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「知的障害と発達障害」「へーそうなんだ!」そう、私ってこんな人。

障害にフォーカスを当てて、
私の思考から、私という人物についてを書こうと思う。


障害者として生きる?

私・・・

  • 知的障害

  • 広汎性発達障害(PDD)

  • 注意欠陥多動性障害(ADHD)

この3つの障害をもって生まれてきたらしい。
でもそれを、"障"だとも、"害"だとも思ったことはない。

だから、障害者として生きるのか、
要は公表するのかを迷ったことだってある。

ただ、これって・・・

この思想から生まれる行動に困っていたのは、
当事者である私ではなく、
私の周囲にいる人物なんだろう。

と、あるときから考え始めていた。

"そんな必要はない"って私は思う。

障がい者雇用枠の仕事を探していると、必ずこんな言葉をかけられる。
「配慮事項って何ですか?」

障がい者雇用の面接を受けたことのある人は、わかると思う。

障がい者である自分から、雇用主側である会社だとかに対して、
"配慮してほしい"と思うことを伝えるコーナーだ。

でも、私は、これに疑問があった。

「配慮事項って何ですか?」

逆にそれって何ですか?という気持ちだった。


何を求めて、私たちだけ(障害者だけ)に、この質問をしているの?
そんな疑問が浮かんでいたのだ。


健常者だって困りごとはあるよね?

そんなことないなんて言わせない。

健常者にだって困りごとはあるはずだ。

・Excelで関数がうまく機能せずエラーが出ているが原因がわからない

こんなことを私に言ってきたのは、健常者である上司だった。
そんな上司からの相談に対して、解決をしたのは障害者である私だ。

・タイピングが遅くて相手のチャットに間に合わない

こんなことをぼやきながら、焦って、「あーどうしよう・・・」と言っていたのも健常者である同僚だ。
その人よりも、はるかに速い私のタイピングで、
慌てていた同僚の代理で、私が送信していたこともあった。


そう、誰にでも困りごとはある。
それには、健常者とか障害者とかは関係ないし、
困りごとって、誰にでもあるものなのだ。


だから、

健常者とか障害者とかそんな括り辞めてみて!

って、私は思って過ごしている。

「障害者だから配慮しなきゃ!」ってのも違う気がするし、
「障害者だからできない!」というのも違う気がする。

これを、話していた講演会後、
同期の人から、こんな感想が送られてきた。

なんでこんなにできないの?って周りと比べて評価されていた時、
自分が障害者なんだとわかって、少し安心した。

同期入社の人の意見

要は、障害が理由でできないと気付いて、安心したらしい。

なるほどね・・・
そういう意見もあるのか、と知った。

でもさ、

私たち人間って、できないことがあったとしても、

自然とできないところを共有しあって、支えあって、生きてきてるじゃん?

支えてもらうのって、障害者だけですか?
逆に、支える側って、健常者だけですか?

そんなことは、ないはず。


1人1人を見てみようよ。

そうすることで、気付けることがたくさんある。

人の長所とか短所って、別に統一じゃないよね?

障害が同じでもみんな違う長所と短所をもっていて、
健常者でもみんな同じってわけじゃない。


1人1人を見るなら、
健常者とか障害者とかっていう括りは不要な気がする。

だって、人それぞれ違うじゃんか。

十人十色っていうでしょ?

だからこそ、
人は自然と支えあえる気がするのよね・・・。

同じ人同士だったら、
みんな同じところができて、
みんな同じところができなくて、
支えあいようがない。


・・・

そんな思考で生きている。
そして、これからもきっと、こんな思考で生きていくだろう。

でも、結局"しょうがい者"として生きていた。

"しょうがい"って、なんで平仮名であえて書いたのか。
それは、

"障"だとも、"害"だとも思ったことはない。

からだ。
ただそれだけの理由だ。

「障害者じゃない。しょうがい者なんだ。」

でも、そんな私は、このしょうがいを利用して、
障害者雇用で働いたり、

このしょうがいを売りにして、
今もこの記事を書いている。

結局、"障害"ではないけど、"しょうがい者"として今も生きている。


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