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牡蠣たちは海からあがってくるとき、怪物のようだった/Rikuzentakata

晴れた日の綺麗な海と朝日を見て、写真に収めたかった。
そんな期待もかなわず、どよーんとしたくもり空で太陽はもやもやと世界を静かに明るくする日だった。

カメラを手にする機会が前より増えてから、わりとどんな天気も好きになることができてきた気がする。それぞれの天気に個性があって、楽しいからね。さすがにポートレートとか撮るとき重い曇り空で陽キャラな人を撮るのは萎えるけどね。

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今年の6月に一度訪れた陸前高田市小友町の牡蠣養殖場・マルテン水産に再訪した。単純に、その町に移住して牡蠣を育て続ける”ひさこさん”
(牡蠣のあれこれなどが綴られる素敵なnoteはこちらですよ〜)に興味をもっていたし、海に出るのが好きだし、おとなり広田町では牡蠣やってる人ほぼ皆無だったから、また行こうと思った。

その日は、牡蠣をお湯につけたり、牡蠣を出荷するために海から獲ってきたりする日だったようだ。(超簡潔な説明だけどほんとはとても奥が深い。)

一番印象的な写真になったのは、これ。

ベチャガタドボン!!!

みたいな音をたてて海のいろーーーーんなものがくっついた
”牡蠣のようなもの”を順番にかごに入れていく途中のことなんだけど、
茶色い海水が船内に流れて、ベチャガタドボン!を繰り返す。
私的にはかなり好きで、”リアル”を目の当たりにした心地がした。

「うわあああ!怪物だ!」と思った。

(牡蠣に対しては最大の敬愛があっての例え)
「ジブリみたい」と大きくて普遍的なものに例えるとブロンズの人を見て「アメリカ人?」って言うぐらいアホっぽく薄っぺらくなるのが悔しいんだけど、ジブリ映画がよぎってしまった。



これを言い出すと「はて?」みたいなことを思う人もいるんだけど、
「ほんもののきたなさ」が大好き。(汚 という漢字は合わないと思った)

例で言うと、普段食べている動物も生き物も野菜も、少なからず”よごれた”一面を秘めていて、牛肉だって豚肉だって色んなプロセスを踏んで私達が食べれるようになってる。
”生きる”ってそういう”よごれ”がないと成立しないことを、今の日常生活で感じられることがあまりに少なすぎるから、
生き物たちのそのプロセスに自分なりに向き合うことは大切にしたい。

牡蠣は、パカっと開かれて身が出てる状態とかが、食べるときに見る姿。
でも、海からあがってきたときは、あの姿なの。

海、好きだなあ、と思った。
まだまだ知らない世界があって楽しい。
(泳ぐの苦手)

これは、牡蠣が海から揚げられる瞬間。

この機械で、ひもから離脱させる。

そして、ガチャン。

こんなにも穏やかで爽やかな小友の海から、
あの怪物がでてくるのは、予想外。

(この4本足のタコみたいな金具は、いかだと船を固定する役割らしい)

今回は、牡蠣の意外な一面とお気に入りの写真紹介でした。
この日の写真はまだまだあるので次の記事で。

そして、生業であり仕事場にお邪魔させてもらえることに感謝。ありがとうございます。
生き物と私たちの母なる海に感謝!(スケール、、、)

さみ

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