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金木犀の香水の話

シャワーの音が聞こえている。

きっと今、あのお姉さんが優雅にシャワーを浴びていることに違いはないんだ。

そんなことよりも、これはもう引き返せない状態になってきた。あのお姉さんは遊びなのか本気なのかはわからない。それに対して僕はやはり警戒してしまう。


こんなことが許されるのか?

怖い人は来ないのか?とか。



合コンで失敗して他の二人は女の子と2次会でもやっているのだろう。その飲み直しを一人でしようと隠れ家の様なバーに入ってみた。カクテルを飲みながら今日の反省会を一人でしていた。「脱童貞合コン会」という裏タイトルで僕ら男3人に対して3人来るはずだった女の子は一人が来れなくなり売れ残った僕がこのバーで飲み直すことにした。そもそもそんな人脈を持っている幹事のアイツはもう女慣れしてそうだろと今になると悔しくなってくる。



そんなバーにまた新しいお客さんが来た。

茶髪のロングの髪の毛をなびかせ、赤いスカートでハイヒールの音がしっかりと存在感を漂わせている白い肌のその女性は20代後半ぐらいだろうか。

ただ、「綺麗」という単語だけでは言い表せないのは、小さい田舎町から大学デビューをして4年目の僕が単位を取り男だけの現場のバイトだけに励み、就活を終わらせてやっとここまで来てみたらこれまでにそんな人に出会ってくることがなかったんだと思う。


そんなお姉さんは僕の隣に座って「初めて来た?」と聞いてきては何故ここに来たのかなんて聞いてくるわけで。どうせ僕にはこんな人とは一生出逢わないだろうと思う。だから童貞であること以外は、ここに来るまでの事の経緯を洗いざらいを全部話してしまった。


シラフになった今、こんなことを話していることが恥ずかしくなった。今では鼻で笑いたくなるくらいだ。「少しは男としてのプライドを持てよ」なんて呟いては頭を壁に打ち付けたくなるくらいに今思えば恥ずかしく悔しかった。

そのお姉さんは耳打ちで僕の方を見ながら、マスターにカクテルをオーダーしていた。

金づると見抜かれているんだろうとその時思っていた。

そういえばその当時僕の話を聞いてもらいながら、お姉さんの話も聞いていた。


時間が経過するのもあっという間で、いつのまにかタバコを開けたこの店で、20本もタバコがなくなっていたり、終電が終わっていたことに気付き僕は

「終わった…」

と心の奥底で落胆していた。

そんな同じ時間にお姉さんも帰るらしく、その時酔っているのが見えていた。

だから仕方なく二人分の代金を支払い外へ出た。でも外へ出た瞬間、お姉さんは僕の右手首を掴み

「行くよ!」

と先程とは全く違う、どこか爽やかさと自然さに溢れる笑顔でタクシーを拾っていた。酔っていたフリをしていたのか、外へ出た瞬間の夜風を浴びて酔いが醒めていたのか、当時の僕には全くわからなかった。


甘い香りのしたお姉さんに陶酔して付いて来たら、僕が今日、本来このお姉さんではなく合コンで一緒にいた女の子と行きたかったはずだったけど、どういうわけか…もう分からない。

「そういえば最後にマスターに耳打ちして頼んだカクテル。シェリーって言うんだけど。まあ、ネットで調べてみて?」

スマホで調べたカクテルの意味を軽く調べてみた時に声が出てしまった。

この女性が未成年でないことだけには安心してしまうけども、僕自身がこのお姉さんへの警戒が解けていない。

先程までシャワーの音がしていたのが止まり、バスローブで出てきたお姉さんが出てきた。

「そういえばその結婚指輪…本当にいいんですか?」

「やってることは相手も一緒だからね。ここってさっき多くのシャンプーがあった中で“無香料”のものがあったでしょ?だからここは現実を忘れられるsecret dream country(裏の夢の国)みたいな」

