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「#5 月と君だけが浮かぶプール」



 夜中に散歩をすることがある。それは何かを考えたい時であったり、何も考えたくない時だったりする。昼間の喧騒の中にいると自分一人だけが取り残されたような気がするのに、誰もいない夜道を歩いていると、ほんの少しだけ自分もこの世界で生きていてもいいような気がするから不思議だ。夜の新鮮な空気はギュッと引き締まり輪郭がはっきりとしているから、吸い込んだ空気が体中を巡るような感覚があって、そうやって歩いてると、ちゃんとこの世界の一部として機能した存在に思えてくるのかもしれない。

 住宅街の通ったことのない道ばかりを選んで進んでいると、芝生の広がる公園を見つけた。公園の奥には大きなコンクリートの建物が浮かび上がり、市民センターという文字が薄闇の中に見えた。しっとりとした夜の芝生を優しく踏みながら近づくと、建物の手前に植えられた木々の間から隠れていた50Mプールが姿を現した。夜のプールは昼間とは違い、プールサイドにいくつかある監視台も、休憩するために設置されたベンチやテーブルも、日除けの大きなテントも、売店と書かれたプレハブ小屋も、全てが栄華の残骸となった古代遺跡のようにひっそりと佇んでいた。
 僕は煙草に火をつけ自分の胸の高さほどしかないプールのフェンスに寄りかかって水面を眺めた。誰もいないプールには月だけが浮かびゆらゆらと水面を漂っていた。何かがプツンと切れたという感覚はあるけど、それが自分のどの回路なのかはよく分からない。ただ身体が重く、毎日を生きることが酷く疲れるようになった。それでも君は僕の為に毎日笑ってくれて、たまに泣いてくれていたのに、僕は上手く言葉が出なくなった。君は最後の日まで僕の目を見てくれていたけど、僕はもう君の目を見ることができなくなっていた。何かが大きく変わってしまうかもと怖かったけど何も変わらなかった。そんな自分に失望するのかと思ったけど何も感じなかった。ただ君の夢だけを頻繁に見るようになった。

 プールにゆらゆらと漂う月を眺めているといつの間にか君のことを思い出していた。フェンスから体を離すとプールの奥にまたフェンスで仕切られたグラウンドが見え、そこに大きな街灯が立っていた。水面に漂い僕がずっと月だと思って眺めていたのはただの大きな街灯の光だった。
 スマホの通知音が鳴り画面を開くと君からのメッセージが届いていた。

「今日はあなたとよく二人で眺めていた優しい月です」

 顔を上げて夜空を見ると、とっぷりとした大きな満月が浮かんでいた。久しぶりに見上げた月は彼女の言うように優しい光を帯びて僕を照らしてくれている。僕は月を見上げ、いつかあの月に触れてみたいと思いながら歩き出した。

 


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