見出し画像

プロローグ-風-

1993年に日本大学芸術学部写真学科を卒業し、何の覚悟もないまま社会に入った。
高校も大学も第一志望には入ったことがなく、就職も希望した大手広告代理店の撮影部に最終審査まで残りつつも落ちた後は、教授に勧められるままに大手印刷会社の撮影部に就職した。

高校はつまらなかったかと言うとそうでも無く。それなりに自分に合っていたと思う。部活も中途半端でやめ、勉強も真剣にはやらなかったが、色々とやりたい事に手を出しているうちに写真に出逢った。これが高校時代の最大の出来事だった。

「俺はもう受動的な事はやらない、能動的な、なにか表現できる事をやりたい、だから写真を選んだ」

高校時代の親友によると、僕はこんな事をよく言っていたらしい。

日芸の写真学科以外、受験した10校もの大学は全て落ちた、これも良かったと思っている。写真は自分に向いていると感じたし、写真を通して色々な世界や表現が広がったと思えた。
好きな物を撮る幸せを感じる事ができ、好きな人を撮影する切なさも体験した、Lens「恋図」という作品はその時生まれて、いまだにコンセプトは息づいている。
小中学校時代に5年間とちょっと住んだブラジル以来、久々に海外に目を向けてバックパッカーもやった。広い世界で写真を撮る興奮を覚えたのも大学時代である。

入社した印刷会社のスタジオでは何もできない自分に直面し、大学のときに学んだ写真と飯を食う写真の違いを思い知らされた。
最初の仕事といえばほとんど丁稚奉公で、カメラマンの為にコーヒーを淹れ、カメラを準備し、フィルムの管理をし、ひたすら言うことを聞き、後片付けや掃除をする事だった。何もかもが甘かったと思った。
先輩カメラマンがライティングする一発一発のライトが何のために打っているのか全く分からない状態で、ただ指示にしたがった。
それでも一つ一つ技術を覚え、プロをめざし歯を食いしばってアシスタントを続けた。

入社2年目を迎えようとした時にデジタルカメラの波がやってきた。巷ではまだプロやハイアマチュアの領域では使い物になるとは思われておらず、なにか眉唾的な匂いさえしていた時代である。
社内で研究希望者を募っているという話があり、一も二もなく手を挙げた。新しい事にチャレンジしたかったのと、現状のアシスタントの先に見えるカメラマンの姿に希望が見えなかったからだ。
これも本当にいい選択だった。
同僚や先輩から、「お前はもう写真をやめるんだな」とか、「もう違う世界だな」とか散々後ろ指を刺されたが、3年後に先輩も後輩もみんな僕のデジタルカメラ講習を受ける事になった。

新しい技術が作り出す世界の先端に立つ事で色々な世界が広がって行く。パイオニアになって行く。
こんな風にして、プロフォトグラファーへの道が開けてきたのであった。

首の皮一枚の綱渡りというか、運命的に時代に乗ったというか。

とにかく風は吹いたのである。

画像1



この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?