あのバーでお姉さんの愚痴も相当聞いた。結婚して3年後に旦那が単身赴任になったけど、全然会ってくれないこと。だからサプライズでその単身赴任先の家の玄関で待っていたら知らない女の人と帰ってきたこと。旦那を問いただすと、その相手が愛人であること。

なら尚更僕はお姉さんにその結婚指輪をはめてる理由が分からないと伝えたら

「離婚自体は成立していないし、私自体も結婚指輪はひとまず世間体だとか、自分を守るためにね。」

そんなことを結婚指輪を触りながら笑顔で言ってたお姉さん。

そんな人が僕を誘ったのは自分への慰めなのか、諦めなのかなんて僕はお姉さん自身ではないから分からなかった。



僕は真っ黄色のシャツを脱ぎ捨てた。それに対してお姉さんが驚いていたのは、多分僕の体付きが想像以上に筋肉質で鍛えていたからで、やっぱり男の職場でバイトをしていたら自然とそうなっていて、いつの間にか筋トレも欠かさずやってたからと思うと良かった。


「なんか、やっぱ顔が可愛いよね。優しくするからね」

軽く笑いながらこう言ったのはお姉さんの方だったから僕は逆に苦笑してしまった。体格差は明らかに僕の方が大きいのに…

「それ、普通、男の僕が言うものじゃないんですか?」

「それくらいに引っ張ってくれるなら任せるけどね?」


頷けなかったのは人生においても経験不足でもあり、純粋にこの人に自分が触れるということに対していつの間にか「壊してしまうんじゃないか?」そんな恐怖心と「守りたい」「幸せにしたい」そんな感情になっていた。

たかがこの一夜でこんな感情を持つんだから、明日起きたらこのお姉さんに明日お金を盗まれてるかもしれない。いつか高い壺を買わされるかもしれない。でもそれでもいいと思っていた。それでお姉さんが幸せになるならもうなんでもいいという気持ちになった。




このお姉さんと確かに体を重ねたあの夜。お姉さんからあの香水の匂いはしなかった。


「後悔してない?私なんかのおばさんでごめんね」


そう言ってきた。こんなにも気高い人でもきっと心の弱みがその時に見えた。僕はこれまで恋愛なんてしてこなかったから童貞だった。このお姉さんに抱く心は、自分勝手な見返りなんだからきっと恋だと思った。


「僕は相手がお姉さんのような人で幸せ者です。そういえばバーでずっと思ってたんですけど、どうしてお姉さんはシャワーを浴びる前にあの甘い香水してたんですか?」

これはずっと聞きたかったこと。店に入った時のあの匂い…

「今の旦那さんは初恋の人だったから。その人に貰った、ある花の香水だよ。でももう必要ないからあげるよ?」


「同じものをプレゼントとは…」


「何?ちょっと悔しい?」

そりゃそうだ。悔しい。この悔しさをどこに向ければ良い?こんな人を置いて…

「僕がお姉さんに抱く感情が初めての恋心だと確信した今、抱くものはお姉さんが僕の事を見てほしいという勝手な独占欲からくる嫉妬です。」

本音を言いすぎた気がする…まだなんか隠したい気がある…

「嫉妬されるくらいになっちゃったんだ。君はまだ若いのに。」


そう笑いながら言っていたお姉さんはとても白く華奢で綺麗で、どこか遠くへ行ってしまいそうな雰囲気を感じて。それが怖くて、全力で泣きながら抱きしめた。

お姉さんは僕の首に腕を回し耳元で一言

ありがとう。でも、私に恋しちゃだめだよ

と言った。

お互い裸のままだった。それでも頭を優しく何度も撫でてくれたお姉さんの安心感に眠りについた。でも、その朝にはお姉さんはいなくなっていた。



“本当にありがとう。”



テーブルに置いてあった一つのメモには、お姉さんが付けてくれていた香水の匂いと、その香水のボトルがあった。

この甘い匂いに誘われたあの日から、お姉さんをどこかで求めつつ。でもどうすれば良いか分からなかった。


それでもある日、大学の講義中、あの匂いが現れてきた。

あのお姉さんが近くにいるかのように。すぐに講義終了後その匂いを追ってその場所へと向かった。

すると、木の前へと立っていた。オレンジ色の花がきれいに咲いていた。

向かい側にはいつも大学の庭師のおじさんがそこへ居た。

「おじさん、この匂いってこの木から出てるの?」

「この金木犀のことかい?」

金木犀…?

