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住まう って

もう皆さん飽き飽きかと思いますが、長引くコロナ禍によって確かに変わっている生活様式。
ふと振り返ってみると、当時の生活には懐かしさ感じるくらいです。

食事も買い物もデリバリーしてもらうのが当たり前になって、仮想空間上にも展示や店舗空間が登場して、見る角度によってはリアル以上の価値を提供し始めています。

同時にリアルの価値が高まっているのも事実で、生活上不可分な最小限単位(自宅、ワークスペースやカフェ、お散歩道なんか)と、地域のコミュニティは、否が応でもその重要性が可視化されたように思います。

そんなわけで今回は「住まう」ということについて、最近考えていることを書きたいと思います。

今は自社の社宅として、築年数の定かでない古い家を借りて(手を入れさせてもらいながら)住んでいるのですが、会社員時代の2015年に60㎡ほどのマンションを購入、リノベーションをして昨年まで住んでいました。

家族みんなでとっても気に入っていた家から引っ越した理由は、コロナ禍のフルリモートによって、拠点のある自由が丘と完全に乖離してしまったこと、です。

肌感ですね。

建築・空間デザインは街の一部です。
人気のお店ができると、人の流れが変わり、街の表情が変わるものですが、人の流れ方、滞在の仕方が根本から変わったことで、空間の在り方も必然に変わっていかなくてはなりません

これは商業だけでなく、家にも言えること。
家を今までの「家」と決めつけていたらダメです。

住み替えとか、リノベーションとか、住宅と括れば大きな市場ですので、大小様々な企業さんが取り組まれていますが、家という空間の在り方や資産性も含めて一緒に考えていきます。

住まいについて取り組みを増やしたいと考えているところですので、興味があればご相談ください。
空間に精通していることは勿論ですが、中古マンションは納得いくまで2年間探し続けた経験があります。

さて、自社では何をしたいかと言うとこうです。

集まらなくなったことで、集まったときの偶発性の価値を喪失しました。
行かなくても良くなったことで、大切な出会いの機会を喪失しました。

ならば、住まうことの延長に偶発的価値を期待できる仲間が集まる理由をつくりたい。
自社で完結しない共有の場。
単なる場所貸しではなく、住まいながら共に歩んでいく共生の場。

要は自分が住まい、アトリエとして営みながら他のクリエイターや街に開いた共有の場をつくりたいのです。
住んでるのが味噌です。
シェアスペースを自走させようというのではなくて、人間味全開の小さな街の創出。

そんなわけで、工場跡とか持て余した倉庫とか、何でもいいのである程度任せてもらえるスペースを探しています。
お金はないですが、仕組みを考えます。


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