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自分で考えろ、でも親の言いなりになれ/そんなばななと思った話

昨年、異業種へ転職した私は、
過去を振り返る機会が多くなった。
特に母との関係性を振り返る。

幼児教育の舞台に飛び込んで、
日々3歳~5歳児を相手に知能玩具を
用いてレッスンを提供する毎日は、
まさに模索の日々だ。
5歳、私はどんな風に過ごしてきただろう。


―自分で考えろ、でも親の言いなりになれ

このフレーズが頭に引っかかったきっかけは、一人のお母様からのご相談。
「自分で考える子になってほしい。でも、夜更かしを注意せず一緒にゲームを楽しむお父様との教育方針の違いに悩んでいる」
とのことだった。

話しをうかがうと、

O君にはまだ親の時間管理が必要とお考えのお母様、
夜型の人間もいるのだからとお子様を時間で縛りたくないお父様、
そして、お父様とお母様の顔色をうかがうO君がうかがえた。

どういう回答がよかったのだろう。
帰宅後にも答えが出ず考えていると、
あるとき、O君が今の自分に重なった。

めいいっぱいお洒落したお出かけ前、
帰宅した母と鉢合わせ。
「その服秋物じゃない!春に着ないで。おかしいわよ。お願いだから。」
外は雨。寒いのに。
齢26歳。
春秋なんて同じじゃないか。
無視してでも着ていくべきなのだろうが、
この後も続くであろう懇願に、
反論するのも面倒くさい。

「あんたみたいなのは早く結婚しなさい」
と言われ続けた恋愛は、
交際しているといざ知ると、
「他にいい人はいないの?」
「やめたほうがいいんじゃない」
言いたい放題である。
書き連ねるうちに腹が立ってくる。

「母はいつも否定する」と言うと、
「こんだけ自由にさせておいて何を言う!」

もはやお互い、
「相手は自分の意見にしか目がなく、相手の言おうとしていることを聞く気がない」
と思っているため、
会話なんてものはない。
いつも交錯したまま終了する。


なにがどうしてこうなった。


いつの間にやら、
両親に大切な話をカミングアウトするのを
避けたがっている自分の一面に気が付いた。

自分にとっての違和感を伝える、
妥協点を探る、拒否されたり
エネルギーを消耗するには勇気が必要だ。
そして、勇気がなくなると、面倒箱に
放り込まれて、チリが積もって山になる。


さて、ここで気が付いたのは、
お子様が正しい選択ができる環境や基準を
用意してあげることは、
やはりまず重要だと思うのだけれど、
いずれどこかで子どものした選択を、
本当に尊重して見守ってやる覚悟を決めなければ、
それはいつになっても続くということである。


子どもが失敗できるチャンスを奪ってしまうかもしれない。
無論、命や道徳心に反することであれば見守るどころではないけれど、
自分で決定する経験は
積んだ分だけ自信になる。
自分で歩く勇気になる。


大切な生徒たち、自分の決意に
自信をもてる大人に育ってほしい。

かくいう私は、迷走する社会人だけど。

母よ。私も、大丈夫だ。



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