「今はいい香りのする時期だよね!」

その日、金木犀について少しだけ調べるとそこに花言葉が7つほど出てきた。

どこまでが本当かは分からなかった。

それでもその当時、点と点が全てが繋がった気がした。

だから、どうにかお姉さんに会いたくてもう一つ賭けをして、あのバーに少し通ってマスターに聞いた。

マスターはあのお姉さんからすべて事情を聞いていて、もし僕がお姉さんに連絡を取りたくなった時にと連絡先を置いてくれていた。


電話で連絡した時のお姉さんの声は以前と違ってしっかりと、でもきれいな声だった。周囲も静かで。

連絡を取り、もう一度会うことになった。お姉さんの実家はあの場所から飛行機で2時間ほど離れ、その先に小さい私鉄の電車に乗り継いでやっと辿り着いた田舎。

指定された場所はその田舎の純喫茶だっただけにもうお酒の問題もこの先も無く、僕の覚悟を伝えるだけだ。


「なんでオレンジジュース飲んでるの?ブラックコーヒーとか飲まないの?」


「今日は包み隠さずにプライドなんてそんなものを捨ててきたんです。きっと格好つけたらその思いは伝わらないだろうし、飲めないブラックコーヒーを頼んでも意味がないんですよ。」


確かにこの覚悟が無くて格好つけたいだけならブラックコーヒーは頼むだけで飲みはしないだろう。でもこの覚悟だったらまずここまで来ることなんて無いから。


「良い顔になったね!」


久々に合ったお姉さんは最後に合った日よりも少し痩せていた。でもどこかスッキリしていた。お姉さんの左手の薬指には何もなかった。


「その匂い…付けてくれたんだ…嫉妬しただろうに」


笑顔で微笑むお姉さんの面影はあの日の僕よりも人生経験の豊富さを表す姿勢そのものだった。

でも今の僕に、もう隠すものも何もない。


「この香水の花は金木犀ですよね。香水の香り自体は本物の金木犀よりかはきつくないですけど。僕、10月7日で22歳になりました。金木犀の花言葉の意味には初恋や気高い人、多くの意味があります。でも、初恋の人から貰った香水をあの日置いていったあなたの真実は、あなたにしかわかりません。でも、気高いながらも実は少し弱いことをあの日に感じました。でも、謙虚さはきちんとそこに残してあって。僕がこの香水をつけてきた真実はあなたに初恋をしたことには変わりありません。独占欲があったり、嫉妬したりで謙虚さとかなくてすみません。だから前の旦那さんの時よりも収入は少ないかもしれませんが、絶対に幸せにします。付き合ってください。僕にとっての金木犀のような存在を教えてくれたのも僕の存在を教えてくれたのはあなたです。」


「私は金木犀のような人になれなかったのが真実だけど、君は本当に金木犀のような人かなって。覚えてないと思うけどあのバーで話してた時にいろいろ考えてた。元々金木犀は日本には雄株しかないから、植えてくれる人が居ないと、育ててくれる人が居ないと存在しないから。そんな存在で私のこと支えてください。」


そんなことを彼女は言っていた。

その後僕らは同棲をした。働きながらも楽しい生活を送ることができていた。




まあこの話を書きながら思うのは、全て経験不足だった。これに尽きる。僕は恋を知らなさ過ぎた。形としては略奪愛に過ぎないんだろう。だからお姉さんは略奪された。

お姉さんは分かってたんだ。

「私に恋しちゃダメだよ」

この真相が。




僕は未だに結婚出来ていない。

これがこの物語の真実。

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