五感の復活と思考の回復
今年は金木犀の花を見てないことに気づいた。
けど外に出るともうどうしようもなく甘い香りでむねいっぱいになる。
帰りに毎日1時間かけて現在の勤め先から家まで歩いてるあいだ、だいたいは考えごとしまくるか、通話しながら頭使ってるかなんだけど
目に入る情報もやっぱり気になって、最近は空き物件と人の姿勢と、やっぱり好きな草木も目に入る。道端の雑草や街路樹、軒先の植栽。
毎年金木犀や沈丁花やくちなしの花たちの匂いがする頃は、ちょっとでも香るとその存在をさがして、植え込みや人の家の庭に近づいて花を見つけだしては、「咲いてるな、かわいいな、いいにおいだな、うれしいな」と半泣きで噛みしめていたのを思い出す。つい最近までのこと。
もともと嗅覚が過敏なのもあるのだけれど、心身が疲弊し、自分の好きだったものを忘れてしまいそうになる日々の中で、「匂い」はふいをついて大好きなものや気持ちを瞬間的に思い出させてくれるとても大切な存在。
手放して、解放される
8月末で会社を辞めた。(イエス!)
そのあたりの経緯などは別で書いてみようと思う。
辞めることを会社に言い出せてないころ「辞めた後、絶対こうなる」と何度も言われていたとおり、とてつもない解放感と全能感に満ち満ちた。
会社の中でもがいて悩んで変えようとしていた自分。
それをやめたとたん、不安や迷いが一気に吹き飛んだ。驚く程に。。。!
「わたし」という資源を思い切り、最大限に発揮して有効活用できたら。
もっと生きやすく、もっと楽しみながら、誰かの役に立てるようになれるんじゃないのか。一縷の望みを持ちつつ、虫の息になりながら、いろんな人の仕事や人生に触れてみたりもした。そんな中で、応援されたり、気づきを与えてくれる人との出会いがあったり。
五感と思考
心頭滅却を余儀なくされる日々の中で、RPA化といった業務効率化に取り組みながら、職場では自分自身を完全にロボット化させることに努めることがあった。もちろん、そんなことはできないんだけど―――それでもたびたびバグを起こし 思考停止しながら、食事は動き続けるための燃料になっていった。ここにはわたしの肉体だけが存在していて、何も感じてない・感じないのだと思うようにしていた。
その場を離れることを決めて、ここではないどこかに向かって、
「だめだけど、たぶんだめじゃない、自分」を、おかしみながら味わいだしたら。日々あふれる情報を取り込み、思考するのが楽しくて仕方ないのだ。五感が豊かに感じられ、喜びも悲しみも、より深く感じられるようになったと同時に、自分という人間の好みや癖、感覚やら衝動やら、生き物としての輪郭を取り戻してきたようにも思う。
1、2年前の自分とここ最近の自分だと、おそらく聞くこと、見ること、触れるものから得られる情報や気づきが格段に増えているとも感じて、これは最近出会った人物の影響も多分にあると思うのだけど、そんな自分の変化も今後どう表れてくるのかとても楽しみ。
で、数日前、“ 匂い“ との距離の変化にふと気づき、はっとした。
つながりがうまく伝えられたかわからないけど、
臆せず発信していきたい。
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ここでは日々の気づきの記録や写真、会社員時代のこと・長年貯め込み続けている健康知識の整理や、今現在学んでいるチネイザン(腸セラピー)のことなどを書いてみようと思います。
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