若者は嘆かれるの話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
最近の若いモン、という話を前回させていただきました。
古代の壁画にそんな文言があったとかなかったとか。もう昔々の人も同じように「最近の若者は・・・」などと嘆いていたんだなと言われていたりしますが、そんな壁画は今のところ確認されていない。そんな事実はない。なんてことも言われていたりもする。しかし、どこかに誰かが隠し持っているかもしれません。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
であるのならば、なぜこんな話が流布されてしまったのか。
一説には、民俗学者の柳田國男氏(やなぎた くにお)の著書の一説にそのような文言があったのでそこから引用された。柳田氏の文言は壁画ではなく書物にと書かれていますが、それじゃ面白くないと思ったか勘違いはわかりませんが、どこかの誰かが、「壁画」にしてしまったんだと思ったり思わなかったりします。
もう一説としては、ソクラテスの弟子、プラトンが言っていたなんてことも言われていたりもします。その言われている書物には、そんな「最近の若者は・・・」なんてことは言われていないが、似たような愚痴的なものがあったりなかったりします。
他にも諸説あったりなかったりします。
いやいや、壁画に書かれていることがこの話の核ではなく昔々の人も最近の若者はと嘆いていたことが話の論点であったりなかったりするのかで、「そうか壁画にはなかったかぁ」ってならないし、論破されていない。そもそも論破ってなんだ?
まるっきりすっきり論点がずらされている、いや、ずらしている。
プラトンだって、柳田氏が紹介した書物にだって嘆いている一説があるのだ。昔々の言葉だから、現在の言葉にすれば違う言葉にもされるしニュアンスが少し変わる。大阪弁を標準語に変換するのだってニュアンスが違ったりするのだからなかなか難しい。そこらへんは差っ引いても、昔々の人も人々も若者には嘆いていたのだ。何百年何千年と嘆いていた。
「若者を嘆く」は、ここまでくれば人間の本質なのかもしれません。
この嘆いていることについて、正解か正当な意見かは、全くもって別の話ではある。ずっと長年何百年何千年も、嘆かれているということは、「若者は嘆かれるモノで、嘆かれてもそれをするから時代が変化する」のだと思ったり思わなかったりします。
若者が嘆かれなくなれば、それはそれで、危機なのかもしれません。
大型連休は雨模様なんて予報があったけれど太陽の光がまぶしい。最近の予報は・・・なので、このあたりで。
ありがとうございます。
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