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「#8 便所で迎える花火のフィナーレ」


 少し浮かれていたのかもしれない。
 大きなブルーシートを持ち、お菓子やつまみの入ったリュックを背負って、僕は駅から海まで続く道の先頭を歩いていた。その後ろには大量の缶ビールやサワーの入ったクーラーBOXを肩に掛け、ずっと右側に傾きながら歩く恋人もいる。本当はクーラーBOXも僕が持って上げたかったが、キャンピングチェアの入った袋を両脇に抱えていたので仕方がなかった。僕らは花火大会を楽しむ為に、夏の過ぎ去った海岸を目指して歩いていた。

 砂浜に着くとまだ夕方前だったので地元の人達がちらほらといるだけだった。僕らはどの辺りから花火が上がるのかを予測し、ここは逆に近すぎるだの、もっと離れた方が綺麗に見えるだのと論じ合い、打ち上がる花火に対してのベストポジションを導き出してブルーシートを広げた。
 まだ十分に青い空を見上げ、夏の余韻が残る柔らかな風に吹かれ、砂浜に打ち寄せる波の音に耳を傾けて、それぞれが「最高だ・・」と呟きながら酒を飲む。裸足のままブルーシートから出て砂浜に足をつけると、ほんのりとした温もりを足の裏に感じてまた心地よい。キャンピングチェアを組み立て、砂浜に突き刺すように設置して座ると、目の前に広がる海や景色が、まるで巨大なスクリーンに映し出された映像のように感じられた。スカートの裾を膝まで上げて波打ち際を歩く恋人が、何かを拾いあげこちらに笑顔を向けている。普段なら「おい、何か変な生き物とかやったらこっち持ってくんなよ」と注意しそうな場面だけど、それだって映画のワンシーンのようにキラキラと輝いていた。

 どのくらい酒を飲んだだろうか、ざわざわとした人の声に気づき目を開けると、辺りはすっかり暗くなって、足の裏にもひんやりとした砂の感触があった。酒を飲み過ぎた僕は、キャンピングチェアに座ったまま眠りに落ちていたようだ。
 パパパンッ!という小さな破裂音と共に、周りの見物人たちが声を上げる。「始まったよ!」と膝の辺りを叩かれ夜空を見上げると、海の向こうの真っ暗な空が鮮やかに色づいてゆく。酔いが回り虚な僕の目には、打ち上がる花火が滲んで重なり合って映り、まるで夜空が巨大な万華鏡のように幻想的な美しさを誇っていた。意識が覚醒していくにつれ打ち上がる花火の音が近くなり、ドンッ!と胸を叩くような衝撃が響く。子供の頃はその衝撃を全身で捉え、夜空に上る花火が美しければ美しいほど、この美しさの全てを破壊する何かが、今まさに起こるのではないかと不安になって親にしがみついていた。
 連続で花火が打ち上がり歓声が湧く。砂浜全体が少し明るくなり、周りにいる観客達が笑顔で拍手を送る姿が見える。盛大な打ち上げでプログラムの前半が終了するとまた辺りは暗くなり、観客達の話し声や砂浜を歩く気配に包まれる。「いや〜、いいねぇ」などと感想を述べながら、僕らもクーラーBOXから新しい酒を取りプルタブをはね上げた。

 プログラムの後半が始まると、トイレに立っていた観客達が慌てて帰ってくる。ずっと酒を飲んでいた僕もトイレに行きたかったのだが、前半後はきっと混んでるだろうと、この後半の序盤というタイミングを待っていた。トイレに向かう為に靴を履いていると、また観客達から「わっ!」と声が上がった。夜空にはキノコの形やハートの形、小さな花火が重なり合って一つの形を作るものなど目新しい花火が打ち上がっており、前半とは違って後半の序盤は、新作やユーモラスな内容の構成になっていた。恋人は「可愛い〜!」と手を叩いて喜び、僕もトイレに行くことを忘れ暫く口を開けて眺めていたが、強い尿意を感じて我に帰った。早くトイレに行かなければならないし、あまりタイミングが遅れると戻って来る前に最後のフィナーレが始まってしまうかもしれない。僕はキャンピングチェアから立ち上がり、恋人にトイレへ行くことを告げて砂浜の傾斜を登った。

 傾斜を登り切ると遊歩道になっており、海沿いを左右にずっと道が伸びている。左へ行くと花火大会用に設置された仮設トイレがあることを昼間のうちに確認していたが、暗くなり人集りもあるので昼間とは少し印象が違う。場所取りに失敗した観客達で溢れる遊歩道を縫うようにして進むのだが、一向にトイレが姿を現さない。
「あれ?こんなに遠かったかな?結構歩いてすぐやった気がしたけど・・」歩きながら段々と不安になってくる。「トイレ見つかった?早く帰って来てよ〜」という恋人からのメッセージがさらに不安を煽ってくる。もしかしたら気づかぬ間に通り過ぎてしまったのではないかという疑念が首をもたげる。一度引き返そうかと考えるが、いやそんなはずは無い、あれば絶対に気付いてる筈だと、疑念を振り払い人混みを掻き分けて進む。

「大丈夫?間に合いそう?」という、恋人からの新たなメッセージに焦りが募る。焦りは緊張を生み、緊張は尿意を加速させ、「ちょっとヤバいかも」と、思わず花火ではなく尿意に対する返信をしてしまう。背中で聞こえる花火の音は、徐々にフィナーレへ向かい迫力を増していってるような気がする。もし通り過ぎていたとしても、その少し先にはそもそもこの海岸に造られた大きなトイレがあった筈で、最悪そこまで行けばいいと歩くスピードを上げた。一歩進む度に振動で尿意が刺激され、花火が一発ドンッと打ち上がる度に、その衝撃が膀胱を圧迫する。
「ブルーシートの場所分かる?もう最後のフィナーレ始まっちゃうよ!スターマイン一緒に観たいのに!」もはや返信する余裕はない。こちらはフィナーレどころでは無く、暴発寸前のスターマインを抱えているのだ。
 携帯の画面から顔を上げると、コンクリートの建物が視界に入った。

 ようやく見つけたトイレに慌てて駆け込み、海側を向く格好で便器の前に立つ。限界寸前まで我慢していた小便は花火のフィナーレの如く、ドドドドッ!と凄い勢いで便器へ….いや、これは比喩ではなく実際に聞こえる音だ。小便器の上には幅40センチ程の窓が横に伸びており、首を傾けて覗くと、夜空に向かって華々しくち上げられるフィナーレの下半分だけが見えた。
 打ち上がる花火の数は凄まじく、薄暗く陰気な便所の中を昼間のようにパッと明るくさせ、まだ途中にも関わらず興奮した観客達から拍手が巻き起こった。僕も一緒に拍手を送りたいが、あまり動くことが出来ない。夜空は色とりどりに染め上げられてゆき、小便をする僕の顔もきっと美しくさまざまな色彩へと変化しているのだろう。花火大会にはたくさん行ったが、こんなにも感動したフィナーレの下半分はなかった。

 花火のプログラム全てが終わり、ズボンの中では恋人からの着信がずっと鳴り響いている。まだまだフィナーレはこれからだよと、僕のスターマインは衰えることなく、凄まじい勢いで便器を叩き続けていた。



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