押さない。前進しか許されない。

「私みたいな弱いだけのへっぽこが、就活もせず海外に逃げて、でも、なんだかんだ楽しく生きてるのに、真面目に強く生きて就活を闘ってる子たちが生きれないなんて世の中なんか間違ってる」


そう言った私に返ってきた言葉は。

「あなたは強いんだよ。普通の子にとったら海外は逃げじゃない、できないんだよ」

ああ、もう分からないと思った。

私にとっての弱さは、誰かにとっては強さであるということ。そして、その逆もまた然り。


結局いつだって、人間は周りが羨ましく見えるものだ。そんな、昔から頭では理解していることに、知らず知らずのうちに思考は囚われている。それに気づいて、反省する。そんなことの繰り返しだ。
「あの人は強い」「あの人は恵まれてる」、そう思っている時、その相手も誰かをきっとそうふうに思っているものだ。

就活をせずに海外に行くことを弱さ故と思っていた私と、
就活をせずに海外にいくことを強さ故と思った相手。

きっとみんなが自分自身に感じている弱さは、誰かにとっての強さであり、憧れなんだと思う。たとえ、見えなかったとしても。


弱くても、まいっか。そう思えた今、私はようやく、10年間の引け目から解放された。


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